『屍肉漁り』
頼りないカンテラの明かりが、崩れた石壁の表面を舐めるように照らした。
外ではもう太陽が沈み、星が散り散りに顔をのぞかせ始めている。
たいていの場合、冒険者達の遺跡探索は昼に始まるものだ。
そして日が暮れるまで遺跡に潜り、夜になる前に引き上げる場合が多い。
ゆえに、『屍肉漁り』の活動は今から始まるのだ。
出来たてほやほやの冒険者の死体を漁り、装備を剥ぎ取り、あるいは身元と場所を記したマップをパーティメンバーに売りつける。
その仕事は、まさにハゲタカの如く嫌われていると言っていい。キョーカは嘘や詐欺をしないためまだマシな方だが、それだってマイナスがゼロになる程度のものだ。
「靴紐、よし。身具、よし。火種、よし」
冗長だと思いつつも、一つ一つ口に出しながら確認していく。
ほんの一手間を惜しんだだけで命を失ったなど笑えもしない。
何しろ、これからそんな冒険者達を漁りに行くのだから。
「髪留め、よし」
最後に彼女は、黒く長い髪を紐で結い上げ、尻尾のように垂らした。
これからする仕事を考えれば短く切るべきかもしれないが、この世界ではこんな髪の束でも一財産だ。
何より、せっかくの友人が綺麗と褒めてくれる髪を、あまり切りたくなかった。
「……さて、行くか」
軽く屈伸をして膝を温めたら、今日も命を失う覚悟を決める。
遺跡の中は、たとえ浅い層であれそういう世界だ。
まして、しなやかな代わりに防具らしい防具も身に着けていないこの身体では、浅層のモンスターにすら簡単に致命傷を負わせられてしまう。
自分が死後の肉体をひん剥かれ犯される姿を想像すると、シニカルな笑いが出た。
……
…………
口元に咥えた小さな煙草が、チリチリと音を立てている。
運動能力を落とさないためあまり煙は吸いたくないが、それでも煙草を咥えているのは、これが周囲の獣を遠ざけるからだ。
キイキイと騒ぐ小さな鼠が、結果ゴブリンを連れてこないとも限らない。
そうして死体になったのだろう冒険者の姿を、こちらは何十と見つけてきている。
けれど、鼠の声もそう悪いことばかりではない。
注意深く耳を澄ませば、自分自身を獲物の元へと連れて行ってくれる。
「1人見っけ」
崩壊した壁穴を潜り抜けてストンと降り立てば、死体に群がっていた鼠たちが騒ぎながら散っていく。
キョーカはそれを確認すると、ついさっき抜けてきたばかりの穴にもう一度身を潜め、再度聞き耳を立てた。
前述した通り、ゴブリンたちが鼠の声を聞きつけてやって来ることがあるからだ。
じっとりと時間が過ぎ、どうやら今回は運が良かったらしいと一息ついたところで、改めて検分を始める。
若い少年が、何らかの鈍器で頭をかち割られて死んでいた。
先程まで齧られていたようだが、まだ肉はしっかりついている。
「そっか、一緒に帰れなかったか」
身体中に内出血の治癒痕があり、寸前まで魔法で回復を受けていたのが分かる。
袋小路に追い詰められていた割には、死に顔も勇ましい。
何より今、鎧装備でない女1人がなんとか抜けられる穴を通ってきたばかりだ。
「運が良ければ蘇生してもらえるかもね、あんた」
となると、少しの間は収穫は残しておいたほうが後のためだろう。
握っていた武器はゴブリンに奪われたのだろうが、サブウェポンらしき鉄のナイフもそれなりに安くはない品に見える。
案外、良家の息子が英雄願望に焦がれて殿を買って出たのかもしれない。
「それでゴブリン相手に死ぬようじゃあねえ」
財布の小銭からシャツのボタンまできっちり剥ぎ取り、彼女は笑みを浮かべた。
かわりに死体を通路の奥に寄せ、鼠避けのポプリ(香草入りの小袋)を握らせる。
後は気持ち程度に古新聞をかぶせ、石を置いてで固定すれば、虫や鼠程度は防げる上に多少はマシな見栄えになる。
『屍肉漁り』は薄汚い明日をも知れぬ仕事で、だからこそほんの僅かな礼節が今後を決めるのだと、キョーカは同居人から何度も言われている。
「それじゃ、もし次もあったらよろしく」
最後にナムナムと意味のなさそうな祈りを捧げ、再び壁穴へ潜り込んだ。
……
…………
全体を通してみれば、今日は充分以上の収穫だったと言えるだろう。
何が大きかったかと言えば、やはり鉄製のナイフが大きい。
作りもしっかりしているし、万が一思い入れのある品だった時の為にとっておきはするが、今から現金に変える時が楽しみでならない。
「んじゃ、そろそろ帰りますか」
即座に殺し合いになりこそしないが、収穫が大きかったことを同業者に知られるのはやはり避けたい。
大半は明日をも知れぬ食い詰め者であり、知られたその日に泥棒が入ってもおかしくないからだ。
そして、そんな風に気を抜いた時ほど、人は大失敗するものだ。
紐で止めていたはずの小銭の束が一つほどけ、ジャリンジャリンと音をたてる。
「ヤッバ……」
小僧みたいなミスを、と自分を責める時間すら『屍肉漁り』には与えられない。
音を聞きつけたゴブリンたちが、今にもこちらに向かってくる気配を捉える。
子供ほどの筋力と背丈とはいえ、それが集団で殺意をもって襲ってくるのである。
ろくに武具も付けていない女1人がどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。
「死んでから犯されるならまだしも、生きながら嬲られたくは無いなあ!」
故に、逃げなければならぬ。
まず落ちた小銭は追いかけない。欲をかいて死ぬのは最も馬鹿な事だ。
カンテラの中の灯も捨てていく。追われる状況では目印にしかならないし、何度も歩き回っている遺跡の道、暗闇に慣れた目さえあれば通れないこともない。
後は純粋な走力勝負だ。そうなれば、足が長い方が有利に決まっている。
「パルクール舐めないでよ、ゴブリン共……!」
走って、走って、走って。
崩れ落ちた柱を使い、遺跡の天井付近を抜けて出口までの最短ルートを駆ける。
なるべく高い場所を通るのは、ゴブリンなら「道を迂回する」という発想に至るまでしばしの時間を要するからだ。
防具の一つも身に着けて居ないのは、戦う前提の装備より少しでも身軽になったほうが生存力の足しになると考えたからだ。
考えて、考えて、考えて。
それでも避けられぬ死があると言うのは、いくつもの冒険者の屍が証明している。
「カッ……!」
キョーカが首元に冷たさを感じた時には、吊り上げられて息ができずにいた。
遺跡の地下一階に現れるモンスターは三種類。先程のようなゴブリンと、鼠の中の大物である化けネズミ。死体が魔物化したスケルトン。そして、スライム。
スライムは半分モンスター、半分トラップのような大型の原生生物だ。
あまり活発には動かず、獲物が真下に来た時のみ素早く触腕を伸ばし吊り上げる。
そうして絞殺した死体をゆっくりと捕食する、それだけの生き物。
明かりさえあれば初心者でも発見して避けられる、そんなモンスターであった。
「ぐ、えっ」
生きたくて、酸素を求めてキョーカは無意識に触腕に爪を立てる。
だが知能も痛覚も無い相手に通じるわけもなく、無慈悲に喉を締め付けられた。
そうしている内に頭の中は白ずみ、カモシカのような脚はだらんと垂れ下がり、入るべき力が入らなくなっていく。
全ての生命エネルギーを回しているだけあり、スライムの触腕は動きさえすればこの階層では随一の力を持つ。
女の力で外すなど、最初から出来るわけもない。
そう、最初から腕力で外すことなど考えてはいないのだ。
思い通りに動かない腕を、顔を伝うように動かしながら口元の煙草を握る。
噛み締めたままの歯から苦労して抜き出して、そのまま首元の触腕へ火を当てた。
スライムは反射で動くモンスターだ。
今の獲物が事切れる直前だなどと、高度な状況判断をする知能はない。
危険を感じればすぐに触腕を引っ込め、結果的に、彼女の体が宙に放り出される。
「げほっ! げぇっほっ! はーっ……はー……」
何度か咳き込み、深呼吸をして、やっと死の直前に溢れ出た脂汗を拭う。
命の危機。けれどそれは、この世界では決して珍しくはないものだった。
少なくとも、一度の機会が最初で最後だった頃よりは、よほど。
「……また煙草が手放せなくなったわ」
これだけは好きになれないと同居人に愚痴られつつも、やはり必須アイテムだ。
相手への言い訳を考えながら、キョーカは遺跡を後にした。