03 魔法使いの少女とクロスバイク
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ところ変わって、山口県いなか市いなか町、県立いなか高校理科室。魔術研究部の部室である。正確には、無許可で占拠している。
女子高生であり、魔法使いでもある二見ときわは、るるるという旅行雑誌の記事に目を落としたまま、隣の男子高校生に声をかけた。
「師匠ってさあ、どんな自転車に乗ってるの?」
マスターと呼びかけられたあどけなさの残る少年は、魔術師・長門青海。彼はときわの魔術の師匠であり、同じいなか高校一年生のクラスメイトでもあった。
「え、自転車って、種類があるのか? ゴブリンみたいに?」
青海は、驚いて聞き返す。
ときわは、トレードマークであるナナメに切りそろえた前髪を、くるくると指に巻き付けた。考えごとをしているときの癖である。どう答えたものかと困っているのだ。
彼の疑問はもっともだ。いなか町にある自転車屋さんといえば、わずか一軒のみ。そこも本職はバイク屋であり、数種類のママチャリが置いてあるだけの店なのだ。
一応カタログは置いてあるし、クロスバイクなども注文すれば取り寄せることもできるのだが、何かしらとっかかりでもないと、なかなかそこまではたどり着けないものである。
いなか市の住人たちにとって、自転車とは二種類しかない。すなわち、中高生が通学に使うやつと、おじさんがガニ股でこぎ、ブレーキをからけたたましい高音が鳴り響くやつだ。
ちなみにゴブリンも、同じように見えて種類は多い。ホブゴブリン、レッドキャップ、モグなどの種族だけではなく、戦士や占い師、料理人など、職業による区別もある。
ときわは自転車にも種類があるのだということを素人なりに説明すると、感心する青海の横で、再び記事に目を落とした。
ときわが読んでいた記事は、とある自転車レースの案内だった。
『チャリンコマンズ・チャンピオンシップS、参加者募集中!』
公道を借り切っての自転車レースで、長門市から下関市までを走るらしい。らしいというのは、詳細なルールが書いていないためだ。もっと正確に言えば、ルールが緩すぎて逆に守るべきルールがわからない。
自転車と名の付くものならば、何でも参加OK。参加資格は、自転車に乗れること。主催者側の指定したルートさえ通れば、それでいい。とにかく先にゴールしたものが勝者である。しっかりしたルートが書かれていないのは、単にスペースの関係だろうか。
こんな怪しげなイベントに、誰が参加するというのだろう。
「あー、どうしよー」
それでも、ガラにもなく自転車レースに心惹かれるのは、わけがある。
二見家の納屋に眠っている、Trec FX3 Women's Disk。その名の通り、トレック・バイシクル社が女性向けに開発したクロスバイクである。
ローエンドモデルではあるものの、白くペイントされたアルミフレームは十分に走りに耐えうるものだった。
FX3が二見家に来たのは、ときわの高校入学数日前。当初は自転車通学を予定していたときわだったのだが、浮かれて張り切り過ぎた父親が買ってきたのは、なんとスポーツ用のクロスバイク。
学生は荷物が多い。カゴも荷台もないこの機体で、どうやって通学しろというのか。それでも荷物だけの問題ならば、トレーラーを付ければ解決するかもしれない。
しかし彼女は女子高生。花のJKである。比較的アップライトな姿勢で走れるFX3とはいえ、スカートという大問題が存在する。年頃の乙女の白銀のゲレンデを、そう簡単に人目にさらすわけにはいかなかった。
ちなみに広い日本の中にはスカート内にレーパンを履いて通学するJCもいるようだが、ときわはそこまでガチの自転車乗りではない。かといって、レースのカーテンに隠れて恋愛小説を読むほどお嬢様でもない。結局は休日に少し乗っておしまいという、値段を聞いたら怒られそうな使い方になってしまっている。
要は、この新しい自転車の使いどころが欲しかったのだ。
しかし、いくら元気がとりえのときわとはいえ、恥ずかしさが二の足を踏ませる。
初心者なのにこんなぴかぴかのロードバイクで出ておいて、遅かったらどうしよう。いや、そもそも回りがみんなママチャリだと、半端なく浮いてしまわないか。
というか、単純に一人というのが心細い。せめて一緒に出てくれる人がいれば、例え遅くても、一緒に走ってるからという言い訳もできるのに。
しかし師匠はさっきの調子だし、友達の蛍には、危ないからやめとけと逆に止められる始末だ。長門から下関というのが引っかかるらしい。せめて応援だけでも? いや、声援なんか来たら、それこそ逆に恥ずかしい。
ちなみにときわのFX3はクロスバイクであり、ロードバイクとは別のものなのだが、ときわはその違いを知らなかった。
しかしそれでも、
「決めた、出る! 一人でもいいや。だいたいこんな怪しいレースなんて、地域の小さいレースに決まってる。ママチャリのおいちゃんとか、通学用自転車の高校生とかばっかりの。うん、絶対そうだ」
大きい目標や葛藤など無い。親との対決もない。若さゆえの特権か、彼女は「やる」のハードル自体が低いのだ。
迷ったら、やってみる。二見ときわは、前向きな女の子だった。