07 魔力結晶とスケアリー・モンスターズ(なんかめっちゃ追ってくる)
脱落していったワイルド山村を放置して、ときわのFX3は路面をすべるように疾走する。
せまるデスペナルティ。再びアタックをかけるものの、またもや固いゴムに弾かれたような感触。
≪青嵐防御円≫で作られた厚い大気の層は未だ消えず、彼女を守り続けていた。
「なに、君? 超能力でも使ってんの?」
冗談交じりにデスペナルティは言う。これまでのアタックでときわが衝撃を受けた様子はない。もう少し体重を乗せた攻撃もできなくはないが、やりすぎて逆にこちらが弾き飛ばされてもつまらない。
なにか自転車に特殊な装備でも取り付けているのだろうか。
相対する少女がまさか本物の魔法使いだなんてことは、夢にも思っていなかった。
ミサイルのように夜風を切り裂いて走る二人。
自転車競技の素人であるときわには、そろそろ制御不能な領域が近づいていた。
そうこうするうちに、道のど真ん中に赤いパイロンが見える。
ルート491への分岐点だ。ここから、レースは山道へと入る。
「行くぞフィニス、ここからは俺たちのためのコースだ」
シルクハットを片手で押さえたままで器用にリーンインを決め、デスペナルティはルート491へとハンドルを切る。
対するときわは、叫んでいた。
「うわわっ、どいてー!」
叫びながら、国道191号線を直進していくときわ。当然ながら、並んだパイロンは微動だにしない。ときわは道を曲がるどころか、その間をすり抜けるので精いっぱいだった。
『おおっとデスペナルティ選手、華麗なコーナリングを披露しつつ、ルート491へ突入していくぅ! 並走する二見選手も、……ってあれ? ちょっとっ、ときわさぁんっ!
ときわ選手、そのままコースアウトです。そっちは違う穴ですよぉ、ちゃんとその前の穴に突っ込んでくださいっ!』
ミス・リードまでつられて声が大きくなる。それもそのはず、山の多い山口県では電波が届きにくい。いくら専用のインカムとはいえ、コース外に出られてしまったら通信が届く保証もないし、ドローンでもカバーできない。
地元民のときわなら迷子になることもなかろうが、だからといって放っておくわけにもいかない。
「あらら、これじゃどうしようもないな」
予想外のときわの行動に、デスペナルティすらあきれ顔で後方を見つめていた。
と、その後ろには、追い上げてきた一台のママチャリ。≪疲労回復≫の魔法をかけてもらったダークネス・ネロだ。
「あれは、さっきの少女……?」
ネロは直進していく白いライトを心配そうに眺め、分岐点で自転車を止める。キッと高い音を立て、軽い慣性がネロの体を優しく揺さぶった。
カラン、と小さな音がして、路面に目をやる。
そこには、青く光る水晶が落ちていた。
これは、あの少女が落としたのか。それとも、先を行くシルクハットの?
彼女が戻ってくるのを待つべきか、ネロは少し迷った。ルート191に消えていった白い光は、闇に飲み込まれすでに見えなくなった。
まあいい、あの少女ならおそらくそのうち追いついてくるだろう。ダークネスネロは自分への言い訳を用意して、水晶をポケットにしまった。
その水晶を、稀代の天才魔術師レアリー・ホワイトウェルが創造した魔力結晶であるとも知らずに。
さて、ダークネス・ネロを襲う”敵”の話をする前に、まずはルート491の説明から始めなければなるまい。
――国道491号線。そうだ、それは紛れもなく国道なのだ。
それは、山口県の南北をつなぐ、主要道路。それは、下関市と長門市をつなぐ重要路線。
それは、「酷道」とあだ名されるほどの、未整備のルート。
かろうじてアスファルトは打ってあるものの、すれ違うことも不自由な道幅の悪路が続く。
道を一歩踏み外せば即数メートル下へ転落するという崖っぷちの道でありながら、街灯どころかガードレールすらない。そんな道が延々と続くのである。
『←下関市』の看板に騙されて一歩踏み入れたが最後、Uターンすらできない地獄の崖っぷちが続くのである。
ふうふうと後ろで音がする。
なんだ? ネロが振り向くと、そこには数頭の野獣が並走していた。
「な、こんなやつもチャリチャンに参加しているのか……?」
参加しているわけがない。
その獣は四つ足で息荒くネロを追いかけていた。口元には鍾乳石の様に滑らかなクリーム色の牙。口元からよだれと生温い吐息が吐き出され、ネロは足元からぞわぞわとした感覚に襲われた。
セプテム・ラケーテががつんがつんと揺さぶられる。野獣はネロの背後から、執拗なアタックを続けていた。
ニホンイノシシ。
ボタンに例えられ非常に美味なその肉も、攻撃に回れば凶暴で硬質な鉄塊だ。フレームがカーボンだろうがステンレスだろうが、彼らにとってはたいした違いではない。
ネロは驚愕した。妹を野良犬から守ったのは、確か小学生のころだろうか。野生の獣に襲われる経験なんてそれ以来だ。
今回守るべき相手はいないとはいえ、危険性は野犬の比ではない。
ネロは軽いパニック状態で必死にペダルを踏み込む。こんな時に限って、回りに並走するライダーもいない。
左右はどちらも木々が立ち並び、いつまた次のニホンイノシシが現れるかもわからない。
不安を必死で押さえつけ、じっとライトの照らす先をにらみつけ、とにかく走る。
ふうふうと、一匹のイノシシがスピードを上げ、ネロの横に並んだ。
まずい、このままではやられる。
ネロはセプテム・ラケーテの左右に取り付けてあったペットボトルを思い出した。ジェット・ブースターと名付けられたそれは、ペットボトルロケットの要領で中のエアを一気に噴き出し、自転車を加速させる。
その勢いでなんとか引き離すしかない。
ネロは神に――いや、悪魔に魂をささげるような気持で、手元のスイッチをぐっと押し込む。
同時にネロのポケット内で、魔力結晶が淡く光った。しかしその輝きに、ネロ自身は気付くことはない。
魔力光を発しながら、ジェット・ブースターは一気に中のエアを噴出した。
本人も予想していない、強烈な加速が襲った。ぐんと巨人の手で持ち上げられるような浮遊感、直後に軽い数度の衝撃。ラケーテは一瞬ではあるが宙を舞い、浅くバウンドしつつ着地したのだ。
それだけではない。起動した瞬間、ブースターはエアとともに魔力を含んだ炎を噴き出し、後方のイノシシたちを巻き込んだ。ボトルの栓は弾丸となり、迫りくるニホンイノシシを襲った。
ぎゃひいい。
絹を裂くような悲鳴とともに、ニホンイノシシたちは倒れていく。崖を転がるように落ちていったものも、怯えから足を止めるものもいた。
「た、助かった……?」
ネロは何度も不安げに後ろを振り向き、確認する。安堵とともにどっと汗が噴き出してくる。
深呼吸をすると喉に鉄の味を感じ、ポカリでゆっくりと押し流す。
それにしても――
「我ながら恐ろしくなるな。加速装置を開発したつもりが、加速兵器だったとは……」
確かにテストは行っていないけれど、まさかこんな殺傷力を持つ兵器だったとは。
スタート直後に使わなくてよかった。マジで。
色々な意味で安堵したダークネス・ネロは、再びペダルに足をかけた。