006.スペース(6)
フィン。
もう聞きなれたかと思った扉の開閉音が、やけに冷たく拒絶を感じさせる音に聞こえた。
ゴクリと、生唾を飲み込んだ時だった。
神秘的な光景に思わず目を奪われた、なんて事は無かった。
キングサイズのベッドに、何度かお世話になったことのある点滴がぶらんと固定台からぶら下がっていた。点滴袋から伸びる細い管は、そのままベッドで眠る幼女の腕へとつながっていた。
「……なっ」
一瞬、このリアルな光景に身構えてしまったが、残酷にも時は動き出す。
まるで俺がこの部屋に入るのが開始のフラグといわんばかりに、透明な管にツゥ、と赤い色がゆっくりと、ゆっくりと昇り始まる。
俺は知っている。
過去、ハードな仕事から衰弱して点滴を打つ程まで追い込まれていた頃、病院に駆け込むと同時に点滴を打たれやっと休める、と眠りこけた時だったか。1時間はたっぷりと眠っていた俺が目覚めたとき、ふと管を見ると赤い筋が視界に入る。
ゆっくりと視線を腕へと移すと、自らの血液がゆっくりと逆流を始めている事を視認し、慌てふためいた。そう、まさにあの時のような現象が目の前で起こりだしたのだ。
実際、管の中に入った血液が凝固して大きな問題に繋がるという事は無い事を後に知ったのだが、それは看護婦さんがいてくれる病院という環境にいたからであって。
「ちっくしょう!?」
ふざけやがって、と思わず悪態をついてしまう。
点滴袋にはまだ液体が入っていることが視認出来るが、あの点滴がいつまで続く設定なのかは俺にはさっぱりわからない。だが、これだけは理解してしまった。
管の中で血液が凝固する、つまりは点滴液の通り道が塞がれるという意味で。
このまま放っておくと、延命装置による恩恵は失われたままという事になる。
つまり。
「おいっ! 起きろ、なぁ!」
優しく頭から支えてゆっくりと体を起こすと、俺は幼女に声をかけていた。
だが一向に意識を取り戻さないことから、逡巡する。
次のフラグはきっと、この延命装置の針を外す事、そう考えると同時に針を抜こうと針元へ近づけた手をグッと押しとどめる。
「良い、のか?」
予感が、次の行動を迂闊に行わないように自らの意思を抑え込む。
もしもこの針を抜いて、それからどうする? 食料どころか、水すらも手に入らない環境だ。宇宙船の中はこの部屋が最後で、後は外へ出る為の扉らしき場所しか残っていない。
延命装置も役に立たない状態、だからといって延命装置を外したら完全に詰みの状態。希望がどこかに転がり落ちているとすれば、シナリオライターがこの幼女に対しての何かしらの物語を用意している事だ。決して、バッドエンドだけしかないとかそんな事は無いと信じたい。
NPCは一度死んだら生き返らない。
NPCとは思わない方が良い、あの世界の人は現実の人間と何も変わりない。
NPCは現実よりも、良い奴も悪い奴もはっきりしている。
あぁ、くそっ! 事前情報がなければどれだけ気楽に次の展開をワクワクして進める事が出来ただろうか。どれだけこの没入感が淡ければ気に病まずにNPCの生死を見送る事が出来たのだろうか。
ゲームの世界でまで責任を負いたくなんて無い、なのにそれを許さないリアリティとシナリオは俺に一つの覚悟をもたらす。
「わかったよ! やるしかねぇんだろ!?」
「聞こえているか!? 運営、語り部、こんな悪辣な設定下だろうが俺は何処までもあがいてやるからな!?」
抱える幼女の体を寄せ、俺は腕に刺さる針を抜き去った。