◆7
所々欠けた石畳。石レンガとの間からは雑草が生えていた。暗がりの中でライトに照らされたその通路はほとんど整備されていないとわかるようである。
そんな現状の世界を表しているような場所を駆け抜けていると、誰かがいないとおかしいのは当たり前だ。陰からはヘヴン・コマンダーたちが持つ金属の殺気。すぐに気付くが、こちらも銃器で対応しなければ勝てないのも事実。それはレーラもわかっていたようで、イアンに続いて引き金を引いていった。
「イアン、私が右を相手にするから、左をお願い」
「ああ」
グーダンの指示はヘヴン・コマンダーたちを見つけ次第倒すこと。だが、彼らには見つからないようにと言われている。それでも、見つかってしまったのは仕方ない。そう、仕方ないだからこそ、人を殺すということに躊躇すらない。いや、彼らがこのような世界を当然であると思っているからこそ、何もおかしな話ではないということだった。
イアンとレーラは銃口から弾を飛ばして、彼らの体に着弾させていく。その表情に一点の曇りなし。それが正義であると顔に出ていた。
そう、この世界はごくごく『普通』の世界。人が人を殺し合う狂った世界。誰もが人の命を奪い合えば安寧の世界が待っていると信じて疑わないのだ。
再度記述する。人を殺すということに躊躇すらない、相手の死こそ願うのがこの世界にとって『当たり前』。非常識ではない、常識なのだ。
物陰に隠れたヘヴン・コマンダーたちを粗方片付けた後、二人の通信機器にグーダンから連絡が入った。
《二人とも、順調か?》
「グーダンさん。はい、今のところ問題はないようです」
《ならいんだけどよ……》
イヤフォンから聞こえてくる声は何か言いたげではある。だが、それが確信的ではないため、グーダンが発言をするまで沈黙を守った。ややあって、彼がどこか重々しい口調で《あんまりいい話じゃないんだけどよ》と話す。
《どうも、ここに『エンジェルズ』の一人がいるらしい。レーラは言わなくてもわかっているよな? だから、イアンには念押しで言っておく》
『エンジェルズ』というキーワードにレーラは眉根を寄せていた。どうやら、知っているようだ。彼女はどこか呟くように「いるの?」と不安げではある。
《ああ。二人ともに絶対命令を下す。そのエンジェルズには遭うな。もしも遭ったら全速力で逃げろ。物資なんて気にしなくてもいいから》
グーダンがここまで言うのだ。それほどまでに『エンジェルズ』とやらは強いのだろう。これまでに遭遇したヘヴン・コマンダーたちよりも遥かに。
イアンは忠告をしかと受け止めて「わかりました」と答えを出した。無茶ぶりする気はない。いいや、彼らの出す雰囲気に押されて危険だと判断したのだろう。
《それじゃあ、二人ともそいつには気をつけろよ》
そう言うと、通信を切った。しばらくの無言が続いたが、レーラが「先を急ごう」とイアンに声をかける。
「早くオクレズさんと合流しないと」
「うん」
先を行こうとする二人の前には通路の出口が見えた。そこに見えるのは多数のトラック、奥には頑丈な扉である。ということは、その先は物資倉庫である可能性があるということだ。まだオクレズが運転するレジスタンスたち御用達しのトラックは見えない。
「オクレズさん、見ないようだけど。先に中身を取っていてもいいのかな?」
「うん、いいと思う。エンジェルズがいるらしいからね」
二人は出口を出て、倉庫らしき建物へと近付こうとした。その瞬間である。
「危ないっ!」
何かの危機を感じ取ったレーラがイアンの足を止めた。一コンマ遅れて彼も気配に気付く。直後に二人の眼前に真上から何かが降ってきた。それはヘヴン・コマンダーたちが使用する武器としては珍しい槍である。
月明かりで照らされていたそこは一変して強烈に眩しいライトに照らされた。そして、二人が利用した出入口が扉によって閉められる。周りは高い塀に囲まれており、逃げ道なんてなかった。
「おいおい、こっちの方でも小さいながらのお祭りがあっているじゃねぇか」
男の声がしたかと思えば、降ってきた槍の方へとその声の持ち主らしき人物も降ってきた。槍を投げてきた彼はヘヴン・コマンダーたちと同じような濃い緑色の軍服に身を包み、右手の甲には入れ墨が入っていた。だが、これまでに見たことのある彼らとはどこか雰囲気が違うのである。
「初めまして、レジスタンスのお二人さん。ここに来たならば、俺と一丁戦おうぜ」
「…………」
まさか、だ。グーダンから話を聞いているため、二人はこの人物とは交戦をしたくない様子でいた。だとしても、逃げられないのもこれまた事実。男は彼らの返事の有無すらも聞かずして、戦うことが当たり前である顔をしている。地面に刺さった槍を引き抜いて、構え出した。
「安心しろ、俺は戦ったやつのことは覚えているタイプだ。現在進行形でなっ」
始めの狙いはイアンだった。勢いよく迫りくる武器を銃身で防いだ。嫌に金属音がうるさい。この攻撃を受けてすぐに男がただのヘヴン・コマンダーではないと見抜いた。この男、グーダンやレーラの言う『エンジェルズ』か。ならば、より一層殺す気でいないと、こちらの方が絶滅してしまうから。
まるで呼吸をするようにイアンは懐から血が付着したナイフを相手の顔に向けて叩きつけるように振るう。
一言で表すならば『死ね』。ナイフに籠った殺意。それを男は嬉しそうに左の手の平で受け止めた。刃はそこを貫けないらしい。切られないらしい。男の左手に何かが仕込まれているのか。
――その意思をこちらに投げてくるなんて。
独りだけで戦っていると思うな。そうレーラが男に向かって銃器の引き金を引いた。すぐさま彼は手に握っていたナイフを奪い取って柄の方で弾いた。その反動で手から刃は離れるのだが――戦いに流れというのは大事なんだぜ。
イアンに近付いてくる男の拳。それを防げるかと言われると――いや、やるべきである。レーラが。
「させるかっ」
引き金に置いている指は飾りではない。一発発砲しただけで満足したわけではない。再び引き金を引いた。これには男にとっては予想外のことだったようで、顔面に着弾するとそのまま仰け反るように地面へと倒れるのだった。
これで終わりか。流石に人が弾丸を顔面へと受けてしまったならば、痛みにのたうち回るだろう。二人がほんの少しばかり気を緩めた――のがいけなかった。
僅かな刃の光を見逃さなかったイアンはレーラを自分の方へと引き寄せる。彼女がいた場所には男が持っていた槍が突き刺さった。それを見てぞっとする。もし、それに気付いていなかったならば? 串刺しである。
それにもう一つわかることがある。それは銃弾を確実に顔に受けた男が痛みすらを感じていないことだ。ゆっくりと起き上がって見せたその面には傷一つないという不思議な現象が起きている。
「ほお」
こちらに目を向ける男の目の色は戦闘を楽しむ者のようで、イアンに向かって「おい」と呼びかけた。
「お前、名前は」
「……イアン・アリス」
「イアン・アリス、ねぇ……ああ、なるほどね」
男の口ぶりから察するに自分のことを知っているようであるが、教えてはくれようとはしてくれない。代わりに「戦えよ」とあやしい笑みを浮かべてきた。
「イアン・アリス。戦えよ。俺とサシでな」
その言葉にレーラは「イアン」と小さく声をかけるのだが「横出しするなよ」と彼女に睨みを利かせてくる。
「俺は単純にイアン・アリスと戦いたい。こいつの本気が見たい」
「…………」
どうやら手出しができない様子。少しでも横やりを入れたならば、本気で殺しにかかってくるのが見えていたから。何もできないレーラが下唇を噛み締めていると「レーラ」そうイアンが小声で言う。
「これはこれでチャンスだ」
「チャンス?」
一瞬何のことであるか理解できなかったのだが、周囲を見て言っている意味がわかった。その上で「気をつけてよね」と気にかけるのだった。
「あいつ、何か仕込んでる」
「うん」
イアンは一呼吸すると銃器を構えるのだが、眼前に男が剣を投げてきた。それは地面に落ちて音を立てる。見た感じはきちんと整備がされている代物ではあるようだ。剣を投げた男は「それを使え」と言ってくる。
「この時代に似合うような武器使っても面白くねぇだろ。俺はお前と戦いたい。だから、それ使え」
「…………」
銃弾が通らないのはレーラで実証済みである。それならば、まだ剣を使った方が効果はあるのか。イアンは手に取って構える。それに伴い、男は嬉しそうに目を細めるのだった。
「イアン・アリス! 俺はヘヴン・コマンダー特殊部隊『エンジェルズ』が一人。コードネームはウリエルだっ! その頭ン中にしっかりと焼きつけとけよォ!」
今一度、二人の刃がぶつかり合うのだった。