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世界は夢を見せるほど俺たちを嫌う  作者: 池田 ヒロ
記憶がないわけではない、記憶はここにあった。
90/108

◆90

 見張りや巡回をしているヘヴン・コマンダーは気にする気にはならなかった。そちらよりも、とても重要なことがこの先――オンイ峠道の先にあるのだから。


 あの廃集落にあったこの世界にそぐわない植物と青色の建物。あれこそが、自分の記憶を取り戻す道標! イアンはその場所で拾った小袋を見た。袋には紐がついていたが、千切れている。誰かが千切ったのか。それとも自然の摂理で切れてしまったのか。そのような憶測が脳に浮かび上がるが、今はどうだっていい。


 問題は自分の記憶なのだから。


 もう一度、やって来た廃集落――クライ廃集落。たった二日三日と空けただけなのに、懐かしく感じるも、その思いすらもどこか煩わしい。感傷に浸っている暇なんてないのだから。知るべきこと、やるべきことはあの青い建物だ。用事があるのは頭痛がしたあの建物だけだ。


 集落の中を早歩きで通り過ぎていく。気にしている暇なんてないのに、ここら辺はよくよく見れば誰もが住んでいないから自然と壊れたのではなく、何かに壊された跡があるようだった。それが長年放置され、潰れている。


「違う、そうじゃない」


 今は気にするべきじゃないのに。頭を振って、山の方にある緑を持つ木々が囲う青色の建物の目の前にやって来た。


「ぐっ……!」


 前回同様に誰かに頭を勝ち割られるような頭痛が押し寄せてきた。ひどく頭全体に痛みの波が襲ってくる。立っているのもやっとらしい。思わず木にしがみつく。


 ただ単にしがみついただけなのに、なぜだか優しい気持ちが込み上げてくる。ああ、植物ってこんなに温かいんだな、って。


「でも、行かなきゃ……!」


 ずっと木にしがみついて、頭痛を和らげたいと思っていても、そのままの状態ではいられない。前に進まなくては。


 イアンはズキズキと痛む頭と自分自身を落ち着かせるために、大きく深呼吸をして青色の建物のドアに手をかける。その途端、一番大きな痛みがやって来た。顔を歪め、立つことすらままならず。視界が悪い。目を開けていられない。


 薄ぼんやりと明るい視界に映るのは覚えているこれまでの記憶。レーラ、グーダン、オクレズ、タツ、エルダ、ウリエル――。


「ち、がう……」


 おもむろに口が動く。これは無意識なのだろうか。だが、その「違う」というのはどういう意味か。何もおかしな記憶ではない。大切な人、敵対する人の顔を覚えているだけなのに。


 倒れ込むようにして、その建物のドアを開けた。建物の中は簡素で、真ん中に『棺桶』(?)が。埃が被っていて、古そうだ。上にはガラスが覆われていて、誰かがやったのか。割られていた。誰が割ったのだろうか。


――ああ、そうだ。俺がしたんだ。


「俺がした?」


 唐突に何を思い出し言っているのか。この間棺桶のようなもののガラスを割ったのが自分だというのか。その証拠は? その記憶すらないというのにどうしてそう思ったのだろうか。


――楽園の女王(クィーン)を殺さなきゃ。


 また頭の中で自分の声が聞こえた。勝手な思考回路を回すのは止めて欲しい。こうして頭痛に見舞われながらも自分の頭の中で状況を整理しているのだから。


「うるさい」


 特にこめかみ辺りがひどい。自分自身の声が頭の中で響いてくる。もう黙っていてくれないか。今の俺にその考えと声は要らない。


――目を覚まして、ガラスを割って。


「うるさい」


 うるさ過ぎる。頭の中がぐちゃぐちゃ過ぎて破裂しそう。というよりも、いっそのことこんな痛みを受けるぐらいならば破裂した方がマシだ。


――目を覚まして、ガラスを割って、俺がするべき使命は楽園の女王(クィーン)を殺さなきゃ。殺さなきゃ。大切な人、守りたい人、いない。それでも、この世界は俺のためにある。あの人は俺のためにこの世界を創ってくれた。夢を見せてくれた。早く、早く。あいつが死んだから、俺も死ねる。きっと、死ねる。


「うるさいんだってば……!」


 寝転がることもつらい。イアンは手を棺桶みたいなものに触れた。そこから吸い上げられるようにより一層自分の声が聞こえてくる。


――目を覚まして、ガラスを割って、俺がするべき使命は楽園の女王(クィーン)を殺さなきゃ。殺さなきゃ。大切な人、守りたい人、いない。それでも、この世界は俺のためにある。あの人は俺のためにこの世界を創ってくれた。夢を見せてくれた。早く、早く。あいつが死んだから、俺も死ねる。きっと死ねる。だからこそ、あいつに逢えるんだ。今度は夢ではなく、本当に本物のあいつに好きだって面と向かって言える。そして、二人で一緒にずっと過ごすんだ。それが俺の夢。ずっと、ずっと、小さい頃から夢見ていた理想。独りぼっちの俺。そんな悲しみも時が来れば終わる。あいつに逢ったときから。ずっと、ずっと願っていたことが現実になるんだ。あの人の望む世界にすれば、俺だって報われるはず。俺だって死ねるはず。ずっと思い描いてきた想いよ、早く叶え。叶って。ねえ、叶ってよ。俺、ずっと待っているんだよ? ずっと、早くしなくちゃ。早く、早く、早く、早く、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、ハヤク、ハヤク、ハヤク、ハヤク、ハヤク――。


 渓谷、ヘヴン・コマンダーたち、追いかけられていた。それから逃れるために、どんな犠牲も問わない。その考えが頭の中にあった気がした。やつらもだ、というような大声が聞こえてくる。そちらの方を見れば、たくさんの荷物を荷台に乗せたトラックが。これは――爆弾?


 都合がいい。そう思い出す。なぜに都合がよかったんだろう?


――だって、大量に積んでいる爆弾があるでしょ? それ、しつこく追いかけてくる連中にぶつければ、もう追いかけてこなくなるよね。


――そうだ、自分にとってメリットがあるから……。


【お前っ!? 何を!?】


 大声で制止をかけようとする中年男性――そう、彼はグーダンだ。気にしていられない。こちらに迫りくるヘヴン・コマンダーが邪魔だからだ。


 視線が動くと、一人の少女が映った。レーラだ。こちらを睨むように見ている。なぜに睨んでくる? 俺が何かしたか? 何もしていないのに。


――ねえ、あの子ってさ……。


「うるさいって言っているだろっ!!」


 どんなに怒声を上げても、頭を振っても自分の声は収まりきれない。それどころか、余計にうるさい。何の話だということばかりが多い。


――一体、俺は何を? 何が何をどうしてこんな風に思っている? 何が言いたい? ねえ、俺何が言いたいの?


――俺はイアン・アリスじゃない。


「は?」


 自分の声がそう言ってきた。


――俺がイアン・アリスでなければ、誰がイアン・アリスだというのだろうか。いきなり頭の中の俺は何を言っているのだろうか。


――本当だよ。


「……意味がわからない」


 これは頭痛のせいだろうか。それのせいで、こうして頭がオカシイ状態で声がこだましているのだろう。そんなことよりも、早く頭痛よ治まれ。


 イアンが歯を食い縛っていると――俺はイアン・アリスじゃない。本当だよ。


 また聞こえてきた。幻聴が聞こえてきた。いい加減にしてくれ。そう、彼が舌打ちをしたときだった。


――楽園の女王(クィーン)を殺さなきゃ!


 一際大きな声が頭に響き――視界は完全に真っ暗となる。

「俺は完全に消えたわけじゃない」


 そう誰かが言った。その声に気付くと、白くも黒くもない。かと言って、灰色でもない、何でもない空間にイアンはいた。いや、正確に言えば彼だけではない。眼前には黒くて少し幼い自分がいるから。ああ、これは知っているぞ。どこかで見たことがある。だが、思い出せない。これは夢か。


「俺は完全に消えたわけじゃない」


 もう一人の自分がまた言った。その言葉の意味は何を表すのか。


「それはお前が俺をここで殺して、イアン・アリスになったからだ」


――何を言っている。俺の名前はイアン・アリスだ。これまでもそう、これからもそう。いつだって俺はイアン・アリス。世界を統治している楽園ヘヴンを憎むレジスタンス、グーダン一派の一員。記憶を失っても、誰もが受け入れてくれた存在でもあるから。


「お前がイアン・アリスだから、存在はなくなる」


「お前のか」


「いいや、俺じゃない。お前だ」


 黒いもう一人の自分が仕向けるのは黒々しい刃。見覚えはある。知っている。この行動を意味するのは――。


「あーあ、永遠に夢を見続けることができたのにな」


 そうして、イアンに攻撃を仕掛けてきた。


――もう、お前の体を寄こせ。


 その叫びを上げるのはイアンの何か。

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