09 もう帰りたい選手たちとジャーニー・オブ・ザ・ソーサラー
ときわと原田、二人の魔術師がコースに復帰したときには、彼らの順位はほぼドンケツまで落ちていた。
海沿いの夜風は冷たいが、走っていれば心もぽかぽか、暑いくらいだ。
「ところでときわちゃん、キミはなんであんな所にいたんだい?」
「あーっ、そうだ、忘れてた。原田さん、シルクハットをかぶったギタリストっぽい人を見ませんでしたか? マウンテンバイクに乗ってるの」
「いや、見てないなあ。その人、友達?」
「いえ、とんでもない! そいつ、いきなりこっちを蹴飛ばしてきたり、もーぶち危ない運転するんですよ。気をつけてください!」
鼻息荒く説明するときわ。
「へー、わざわざありがとう。どこら辺を走っているか、ちょっと聞いてみようか」
原田は少し考えた後、インカムのスイッチを入れた。あまり使うつもりもなかった機能だが、危険な運転をするプレイヤーがいるなら、情報は必要だ。
「もしもし、ミス・リード? シルクハットをかぶったギタリストっぽい参加者ってわかる? どこらへんを走ってるか知りたいんだけど」
「はーい、大丈夫?おっぱい揉む?センパイ。えーと、たぶんそれはエントリー№49番、デスペナルティ選手ですねぇ」
「え、ちょ、おっぱ? え?」
突然飛び出したの誘惑めいたセリフに、ときわはどぎまぎしながら原田を見る。彼はいたって普通の様子で話していた。
セクハラ発言はミス・リードの個性ではあるが、開口一番おっぱい揉む?などと唐突に聞いてくるようなことはなかった。その言葉に大人の男女のアダルトでミステリアスな関係をほのかに感じ取った二見ときわ。
「……だってさ、聞いてた?」
「え? あ、いや! おっぱいが気になって聞いてませんでした、ごめんなさい」
ミス・リードとの通信は既に切れていた。
原田は今になって、照れ臭そうに頭をかきながら言った。
「いやあ、まったく、恥ずかしいからあんな言い方はやめてくれって言ってるんだけどね。」
ときわはおそるおそる聞いてみる。
「もしかして原田さんって、ミスリードさんの知り合い?」
「そういうわけじゃないけど、好かれているみたいだね。強制呪文の一種で、わりと簡単なスキルだよ」
「わ、わーず?」
「言葉の力のみで、相手に行動を強制させるんだ。今回は登録名を利用して、特定の言葉を喋ってもらえるように彼女を操作したんだ」
やっぱり魔法使いってすごい。そう思うときわだった。
「よろしくお願いします、センパイ!」
「え、どしたの、急にかしこまっちゃって」
「いえ、魔術師としてセンパイですから、当然のことです」
自転車に乗っていなければびしっと気を付けをして敬礼するくらいの勢いだった。
国道491号線。
木々のざわめく音に紛れ、ほうほう、きいきいと、謎の獣たちの声が都会出身者の心をへし折る。口に飛び込んでくる羽虫や顔にかかるクモの巣に敗れた参加者もいた。漆黒の崖下に落ちていったものは、幸いながらまだいない。
ときわと原田が10分も走っていると、ぽつぽつと他の参加者とすれ違い始めた。中には、自転車から降りて押して進む参加者たちもいる。
街灯はもちろん、両側からせり出す木々に挟まれ、星明りすら届かない。道は大蛇のようにくねり、しかもアスファルトが割れたり、砂利がかぶっていたりしている。少しタイヤを滑らせただけで、数メートル下の山中へ真っ逆さまとなれば、歩くという選択肢はむしろ当然かもしれない。
道のわきで座り込むものもいたし、逆に道を戻っているものもいた。
二人の魔術師は、すいすいと山道を登っていく。
ときわのFX3の斜め上にぽんと浮かぶ光の玉は、≪灯火≫の呪文で作り出したものだ。夜の山中を走るということで、心配して師匠の長門青海が教えたのだ。
「へー、ときわちゃん、便利な魔法が使えるんだねえ」
「えへへ、ありがとうございます! 師匠に教えてもらったんですよ。センパイはこういうの使えないんですか?」
「あいにく、直接攻撃系魔法は専門外でね」
自動的に先を照らす光は、この異世界においてはチートレベルの便利さだった。
と、そのとき、ときわと同じ年頃の女子の集団とすれちがった。
こわかったよねー。あり得ないってー。そんなことをいいながら、道を逆走してくる。リタイア組だろう。
「おや、珍しいね。まさか女の子の集団に出くわすとは」
原田がじっと女子生徒を凝視する。その目はひたすら真剣だ。かと思うと、とたんに興味を失ったように、ため息とともに目を逸らした。
目ざとくチェックしていたときわがたずねる。
「何をしているんですか?」
「確率操作を発動したのさ」
あいかわらず、さも当然のような口調の原田。
「おおっ、すげえ! で、何が起きたんですか!?」
「あの女子生徒たちは、スカートの中にスパッツを履いている」
心底つまらなそうに、原田は言った。
「……は?」
「聞こえなかったかい? あのスカートの中は、スパッツの防御がかけられている」
「あの、それって透視したんじゃ?」
「ん、違うよ。透視みたいな直接系はニガテだって言ったろ? ボクが行ったのは、あくまで確率を極大化しただけさ」
さっぱりわかんない。ときわが首をかしげていると、原田は優しく解説を続けた。
「女子たちの中には、スカートの中が見えてしまうことを気にしない人も多い。体育会系とか、中学生以下の子に多いかな。けれど、どんなに気にしない女性だったとしても、必ず0.01%の恥じらいは見える。ボクの確率操作は、その0.01%の確率を極大化させるんだ。
で、今の女性たちには恥じらいが全くなかった。中身が絶対に見えないと安心しきっている証拠さ。つまり、中にスパッツを履いている。
0%はどんなに極大化しようが、ゼロのままだからね。すぐにわかるんだよ」
「ほ、ほう、なるほど、かくりつをきょくだいか、ですか……」
よくわかんないけど、なんかきっとすごい人なんだ。理解しきれない魔術理論を展開され、ときわは無理やり納得させられた。
さて、その数キロ先。
『さて、トップは依然スプリンター後藤選手。たった一人で暗闇を切り裂き、進んでいきます。
気を付けてくださいねー、ここらはダム湖や川と並走してます、落ちたら本当に死んじゃいますよぉ!』
「わかってる、しかしここで止まったら、死んでいった仲間たちに顔向けできん!」
決死の覚悟で進む後藤。
仲間たちはセンザキッチンに戻り、ビールを飲みつつ鯨カレーを食べていた。控えめではあるが、確かに天国にいる。
必死で走る後藤は気付かなかった。いつの間にか、周囲から音が消えていたことに。
名も無き池の脇を通り過ぎる。池には枯れ果てたヒノキが立ち並んでいた。
水面は不自然なほどに澄んでおり、鏡のように立ち並ぶヒノキを映し出している。
ざわり、と周囲の木々がうごめいた。