02 セクシー女優と優しいジャーマネ
「はいいぃ? 自転車レースの実況ですってぇ?」
三隅梨乃は素頓狂な声を上げた。
「そ。梨乃ちゃん、自転車好きでしょ?」
「ええ、好きですよ、好きですけどー」
AV女優である三隅梨乃に、マネージャーの田中がどこからか持ってきた怪しげな仕事。それは、自転車レースの実況だった。
何の因果かAV女優という職にたどりついてしまったが、自転車が好きで、かつてはニュースキャスターを目指していたこともある。彼女にとってそれは、夢の切れ端とも言えた。
しかし、梨乃が声を上げたのは、夢がどうだとかいう理由ではない。
「いやいやいや、ありえないでしょ、こんなレースとか」
だいたい何よ、この「自転車ならなんでもOK」っていうアバウトな参加条件。しかもこれ、やけにレギュレーションが細かく書いてあると思ったら、○○も許可しますの連続で逆にわかりづらいわ。日本って、公道を貸切ったら、法律無視していいんだっけ? そして極めつけは、開始時間。10時”PM”? 真夜中じゃない。
素人が企画したかのようなルーリング。山口県という辺境の地。そして、国道を丸一日貸切るという大胆さ。まるでどこかの小説サイトで書かれたフィクションのような冗談さに、梨乃は詐欺か撮影の企画かどっきりかという三択を真面目に考えたくらいだ。
「自転車に詳しくて、12時間ぶっ続けで実況しても倒れないような、しゃべりと体力に優れた人を探してるんだってさ。なかなか良い人が見つからなくて、うちみたいな弱小事務所にも話が来たんだよ。どう? 梨乃ちゃんにぴったりだと思うんだけどなあ」
田中は梨乃のツッコミを聞き流し、優しい声で諭すように言った。
確かにその条件なら、梨乃にぴたりとあてはまる。というか、彼女のためにあるような条件だった。
「でも、他の仕事は?」
「大丈夫、予定は調整しとくから。うまくいけば、レース後の予定もね」
ん? 後半部分の意味不明な一言に、梨乃は首をかしげた。
「ニュースキャスターと実況の違いは僕にはわかんないけど、夢だったんでしょ、そういうの。別にAVの世界が悪だとか言うつもりはないけどさ、やっぱり、この仕事はつらいことも多いからね。戻ってきちゃだめだよ、こっちに」
さらりとこぼれた、予想外の言葉。梨乃の視界は、一瞬にうちに涙でぼやけた。ぐっと拳を握り、こぼれないように天井を見上げた。
ああ、そうだった。このマネージャーはこういう人だった。
いつも見ていないようで、しっかり見てくれている。つらい時も、本当に大切なものをしっかり守ってくれる。
きっとこの仕事も回ってきたのではなく、彼が手を回して手に入れて来てくれたのだろう。結果的に事務所を裏切ることになったとしても。
「ありがとう、あなたがマネージャーで本当に良かったわ。精一杯がんばってみる」
「うん、梨乃ちゃんなら精の一杯や二杯、朝飯前だよ。こないだも100人分をかけられたばっかりだしね」
ああ、そうだった。このマネージャーはこういう人でもあった。
梨乃の瞼の下にたまった熱は、みるみるうちに引いていった。
田中はそんな女性の機微などお構いなしに話を続ける。
「芸名、なんにしとく? まさか本名で出るわけにもいかないし」
梨乃はうーんと悩みつつ、何かないかと部屋の中を見回した。ふと、部屋の隅に置いてあったPRS Custom 24が目に入る。学生時代から弾いていたものだが、自転車に比べるとこちらは遊びだ。
「ポールだと男みたいだし、取っちゃいますか。うん、リード・スミスってどう?」
「外人みたいだね、男か女かもわかんないよ」
なんのことかわからないマネージャーは、素直な感想を述べた。
「じゃあミス・リードで」
それだけ言うと三隅梨乃は、話はおしまいとばかりにCustom 24を手に取り、指の向くままにかき鳴らした。