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世界は夢を見せるほど俺たちを嫌う  作者: 池田 ヒロ
記憶はないが、考えは自由である。
74/108

◆74

「遅い」


 イアンとレーラが爆弾の箱をすべてトラックに積み終えたのは三時間後だった。辺りはすっかりと日が落ちて、数メートル先が見えにくい薄暗さとなってきている。一つの箱を運ぶだけでも一苦労であるし、何より力で頼りになるイアンは肩に傷を負っている。止血をしていた服の裾――布の切れ端からは血がにじみ出ていた。


 それなのに、クェイラは三時間かけて爆弾の箱を運んだイアンを罵倒する。


「男のくせにして、こんなものもさっさと運べないのか? 本当にお前は使える人間なのか?」


「はい」


 どんなに侮蔑されても、イアンは申し訳なさそうにそう答えるだけ。それ以外、何も口にしようとしなかった。レーラは何かしら反論を申し立てようと、何かを言おうとするのだが、それを彼に止められた。小さく首を振って自分は大丈夫だ、という表情を見せる。これがレーラにとって気まずいと思う気持ちに拍車をかけているようだった。


 なぜにイアンは何も反論をしようとしないのだろうか。なぜに彼は傷付いた体に対して無茶をしようとするのか。


 一息がついたところで止血をしていた布の切れ端を変えようとするのだが、クェイラが銃口を向けながら、あごで「さっさと運転しないか」と急かす。どうやら、イアンに休む暇を与えないらしい。これには素直に「はい」と運転席へと乗り込むのだった。それの助手席にはレーラが。


 二人を乗せた爆弾トラックが出発しようとしたところで、クェイラは「私たちがいなくてもしゃべるなよ」と念を押す。


「もし、口を開いてみろ。私たちは常にトラックの荷台にある物を狙って発砲するからな」


「はい」


 どうやら話しているかどうかは、車内にレコーダーを搭載しているからわかるらしい。そこまでして、イアンに口を利かせないつもりか。これにレーラが不満のある表情を見せていると、クェイラは「どうした?」と鼻で笑ってきた。


「そっちは女だろう? 女は好きにしゃべっていい権限がある。思う存分に口を開け。この男に罵倒を浴びさせろ。私たちと同じ思いをしたお前にはそうして生きていく方が心は安らぐはずだからな」


「……イアン、行こう」


 何も答える気にはなれなかった。それだからこそ、イアンに指示を出す。一方で彼はというと、勝手に行ってもいいものかとわからない様子で二人を交互に見た。そのうろたえに苛立ったのか、クェイラは車体を蹴り上げる。どうやら、行けらしい。蹴り上げた音を合図とするかのように、イアンはアクセルペダルを踏んだ。どうも驚いて慌てた様子。これを見ていた女性レジスタンスたちから嘲笑が聞こえていた。しかし、彼はそれを恐れることも恥ずかしがることもなく、指示を受けていたヘヴン・コマンダーの拠点であるププチェの町へと向かうのだった。


 クェイラを含む女性レジスタンスの屈辱的な言行にレーラは「悔しくないの?」とイアンに対して問いかける。


「怒ったっていいんだよ? そりゃあ、確かにここでのイアンの立場は低いだろうけどさ……人なんだから、感情を出したっておかしくはないもん」


 それでもイアンは真面目らしい。それともレコーダーの存在に恐れているのか。どちらにせよ、一切口を開こうとせずに、首を横に振るだけだった。そして、表情は別に構わないと言っているようにも見える。


 どこが。構わないわけがない。それに、きっとクェイラはイアンが死ぬまでこき使うつもりだ。


 レーラは肩の傷を見て、手当てをし直し始めた。その傷はひどく、一見止血したかのように見えても、傷口は塞がっていない状態だった。それもそのはずだ。傷を受けてからもずっと重たい物を運んだりしていたのだから。これでは傷が塞がるわけがない。


 車内で無言状態の二人。レーラがイアンの肩の傷をあり合わせの布などを代用して、塞ぎ終えると、前を見て運転をしていた彼がにっこりと笑顔を見せてくれた。肩が痛いはずなのにその笑顔。見ていて、心が痛い。とても胸が絞めつけられそうだ。


「ごめんね。イアン、すごく傷付いたよね?」


 イアンは首で否定する。それを見て、嘘だと思った。だが、顔の表情を見る限りだと、そうとは思っていない。それも嘘をついているんだ、と思っていた。


 イアンは寂しがり屋だとタツから聞いていた。ブレクレス商業施設でのミッションのときだ。あのときに、少しばかり彼と話したらしい。そのときに「寂しかったから」と言っていたらしい。そういう風に自分の本音を言える人物は心が傷付きやすいはずだ。


 レジスタンスに入る前の記憶を持たないイアン。彼はそれだけでも傷付いているだろう。きっと、大切な思い出を思い出したいはず。その左薬指にある指輪と契りを交わした誰かと逢いたいはず。本当の彼は記憶の奥底で助けを求めていることだろう。せめてもの慰めだ。イアンの記憶が戻ることを願って――。


 レーラはトラックのドアのポケットに入っていた一つの歯車を見つけると、それを懐へと仕舞い込んだ。


「イアンはさ、これからのこと、怖くないの?」


 それはこれから行うミッションのことか。それともこれから先の未来のことか。どちらとも取れるレーラの設問にイアンは縦に首を振った。初めての肯定だ。怖くないらしい。なぜだろう、と色々と訊きたいことはあるのだが、それに答えてくれないだろう。


【あなたの死が視えないの】


 コンピュータ世界での発言。それは何を差すのかどちらとも知る由はない。誰もすべての未来を視ることができないのだ。レーラだって頑張っても、人の死だけ。


――そもそも、未来を視るなんて。


 訳のわからない自分の能力。死相が視えるだけで、それを防ぐ対策なんてあったものじゃない。その運命に従って、死に逝く者たちを見るだけだ。これがレーラの力。たまったものじゃない。そうして、視たくない未来を視るなんて。


 レーラの脳裏に浮かぶは一人の女性。母親ではないあの人。いや、母親のように、姉のようにして接してくれた人。優しい人。知っている。優しいと思う人は死が早いということを。この目で見た。優しい人は無残にも死を受け入れようとすることを。


 イアンは受け入れるのだろうか。己の死が近付いてきたときは。それよりも、彼は優しいと呼べる人物なのだろうか。意味がわからなくなってくる。


 クレンシャスの丘での惨状。思い出すだけでも、イアンの存在を疑う。あれ以来、その狂人的な片鱗を見せていない。このことは誰にも話したことはない。もちろん、グーダンにも。そう、あのときのことを知っているのは誰にも話したことのない。知っているのは当事者のレーラだけ。イアンは覚えているだろうか。いいや、覚えていなくてもいい。あのときのことを思い出させたくもない。


――そうだ、イアンは私のことを……。


 知らない誰かと重ねている。だが、本人はその誰かを覚えていない。ちらり、とイアンを見た。彼はレーラの視線に小さく首を傾げる。何か訊きたげではるが、口は開けない。それだからこそ、レーラは「何でもない」と答えるしかなかった。


 いつの間にか、二人の目の前には暗がりの中明かりで星を作る大きな町並みが見えていた。

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