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一杯目

今日は『明るく謝る日』という意味合いがあるらしいので、明るい話になるかは微妙なところですが、よろしければお付き合いください。

また、こちら食に関する虐待行為や、トラウマを扱っているためあらかじめご了承ください。


参考Webサイト「はてなスッキリ」https://www.shend-trend.com/post-3719/




『若様の飯炊き女』


それが私、中井智会(なかいちえ)につけられたあだ名だ。

自分で思っている以上に、周囲は他人の噂話に余念がないらしい。高校に入ってすぐの頃は「なんだか好き勝手なことを言っているなぁ」と他人事のように思えていたけれど、よくよく思い返してみれば言い得て妙だと納得して……納得してしまえる自分に呆れてしまった。


真っ黒でアレンジしにくい髪に、取り立てて目立つところのない目鼻立ち。

あえて特徴を挙げるとすれば、耳たぶにある黒子くらいだ。まぁ、結果的に何が言いたいかと言えば、私は彼にふさわしくないと自他ともに認めてしまっているという事だろう。






―――今日も私は王子様のために、ぐるぐる煮立った鍋をかき回す。


「とかげの尻尾に、人魚の鱗。それから竜の涙をひと雫いれれば……ひっひっひ」


「おい、それは僕の晩飯じゃないよね?」


後ろから呆れた声がかかり、ゆっくり振り向く。

ちょっと気分を変えてみようと思っただけなのだけれど、聞かれていたらしい。振り向いた先には少しひきつった顔をした彼がいて、残念ながらとその言葉を否定する。


「ううん、今日の晩御飯」


「じゃあ間違っても、そんな物が入っていないことを祈るよ」


がっくりと肩を落としながらお皿を用意した泰知(たいち)は、力なく笑った。

私がちょうど取り出そうと思っていたお皿の絵柄を見て、にこりと笑う。どうやら、ようやく私がどういう風に盛り付けるのか、分かってきたようだ。初めの頃など、「どうして煮物を盛るのにそのお皿を出すの」というような、洋食向けのおしゃれなお皿を出してきたりしたものだけれど。教育の甲斐あって、彼もやっと私の料理に慣れてきてくれたようだ。


あいにく私のレパートリーはさほど多くはないので、和食に慣れてくれたのは喜ばしい。泰知が温かいご飯を食べていると、ほっこりとした気分になる。彼とは、幼稚園の進学前に彼の家族が引っ越してきて以来ずっとお隣さんで、「子どもたちの相性が良くて漢字が似ているなんて、これは運命ね」なんて昔から家の母は喜んでいた。だから時々彼が食事する風景を送ってあげると喜ぶし、母はこの気持ちを共有してくれる一種の戦友のような存在だ。


そんなことをお昼休みのときに友人の歌胡かこに惚気交じりに話していると、さも呆れたという風にため息をつかれて口をとがらせる。


「何よ。恋人とご飯一緒に食べてるって、少し惚気ただけじゃない」


歌胡のミーハー話だって聞いてあげているのに、そんな表情をしないでもいいではないかと不満に思う。……けれど、どうやら問題はそこではなかったようだ。微かに迷った様子を見せながら、彼女はそっと口を開く。


「―――あんた、そんなだから『若様の飯炊き女』って噂されているのよ」


「ワカサマ?」


「ほら、彼は若宮わかみやって名前だから、王子じゃなくて若様」


「嗚呼、あの人顔は整っていても一重だし、間違っても欧米人ではないもんね」


「いや、食いつくところが違うから!」


「えぇぇ~?」


別に改めて言われなくても、彼と並ぶたびに口にされる言葉の意味に気付かないほど、純粋ではないし。ましてや、人が良心の塊と信じられるほどぬるい人生を送ってきていない。


小学生の頃こそ大したことはなかったけれど、ちょっと目線が変わる中学生頃にはすでに彼の人気はうなぎのぼりだった。彼は中学の時は近くの私立校に通っていたのだけれど、そのうわさは公立にいる私の耳にも入ってきた。


勉強が出来て、運動神経もまぁまぁ良い。それに加え瞳は白目の割合が強く骨格のしっかりした体は、ミーハー心から一歩進んだ女の子たちにはとっても魅力的に映るらしい。気が付けば彼は高校で、頭が悪くてもおしゃれで格好いいと一番人気の王子様に次いで、注目される存在になってしまった。泰知と同じ中学に進学した友達からは、彼の評判は聞いていたし、街で声をかけられる様子からも薄々感づいていた。けれど、所詮私は別の中学だったし、家にいる時はさほど変わった様子もなかった。



……それに自覚したのは、同じ高校に入学してからの事だった。

高校入学当初はやけに一部の先輩に敵視されるなぁと困るだけだったけれど、想像以上に彼へ近寄ろうとする子が沢山いたのだから面白くない。


「そりゃあ、あんたにとったら幼馴染の恋人かもしれないけれど、他の学生たちにとったらおいしそうな獲物でしかないのよ」


「うっわぁ……みんな肉食だね!」


「何言ってんのよ、女が数人集まればそこはサバンナよ」


自分の恋人が狙われているというのに、一向に自覚した様子のない私に焦れたのだろう。友達の歌胡は、やけに真剣なまなざしでそう締めくくった。彼女は肌が白くて細いのに、平均より身長が高くてすらっとしている。「私は取り立てて美人でもないけど、雰囲気で騙される奴はどこにでもいる」なんていっているし、私から見たらすっぴんでも充分綺麗だ。





少し脱線してしまったけれど、私が自分のあだ名を知ったとき、最初に浮かんだのは疑問だった。若様?なんだ、私はいずれ国を背負うお偉いさんに仕え、食事を作るなんてちょーハイスペック女子と噂されているのかと、ふざけていられたのは始めだけだった。


要するに、正妻の座どころか跡取りを産む御台所(みだいどころ)様にもなれないと、馬鹿にしているのだろう。もっとも、本物の若君の食事を用意するのは一人じゃなかったろうし。そもそも『飯炊き女』なんて、軽視した表現されなかったと思うけど。


悲しいかな、間違いだらけのその呼び名に含まれた悪意だけは、正しく読み取れてしまった。それがどの学年……いや、下手をすると他校生にまで知られてしまっているということで、彼の注目度を知ったのだ。仮にも彼女を名乗っている身として、内心穏やかじゃなかったなんて歌胡にも言いたくない。




友達とお弁当を食べている時に、女の子に囲まれる泰知をみるのも慣れた光景だ。

明らかに可愛らしく手作りしたラッピングは女の子らしくて、嫉妬心より羨望の眼差しで見てしまう。あれだけ頑なに、人からの手作りを受け取らないようにしている男にお菓子を渡す度胸なんて、私にはありはしない。何せ手作りのみならず、匂いどころか見た目でも食欲そそる市販の物すら受け取ろうとしないのだ。最近では店から直接買ったものなら口にできるようになったみたいだけど、それすらもごく細かい彼なりのこだわりの元で選別されている。


「ごめんねぇ。僕、彼女の作るものしか食べないようにしてるんだ」


ほら、やっぱり。

もう少し言い方を考えろとたしなめるべきなのかもしれないけれど、どんな言い方をしても私が女の子たちに睨まれることに変わりはない。今だって教室の端と端にいるのに、見るからに険しくなった顔を女の子たちに向けられ怯んでしまう。あからさまにそちらを見ないようにしていたのに、どうしてバレた……。くるっと顔を歌胡に戻すけれど、チクチクする視線はやむことがない。


断る口実とはいえ、彼女としては嬉しいはずの言葉も……。本当の理由を知っている私としては、素直に喜んでもいられない。理由を説明すれば、単なる思い込みと疑われるか、つけいる隙があると変な人間が寄ってくることだろう。




明かすことのできない大きすぎる人様の秘密は、本当に疲れてしまう。

昔から抱えているこの『恋心』という厄介な感情がなければ、端から共に秘密を共有しようなどとは思わなかったことだろう。


「おいおい、毎日彼女の愛妻弁当食べているからって、他の子のお菓子まで断ることないじゃねぇか」


「うるさいなぁ……そんなに欲しいなら、お前がもらえばいいじゃん」


「うぎゃぁぁ、中井さん!こんな薄情な奴の弁当なんて、白飯に至るまで全部冷凍食品にしてやってよっ」


「冷凍食品は嫌いなんだから、余計なこと言うな」


「お前っ、それは日本中の母親たちと、毎日冷凍食品を食べている俺たちの同胞を敵に回す発言だぞ!」


「そうだっ!冷凍品にだって美味しいものがあるぞ」


「……智会の彼氏たち、話の趣旨が変わっているわね」


馬鹿騒ぎする彼達にいたたまれなくなって、急いでご飯を掻き込んだ。

食べるのが早い歌胡は慣れたことといったように、「トイレ……行くけどいく?」なんて女神のような提案をしてくる。こんな時ばかりは、「一日に何パックもイチゴ・オレを飲むからトイレが近くなるのよ」なんて嫌味を言えない。彼女はどうもはまりやすい性格で、ここの所は500ミリリットルのこれを五パックも飲むというのだから驚きだ。


「そんなに飲んで、お腹大丈夫なの?」


「嗚呼、昔っから母親が大雑把なおかげで、体は丈夫なのよねぇ」


「……そういえば、よく賞味期限切れの物が出てくるって言ってたね」


大量の牛乳にも負けない体を作るなんて、毎日包丁を握る人間としては見習うべきかと迷ったこともある。色々な意味で、痛い視線から逃れるように教室を出た。



さきほど彼はあんな言い方をしていたが、本当は『食べることができない』のだと知っている者は少ない。それは彼の自尊心やトラウマを刺激しないようにした結果であり、彼自身が口を閉ざしていることが理由だったりする。とにかく言えることは、けっして軽々しく語れる内容ではないということだ。

……だから、事実を知っている人間は彼を気遣うし、当事者でもある私は尚のこと目が離せない。






私が彼から目を離せないのは、授業中だって同じことだ。

今日とて家庭科の調理実習をしている最中だというのに、料理もそっちのけで彼の様子をうかがっている。周囲には『何を』心配しているかなんて知られたくなくて、なんてことない様子で包丁を握った。幸なことに料理を作るのは私の日課であり趣味でもあるから、魚の煮つけなんて集中せずとも作れる。


「なぁーちゃんってどこか抜けているけど、料理の腕だけは確かよねぇ……」


「ん?魚の骨がなんだって??」


「いや、言ってないから。いくら食べるのが好きだからって、料理のこと考えすぎ」


「食事を作るのは私の趣味であり、料理は命だ」


「食べるのは生きがいってね」


教室の端で聞こえた嫌味を消すかのように、歌胡が茶化して笑いを取ってくれる。

私たちの関係をよく思っていない男子が「『旦那』にいつも愛妻料理作ってるからだろ」なんて野次をくれたけど、それ以上の冷やかしもたくさん受けている。歌胡はそれを分かっていて一緒にいてくれるのだから、本当に感謝してもしきれない。


食いしん坊な彼女にお礼をするなら、大盛りにしてあげるべきだろうとどんぶりに山ほどご飯を盛った。歌胡はクラスメートのあんぐり顔なんてものともせずに、誰よりも早く白米を幸せそうに頬張りだす。少しやりすぎたかと危惧している私に対し、幸せそうにモリモリ食べる歌胡を見届けると、泰知を呼ぶ声が聞こえた。




慌てて調理室を出た彼の背を、こっそり横目で捕える。

料理が出来て早々、口に掻き込んだ甲斐があって、班のみんなが食べ終わるには時間を稼げそうだ。


「あれ?なぁーちゃんどうしたの」


「ごめん、トイレ行ってくる」


なるべく早く戻ってくるから、ごめんねと、早口に伝えて部屋を出た。

片づけまでそうは時間がないけれど、様子を窺うくらいの時間はあるだろう。トイレとは逆方向の食堂へ足を運ぶと、外の自販機で水を買う。あまり早く着きすぎないように意識しつつ、彼が向かったであろう場所へ足を進めた。






中庭に面した廊下は、冷え冷えとしている。

窓越しに見る木はだいぶ葉も落ちて、それを見るだけでも寒々としてる。思わずぶるりと肩を震わせたのは、外を通り抜けた木枯らしのせいかは分からないけれど。こんな所に立っているのは気まずく思いながらも、何度も水が流される音を聞いていた。

長い廊下はどこからともなく吹き付ける隙間風で寒く、おもわずセーターの袖を引っ張る。風が窓に当たる音だけでも寒く感じるのだから、参ってしまう。


ここは男子トイレで、間違っても女である私がずっと立っているような場所ではない。ただ、何もしないまま苦しんでいる彼を放っておくこともできず、肌寒い廊下で一人たたずむ。調理室は暑いし邪魔だったからと、脱いだままおいてきたブレザーが悔やまれる。


手を冷やすペットボトルを、無理やり伸ばしたセーターで包む。

外気にさらされていないだけで、少しは寒さもマシになる。自然と内股になり、気持ち壁も自分の体温で暖まってきたころに、泰知はようやく顔を見せた。




よろよろと出てきた彼を、何とも言えない気持ちで見つめる。

青ざめやつれたように見える横顔は、普段より弱弱しくみえる。私がいるのに気付いた彼は、裾で口元を拭いながら、自嘲するように笑った。


「……また、吐いちゃったぁ」


「―――うん」


いつも笑顔を絶やさない彼だが、この時ばかりはその笑顔がつらい。

自販機で買ってきた水を渡すと、眉をしかめながらごくごくとその体におさめていく。本当は塩分もとった方がいいのかもしれないけれど、今は何も口にしたがらないのを知っているから、喧しくしたくなる気持ちを抑える。


寒さで震えているのか、それとも―――。

震えている彼へどうしてなのかと問うことは、結局できないまま調理室へ戻ることになった。




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