06 始まる死刑執行とハイウェイ・トゥ・ヘル
スタート直後、先頭集団では静かな戦いが行われていた。比喩ではない、そのままの意味での闘争だ。
中心人物は、エントリー№49、デス・ペナルティ。
死刑の名を冠した彼は、ダークネス・ネロとまた違ったベクトルでの”黒さ”をまとっていた
はしりながら、片手でシルクハットを抑える。運転しつつも景色を楽しむかのように、ふらふらと回りを見回す。営業時間の終わった商店街の暗闇を駆け抜け、戦場は海沿いの国道へと移る。
のぞき込むような視線の先には、ロードバイクの集団がいた。身体的にも自転車的にも、この大会をレースとして捉え、真剣に戦っていることがわかる。
内側からひっそりと死が近づいていく。
彼はヘルメットのかわりにシルクハットを深くかぶり、癖の強いウェーブがかった長髪を押さえつけていた。
視線はサングラスで隠されており、腰丈のマントを羽織っていた。
マントの色は、もちろん漆黒。レスポールでも持ってくれば、すぐにステージに立てそうないでたちだった。
またがるのは、SHINEWOOD FINISS。MTBというチョイスは、山口県の悪路に合わせてのものなのか。
ロード乗りたちの集団は、とある企業に属する自転車愛好会のメンバーたちだった。デスペナルティの最初の犠牲者となったのは、最後尾の男、オールラウンダー佐藤。
デスペナルティは、FINISSの前方につけられたバスケットステーで、佐藤の後輪にアタックをしかける。バランスを崩しかけた佐藤は、持ち直そうとして一瞬スピードを落とす。次の瞬間、並走する形になったデスペナルティに、道路わきの用水路に蹴り落された。
続いて犠牲になったのは、クライマー東藤とルーラー新藤。後ろの物音に気付いて振り返った彼らは、異常接近している黒い影に気付く。
体当たりするほどに接近していたデスペナルティをよけようとした彼らは、ガードレールに接触したあと、もつれ合って脱落していった。山口県特有のオレンジ色ガードレールに慣れていない彼らは、暗闇の中、距離感を見誤ってしまったのだ。
『おおっとぉ、ここで、事故のお知らせです。スタートからトップを走っていたロード乗りチームのうち、三人が連続して接触事故を起こし、倒れていきましたぁ!』
「おや、拍子抜けだね、勝手につぶれていくとは」
残念そうにつぶやく、デスペナルティ。
蹴り落された佐藤はともかく、残る二人に大きなケガは無かった。とはいえ、すぐに復帰できる状況でもない。
ミス・リードの実況を聞き、彼らのリーダー、スプリンター後藤は振り返る。
暗闇の中、浮かび上がる漆黒のMTB。
一体何があったんだ、さっきまでみんなで走っていたはずなのに。
一人ずつ暗闇へ飲み込まれていく、レースではなくB級ホラー映画のような展開に、後藤は息を飲んだ。
「へえ、君、ずいぶんお高い自転車に乗っているじゃないか」
「なっ、きさま、みんなはどこだ、何をした?」
「別に何も。ああ、一人は確かに俺のフィニスにぶつかってきたけどね。あとの二人は、勝手に自爆していっただけさ」
「そんなバカなことが信じられるかっ!」
「ふん、じゃあ第三者に聞いてみようか? ……ミス・リード、聞いてたかい? この疑り深い彼に、俺の無実を説明してやってくれよ」
『え? えーと、オールラウンダー選手とデスペナルティ選手は接触してますよ。ですが、そのあとの二人には、確かに触れていません』
運営はどこかしら歯切れの悪い説明をする。
ふん、触れてはいないだと? だが、それ以外の妨害行為はあったのだろう。
ゆっくりとデスペナルティはケイデンスを上げていく。
後藤の切り替えは素早かった。まっすぐに向き直ると、すぐに前傾姿勢を取り、集中力を回復させる。
「ふざけるなっ、そんなMTBごときに追い付かれてたまるかっ!」
後藤は吠える。後藤の怒りを彼の新しい愛車、ORCA AEROは造作もなく受け止めていく。
エアロの名が示す通り、空力を徹底的に追求したボディ。だが、オルベア社が目指したものは、単なる机上の数値ではない。実戦で勝利をもぎ取るタフネスだ。エアロとは研究対象ではなく、戦いのための武器なのだ。
『いやんっ、スプリンター後藤選手の太い筋肉が、いきなり激しいピストン運動をはじめました! みるみるデスペナルティ選手を引き離しますぅ。いやん、一人でイカないでっ!」
(こいつはヤバい。お前は生き残れよ、TTスペシャリスト斎藤っ!)
後藤は心の中で、仲間の無事を祈る。ストイックな男だ、一人で限界に挑みたいと言い、今回は単独行動をとっていた。
ずるずると引き離されていくデスペナルティだが、笑みは消えなかった。
「ふふ、あれは大物だ。一番おいしいものは、最後に食べなくちゃね」
悔しさがないわけではないが、一気に全てつぶそうというのはさすがに無理だ。
それに、この後すぐにコースは山道に入る。いずれ追い付くと踏んでいた。
デスペナルティは足を緩めると、巡航に入る。第一目標をつぶした彼は、レース全体を眺め、めぼしい獲物をピックアップしていた。
「なんだ、意外といい自転車もいるじゃないか」
ママチャリだけかと思ったら、意外にも幅広い参加者に少し驚く。ほとんどはディスカウントショップにあるような安物だったけれど、彼の胸は熱くなる。
そんな中、デスペナルティは一人の少女を見つけた。熟れた茄子のような艶のある黒髪。前髪が変にナナメなのは、風で揺れているせいではない。
「ふむ、FX3か。さっきのORCAもそうだったけれど、まだピカピカだね。おろしたてかな?」
ゆっくりとFX3に近づいていく、デスペナルティ。
最初に気付いたのは、少し後ろを走る山村だった。
「おいときわ、あぶねーぞ」
「え? あ、うわわっ!」
突然接近してきた自転車に戸惑うときわ。
遅いよ。にやりと笑い、ハンドルをときわの方に向けるデスペナルティ。
「わわっ。ちょっ、ぶ、≪青嵐防御円≫っ!」
突風が巻き起こり、FINISSの前輪が透明な壁にぶつかったように弾かれる。驚きつつも難なく立て直すのは、さすがというべきか。
「くそっ、ミスったか。まったく君もラッキーだねえ」
「あぶねーなお前、何しやがる」
山村がダッシュをかけて隣に並ぶと、こづくように蹴りを入れる。相手がよろけるとときわにぶつかるというのに、まるでお構いなしだ。
デスペナルティの信念を持った破壊活動とは違い、ただのチンピラの行動だった。
「君を傷付けるつもりはなかったんだけど、邪魔するようなら少しどいててもらおうかな」
デスペナルティはモンテカルロの変速機に手を伸ばし、おもむろに引き下げた。急に重たくなるペダルに失速するだろうという思惑だったが、その前にがきゃんと嫌な音がして、山村のスピードがゆっくりと落ちていく。
モンテカルロのチェーンが外れたのだ。
「くそー、おまえおぼえてろよー!」
惰性で走行する山村は、最後まで口汚く叫んでいた。
彼の愛車は長年の酷使により、各所にガタがきている。チェーンが外れやすいクセも、その一つだ。
調整してやれば直るのだが、不幸ながらその知識は彼にはなかった。
山村は一度自転車を停めると、チェーンをギアにかけ直す。縁石に自転車を固定すると、ペダルを勢いよく蹴っ飛ばす。
「うし、直った!」
男の子ならではの、強引な直し方だ。皆さんは真似をしないように。
既に二人は闇の彼方だ。ワイルド山村はマイペースでレースを再開した。