◆81
この世界で無免許運転は関係がない。巡回しているヘヴン・コマンダーに見つからなければの話だ。
イアンは慣れないトラックの運転をしながらも、ダムレカシス雪山の山道の入口へとやって来た。吹き荒れる雪が行く手を阻むようである。
「寒いな」
グーダンに歌う横笛の謎を解くためにこの雪山に行くと言った。それに関して、彼は「そうか」の一言だけ。人手が足りないから行くなと止められなかった。つまり、イアンのこの時間というのは自由であるということ。あまりレジスタンスでは自由にできなかったから、少し戸惑っているのである。
トラックの中にいても寒いと感じたのか、イアンは持ってきた防寒着に着替えて外に出た。このまま山道をトラックで走ってもいいのだが、雪道は慣れていない。下手に事故を起こすより、歩いた方がいい。たかが噂でしかないが、ここは一年のほとんどが雪で覆われたところだ。物資運搬も大変なため、ヘヴン・コマンダーたちが巡回していることはないという。
ただの山道を歩くだけでも相当の疲労があることは夢でも知った。その夢というのはキュレット村に住むデグズという老人と村人たちの墓場まで歩いたことだ。急な坂、一歩一歩前に出すだけでも体力を消耗するほど。結局、あれは現実だったのか。それとも夢だったのか。だとしても、こちらのレジスタンスと交渉決裂になってしまったため、確かめようがないのだが。
イアンは持ってきていた歌う横笛――誰かの人骨で作られた笛を取り出した。レーラに渡したときは何も反応がなかったのだが――。
おお、我が子どもたちよ、
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。
あなたたちには罪はないの。
母親である私に罪があるから、
共にいることができないのを許しておくれ。許しておくれ。
もうすぐ、日が沈む。
さあ、さあ、お眠りなさい。ぐっすりと。
夜明けに私はいなくなるけれども
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。
何度も聞いていれば、慣れるようだ。もうびっくりして落とすことはない。 歌を聞けば聞くほど、歌詞の意味を理解してくるようだった。
人骨の横笛に掘られた『60‐60』。言葉は昔に使われていたというレイの言葉。一緒になってレーラは昔の地図を使ってこの雪山との座標が一致していると教えてくれた。場所の特定はそこまでしかわからないが――。
「歌にヒントがあるのかな?」
歌詞で場所のヒントとなり得るのは『もうすぐ、日が沈む。』と『夜明けに私は』の二つである。これらは夕日と朝日のことを差すだろう。つまりは――ダムレカシス雪山で朝日と夕日を見ることができる場所は限られてくる。
行先は決まった。山頂だ。
早速、雪に足を取られそうになりながらも、山道の方を歩き始めた。このダムレカシス雪山にいるのはイアン独りだけだろう。あちらこちらから鋭くて冷たい風が吹いている。誰もいない寂しい場所。段々と哀しく思えてくる。白い息を漏らしながら黙然と登山をする。いくら防寒着を着ていたとしても、寒さと足場の不安定さに体力が徐々に奪われていくのがわかる。
それでも、時間はいくらでもある。時間をかけてもいいから、昼間の内は行けるところまで進んで、夜になれば近くの枯れた木の林や洞穴で夜明けを待とう。
「…………」
周りに注意をしつつ、イアンは思う。雪を見たのは初めてではない、と。普段からいるレジスタンスの拠点のところの気候は基本的に乾いている。ほとんどが晴れの状態で、時折スコールが降る。水があっても、根本的に土地自体が枯れているため、緑は育たない。気温は暑くもなければ、寒くもない場所。だが、とにかく乾燥しているから快適とは言えない。一方でホエバテ大陸は乾いた暑さが正しいか。
近くに川があろうと、湖があろうと、雪が降ろうと――この世界はおかしいらしい。緑は、植物は存在しないのだ。故に食材関係はすべて人工物ばかり。天然物での生き残りとも言える食材は肉や魚介類ぐらいだった。それ以前に、レジスタンスの中で一番の高年齢である人物ですらも野菜といった植物を食べたことがなければ、見たこともないという。それほどまでに自分たちが生まれる前から存在しない。
どれほど歩いただろうか。色々と考え事をしながら登山をしていると、辺りはすっかり暗くなり始めているではないか。雪は降ろうとも、時間が経つのはわかるようだ。
「どこかで休むか」
イアンは近くで錆びて動きそうにない大型の装甲車を見つけた。雪風を凌ぐだけならば、ちょうどいい物である。その中へと入ってみると、外よりは暖かい。今晩はここで過ごそう。
レジスタンスの拠点から持ってきた人工物で作られた携帯食料をぼそぼそと食べ始める。びゅうびゅうと風が音を立てる中、笛は歌い出すのだった。
なんとも悲しい曲だろうか、とイアンは思う。グーダンも推測をしていたが、これは子どもと離れ離れになる母親の悲しみを表しているのだろうか。だとするならば、この母親の『罪』とは? 子どもたちに罪はなくとも、母親だけはある。
子を捨てた罪だろうか。母親は子どもを捨てた罪人――。
何かが引っかかりそうだった。もしかしたら、自分も似た境遇なのかもしれない。それは両親に捨てられたという思い? いいや、記憶が欠落しているのだ。自分の親のことなんて何も知らない。何も持たないからこそ――レーラからもらったネックレスを見た。何かの部品から作った歯車のネックレス。これが唯一の知っている人たちとのつながりだった。
見ず知らずの自分を受け入れてくれた人たち。とても温かいものだった。だからこそ、誓う。彼らの願いのためにも――蔑まれてもいい。忌み嫌われたっていい。最低な人間だと罵られてもいい。もう今更な話だから。
「……俺は楽園の女王を倒すだけだ」
記憶が戻り、本来の自分の使命を思い出すまでは。
なるべく凍死しないために、寝ないように心掛けていたのだが、急激に眠気が襲ってきた。寝てはいけない、と色々と起きている対策をしていた。しかしながら、人間睡魔というものには勝てないらしい。
意識を手放してしまうのだった。
嫌なやつがいた。覚えはないが、見た途端に嫌なやつだと思った。白とも黒とも区別がつかない世界に自分はいて、その目の前に黒い影があった。それは自分自身であると見抜いている。自分だというのに、嫌なやつとは。
客観的に見れば、自分は嫌なやつなのか。あまりの皮肉さに思わず笑ってしまった。そんなイアンをよそに黒い影は「お前は」と口にする。自分の声だった。それも少しだけ幼さがある声音。
つり上がっていた口元は急に一文字になる。面白くないという証拠だ。
「お前は……どちらが本当の両親だと思う?」
突然何を言うのだろう。どちら、と訊かれてもその選択肢が何であるかわからないのに。イアンが怪訝そうな表情を見せていたときだった。もう一人の自分が謎だった選択肢を上げてくる。
「お前だけを残して無力に死んでいった両親と、お前に抵抗して殺された両親。どちらが本当の両親かな?」
言っている意味がわからなかった。特に後者が。その言い方だと、『自分』が両親を殺したと言っているようなものではないだろうか。
「『子を残して親が死ぬ』」
黒い自分は笑っているようで、耳元でくすくすと小さく笑っているようだった。その笑い方が煩わしいと思う。
「これはどちらも取れるよな」
だから何か。そう思うと、自分の口から「だからなんだ」と発せられる。
「誰だ、お前」
見たことがあるようで見たことのない存在。なぜに自分の夢の中に出てくるのか。イアンが怪訝そうにしていると、突如としてそれは歌い出すのだった。
おお、我が子どもたちよ、
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。
あなたたちには罪はないの。
母親である私に罪があるから、
共にいることができないのを許しておくれ。許しておくれ。
もうすぐ、日が沈む。
さあ、さあ、お眠りなさい。ぐっすりと。
夜明けに私はいなくなるけれども
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。




