『花売り』
昼に起き上がる時には、腕の間にすっぽりと同居人の茶髪が収まっていた。
帰ってくるころに居なかったということは、昨日はオールだったのだろう。
薄い胸へ遠慮なしにねじ込まれた頭を、仕方なく手のひらで撫でる。
ふわりと柔らかい髪の感触がした。
「ふぁ……キョーちゃん……?」
「ネル、起こしちゃった? ごめんね、もう少し寝てていいから」
「んんぅ」
眠たげに唇を動かす友人の腕から脱し、生ぬるい空気をいっぱいに吸い込む。
少しだけ上等な一人分の部屋を二人で借りていると、他はともかくベッドのスペースだけは足りなくなるものだ。
幸い、寝相はお互い悪くないのだから、並んで眠ればいいだけの話だ。
今更それにストレスを感じるようなことは無い。
着替えを終え、部屋を出ると、宿の主人が新聞を読んでいるのが見えた。
二人が共同で借りているのは、いわゆる酒場兼宿屋の2階である。
正確に言えば、友人がここの住み込みの従業員であり、キョーカはそこに間借りしているという形だ。
宿賃こそ払っては居るが、部屋のランクに比べればだいぶ安い。
「おはようございます、マスター。果物か何かあります?」
「……ドライフルーツなら。勝手に取っていいぞ」
「どーも」
厳しく角ばった表情から、印象そのままの声が発せられる。
客商売にしては愛想が無いと思うが、この男にもいろいろあるのだろう。
今の所聞く気も無いし、向こうも話す気は無さそうだ。
それでいいと、キョーカは思う。
「……今日は休みか?」
「はい、今日はオフです。働きすぎで死にたくはないので」
「道理だ。いい心がけだな」
思春期の娘に声をかける父親みたいだなと思い、少し鼻から笑いが漏れた。
悪いヒトでは無いと思う。こんなファンタジー世界のラブホテルのような、アングラな店の経営者としては、だが。
「ネルならまだ寝てますよ」
「構わん」
ネルはこの小さな酒場で、歌姫として立っている。
本人が言うにはなかなか好評らしい。『抱かれる』方も含めて、だ。
こんな店に常駐するようなのは普通はもっと小汚くて、何の病気を持っているかも分からないような肉付も悪い娘だ。
それに比べれば、前世の技術や知識で磨かれたネルの容姿は、随分とお買い得に見えることだろう。
「店の掃除くらいはしておきましょうか」
「……ああ、助かる」
そんな友人が働く場所だと思えば、ピカピカにしてやるのも悪くない。
どうせ休日だからといって、やることもそう多く無いのだ。
行きつけの店を2~3巡れば用事は終わるし、ベッドはまだ占領されている。
……
…………
「よーう、『黒猫』の嬢ちゃんはいるかい」
掃除をしながら数刻、少しづつ陽は傾いてきているがまだ高い時間帯。
開店前の戸を押し開けて入るのは、熊のような身体と毛深さを持った男だった。
「……ああ、ゴロズさん。もしかして昨日見つけた死体の件?」
「相変わらず嬢ちゃんは話が早いねえ。おかげで色々助かるわ」
ガッハッハ、と笑うこの男はこの街の冒険者組合の幹部で……
ぶっちゃけると、ヤの付く兄貴のような人である。
味方の内は頼もしいが、きっと怒らせると容赦が無いのだろう。
いくつもの切り傷が付いた筋骨隆々な腕からも、それは察せられる。
「ずいぶん話が早いんですね。普段はもう少し間が空くのに。やっぱりどこか偉い人の子供だったり?」
「おう、おかげで蘇生は問題なく出来そうだって喜んでたぜ。ひでえハゲタカは皮や骨まで剥いで売るからな。それに比べりゃ天国だ」
「ってことは、もう死体は見つけたのね。先に来てくれればよかったのに」
まだ死体を見つけられていないなら、位置情報が売り物になるからだ。
まあ推定パーティメンバーが居たようだし、元から望み薄だったか。
「で、買い戻しは何です? やっぱりナイフ?」
「いんや、ボタンだ。襟留めのヤツな。まだ残ってんだろ?」
「ボタン? ……そりゃ危ないね、今日売る所でしたよ。早く来て正解」
「だろう」
にっこりとお互い笑顔を浮かべて、火花を散らせる。
何故なら、ここからは商売の話になるからだ。
多くの『屍肉漁り』は学が無いため、簡単に言い値を付けられることが多い。
そのつもりでキョーカに挑むと、財布の底までふんだくられるだろう。
ゴロズのような立場が上の者が来るのには、そういった理由もある。
その辺の職員では、あっさりと彼女に言い包められてしまうからだ。
「それで、そっちとしては幾ら払っていいの」
「んー、まあ50Gって所だな」
「ウソでしょう? ポーション一つくらいにしかならないじゃん。5000G」
「おいおい、いくらなんでもふっかけすぎだ。ボタン一つがポーション一個に化けるんなら随分割の良い話だろう?」
「ちょっとゴロズさん、間でいくら懐に入れる気? 絶対、先方からもっと貰ってるでしょう。例えばこのボタンのマーク、私が質に流しに行ったら随分困るんじゃないの?」
意地の悪い笑みを浮かべて、キョーカはゴロズに流し目を送る。
彼女としては、これで随分話を有利に進められる予定であった。
良い所の家がこういったボタンなどに仕込むものと言えば家紋であり、それが質に流されるということは、家を騙った手紙などがいつ現れてもおかしくなくなるのだ。
だが、苦しい顔を浮かべるはずだったゴロズは、逆に余裕ですらある。
「おうおう、やってみれば良いさ。今すぐ縛り首になりたいんならな」
「……ウッソでしょ、伯爵以上じゃん……それで冒険者街に来れる家なんて、一つしか無いし」
つまりはあの死体、辺境伯のお坊ちゃまであった。
それがゴブリンにボコられて死んでいるんだから、世も末である。
英雄願望で仲間を助ける前に、もう少し自分の身の重さを考えろと言いたい。
「いや、本当に感謝してるぜ。おかげで折角助けられたパーティの娘ごと断頭台に登らなけりゃならない所だった」
「……そりゃ、ハゲタカなんかに大金を渡せないわけだ。うっかり死んでた事実から無かったことにしたいわけね」
「いやぁ、黒猫ちゃんは頭の回転が早くて助かるなあ! おかげで部下に手を汚させずに済んだぜ。タダじゃないんだ、ああいうのも」
「やめてよ、マジ笑えない……」
下手に大金をせしめたら、口封じでその夜に川底に沈む羽目になっていた訳だ。
悲しいかな、人権の無い時代の社会的地位というのはそういうものである。
「200G。そんくらいは若い娘への小遣いで渡せる額でしょ」
「んじゃ、商談成立っと。まあ、借りが一つ出来ちまったなあ」
さすがに少しバツが悪そうに、ゴロズが顎髭をなぞった。
様々な事情があるとはいえ、おそらく万単位の予算を渡されて、その1%程度の額でキョーカに飲み込んで貰ったわけだ。
これで相手が何も分かっていない馬鹿ならともかく、キョーカはそうではない。
恨めしげ顔で睨まれるのも致し方なしであろう。
「んぇー……キョーちゃん、居ない……?」
そこにぽてぽてと降りてきたのは、キョーカの同居人であるネルであった。
ふわりとウェーブを描く亜麻色の髪に、蜂蜜のように甘く蕩けた声。
寝起きから髪を少し梳いた程度のだらしのない格好だが、それでもなお不思議と愛嬌を振りまいている。
「おっとネルちゃん、起こしちまったか。悪いね~、おじさん声が大きくてよ!」
「ちょっと、だったら私にも謝罪してくださいよ。ネルにデレデレしてないで」
先程まで、にこやかだが緊張感は張り詰めていたゴロズの圧が、ネルの登場と共に霧散する。鼻の下は伸び切り、もはや単なるスケベなおっさんであった。
「いやまぁ、黒猫ちゃんも可愛いんだぜ? でもよう、男としちゃやっぱりネルちゃんを守りたくなっちまうっていうか……」
「わぁ~、ゴロズのおじさま大きいから、守られ甲斐がありますねえ。あ、でも今のわたしスッピンだぁ、恥ずかしいー」
「これだよこれ……ん、守られ甲斐? まあいいや、可愛いから! ガハハハ!」
ぺたぺたの二の腕や胸板に触れる自然なボディタッチ。
こちらの世界でも年上キラーのネルは健在のようだと、キョーカは息を吐いた。
「キョーちゃん、今日おやすみぃ? 何のお話してたの?」
「別に? ゴロズさんが臨時収入あったみたいだから、どうにかおこぼれを引っ張れないかなーってだけよ」
「わ、おじさまお金持ちなのー? 凄いんだぁ」
「ガーハッハ! いやいや、あぶく銭だけどよ!」
「へー……」
それを聞いたネルは何やら視線を上に向ける。
そして何やら思いついたのか、手を叩くと花を咲かせたような笑顔を見せた。
「そうだおじさま、パーティーしましょうよ、パーティー! ギルメンさん達が昨日パーッと使える金がないって寂しそうにしてましたよー」
「あ? パーティー? あー……まぁ身に付かん銭は使っちまった方が良いよなぁ。それも良いかぁ!」
「花町の子たちも呼んでー。ね、ね? マスター、良いですよね?」
「料理が出せるなら俺は構わん」
これが営業トークであれば、ゴロズももう少しためらいを見せたかも知れない。
しかしネルは、純粋に自分含めた皆が楽しい提案をしているだけだ。
そういう所が私には無い魅力なんだろうな、とキョーカは思う。
「キョーちゃんも参加するよね? お休みなんだよね? ね?」
「なんだ嬢ちゃん、今日は遺跡行かねえのか? ん、てことは今日は『オプションセット』が買える日なのか……」
「……はぁ、ゴロズさんが終わった後ネルをフルで買うっていうなら参加しますよ。もちろんその分お金は頂きますけど、持ち金ありますよね?」
「そいつは堪んねえ提案だなぁ、うん。若ぇの3~4人呼んでくるかあ」
「じゃ、お花亭の人たちにお話しておきますね!」
「『月の花蜜亭』ね。あと、着替えてから行くように」
は~い、と軽やかな返事をして、階段を上がっていくネルを見送る。
目尻の下がった顔でそれを見ていたゴロズが、ふいに不思議そうな目でキョーカを見つめた。
「しかし何だなあ。黒猫の嬢ちゃんも抵抗が無いなら『ウリ』になった方がまだ良いだろうに。そのツンとした態度、好きな奴は堪んねえぜ?」
「……別に、抵抗は普通にありますけど。一対一とか冗談じゃないです」
「うん? その割には、ネルちゃんとはセット有りでよ……」
「ネルが頬張った後なら汚物でもなんとか口に入れられるってだけなんで」
「……君ら、どういう関係なの?」
どういう関係か、か。
そう問われると、一言で説明するのは難しいのだろう。
21世紀ほど関係の多様化が受け入れられていないこの世界では尚更だ。
さて、何と返したものだろうか。
「別に……友達ですよ。前世からの」
「あ、そう……」
わずかに格好付けた声で、シニカルに微笑んでみる。
残念ながら、大の男を数歩たじろがせる結果になってしまった。