08 二人目の魔術師とシーサイド・ランデヴー
国道191号線を直進した二見ときわは少しずつブレーキをかけ、無難に速度を落としていた。
ルートを外れたとはいえ道は続いているし、対向車がいるわけでもない。あのスピードでムリに曲がるよりも、こちらの方がずっと安全だ。
が、しかし。
「はー、一時はどうなることかと……って、うわぁっ、そこの人、どいてどいてーっ」
「え? うおぉ」
暗闇に急に現れる人影。ハンドルを切って避けようとするときわだったが、二人は女騎士とオークのように引き寄せられていく。
どん。
停止しきれなかったとはいえ、ほとんど止まる直前だ。ぶつかった衝撃自体はほとんどしなかった。
はあ、よかった。
ときわが胸をなでおろそうとしたその時、水音が響く。
――ぼっちゃん。
二人が共に向かった方向は、運悪く道路の海側だったのだ。ガードレール下は、夜の漆黒の日本海の崖っぷち。
ぶつかった衝撃で、男の手から何かがこぼれ落ちるのが見えた。それはガードレール下をくぐりぬけ、あっさりと海へとダイブした。
「あぁ、ボクのリサちゃんが……」
男はガードレールから身を乗り出し、飛び込まんばかりの勢いで下を覗き込んでいた。
「ごめんなさいっ、ほんとすみません。すぐ取ってきます!」
とは言ったものの、夜の海はコールタールを溶かしたように真っ黒だ。不気味だとか以前に、見つかるわけもないだろう。
「あー、いや、いいよ。別にそんな高いものじゃないし」
「でも……、何を落としたんですか?」
「サドルだよ、自転車の」
見ると、少し離れた位置に彼の自転車が停めてあった。ときわには車名まではわからなかったが、ねじ曲がったハンドルがいかにもなロードバイクだ。
整備をしていたようで、荷物も広げられている。
もしかして、参加者? 疑問が胸に浮かぶ。
ときわの顔を見て察したのか、男は説明してくれた。
「そうだよ、チャリチャンの参加者さ。使おうと思ってたサドルが合わなくてさ、交換しようとしてたんだ」
ああ、それでコース外にいたのか。納得するときわ。
「ごめんなさい、私のせいで、走れなくなっちゃって」
謝るときわの声を、男が遮る。
「気にしなくていいよ、換えのミホちゃんもいるから。ほら」
男が取り出したのは、ロードバイク用とは思えない、平べったい形のサドルだった。ときわにもなじみの深い普通のママチャリ用のサドルに見える。
「ああ、ボクは見ての通り太ってるからね。これくらいの大きさでちょうどいいのさ。ボクの名前は原田。君は?」
「ときわです、二見ときわ。魔術師です」
思わず流れで口を滑らせてしまったときわだったが、それに対する原田の返事は、彼女にも予想外なものだった。
「へー、若いのにすごいなあ。ボクも実は魔法使いなのさ、あと二年で大魔導士かな」
「はぇっ!? まじですか! 師匠意外で魔法使いとか初めて見るよ、どんな魔法を使えるんですかっ?」
目をキラキラさせて質問するときわ。
原田は少し照れ臭そうに答えた。
「別にそんな難しいのは使えないよ。そうだね、精神創造とか確率操作とかかな」
「すごっ! なんかわかんないけど、すごそうっ!」
「すごくないよ、すごく限定的な術だからね。例えば、君には使えない」
彼はときわの服装を一瞥して言った。
へー、なんだかわかんないけど、すごいんですね。感心するときわに、原田は苦笑いで返した。
「良かったら、一緒に走る? 順位を狙ってるわけじゃないから、のんびりだけど」
「いいんですか? よろしくお願いします!」
その申し出はときわにとっても願ったり叶ったりだった。
ところ変わってセンザキッチン。
中継車で移動しようとしていたミス・リードの元へ、続々と悲鳴が届いていた。
「もしもしリードさん? どう見てもここ、国道には見えないんだけど」
『大丈夫です、国道に見えないのなら、その道で間違いありません』
「すみませーん、ライトの電池が切れちゃったんですけど、本気で真っ暗で何も見えないっす」
『朝を待ちましょ。え、添い寝? ゴールまで来てくれたら考えますよぉ』
「サルが出て来て、荷物を持ってかれちゃったんですが」
『残念です。とりあえず猟友会の皆さんに連絡しておきますね』
「暗いよー、怖いよー」
『あーもう、天井の染みでも数えていてください』
うんざりしたミス・リードは、一旦参加者からの通信をカットすると、携帯で本部へと連絡を入れた。
「もしもし運営本部? なんですかこの状況は!
道が悪いのは仕方ないにしても、サポート体制が整ってなさすぎます! これじゃさっぱりレースの体をなしてないですよ!」
彼女の不満はもっともだ。
ドローンにGPS、インカムと、参加者の管理面では過剰なサービスを行っているチャリチャン運営だったが、コースに関してはほぼ手付かずの状況だったのだ。
早口でまくし立てる彼女とは対照的に、電話からの声は非常にゆっくりとしたものだった。
「なあに、トラブルなんて自分で解決してこその自転車、自転車乗りだろう? サポートが無ければ走れないようなら、最初から車検のある自動車にでも乗っていればいいじゃないか」
「ぐっ、――でもっ!」
「大丈夫だよ、見ている限りはとても楽しめる。では、レースの成功を願っているよ」
トラブルなんて自分で解決してこその自転車乗り。三隅梨乃は、そのセリフに反論できなかった。
言葉に詰まっているうちに電話は一方的に切られてしまう。
「どうしますー、三隅さーん」
あくびを噛み殺しながら、ドライバーが聞いてくる。
「仕方ないじゃない。引き受けちゃった仕事なんだから、やれるだけ面倒見てやるわよ」
レースが始まってしまった今、参加者たちが頼るのは自分しかいないのだ。大丈夫、撮影が始まってから騙されたことに気付くなんて、慣れっこだったじゃないか。
ミス・リードは乾いたのどを”にしきのおいしい水”で潤すと、倒れていたマイクを引き寄せた。