◆66
グーダンからのミッションで、イアンとオクレズは山道の中にある細い道の前で立っていた。ここはレジスタンス拠点から五千七百キロも離れた場所にある。
「気は抜けませんけど、のどかな場所ですよね」
「……そうだな」
なぜに二人がここに立っているのかというと、事の発端は数週間前に遡る――が、イアンはグーダンに詳しい内容は聞いていなかった。
ホエバテ大陸でフロンゼから手に入れたレイの言葉で書かれた書物と地図、それを拠点へと持ち帰り――グーダンとオクレズ、エルダはそれらを閲覧して、楽園の女王が考える『計画』の真意を探っていた。
本当は、オクレズにはあまりこの件について関わらせようとは思わなかったのだが――問題は文字の理解である。レジスタンスの人間で昔の言語として使われていた『レイの言葉』の完璧な読み書きをできるのは、現在わかっているだけで彼とエルダだけだったから。他のレジスタンスたちに楽園が危険なことをしようとしていることを教えてあげたいが、混乱は避けたかった。その計画とやらの中身を見れば、厄介な案件だと十分に把握できるのであるのだから。
おそらくは、昔は緑に囲まれていたであろうその周囲を見渡しながら、オクレズはグーダンから渡された『計画』の一部分を見せてもらったのを思い出す。
『この計画は、元の計画が破綻したためにもう一度立ち上げられたものである。前回と違うのは人間に負担の少ない改造施術方法である。その方法として、武器素材研究委員会が発表した金属を人の皮膚につけること。こちらも人の体に多少の負担はあるものの、誰もが自我を保っていられることができるのだ。』
レイの言葉で書かれていた『計画』も見せてもらったが、どちらもどちら。吐き気を催す物ばかり。楽園はこのようなものを考えていたのか。嫌な気分になる。しかめっ面をしていると、近くにいたイアンが「大丈夫ですか」と心配そうにこちらを見てきた。
「オクレズさんも向こうが気になります?」
「いいや、何でもない」
向こう、というのは細い道の先にある場所。そこへグーダンたちが目的を持っていっているのである。その道の奥にあるのは――。
「何か、あやしい宗教を崇めている村なんですよね? 何の宗教でしょうか?」
楽園が考えている『計画』の謎を紐解くかもしれない何かが存在している閉鎖的な村である。村の名前はキェレット村。なぜにこの村なのかというと、村人全員の右手にあの入れ墨がないから。だが、楽園に対してレジスタンスと同様の思いはない。つまり、彼らはノーサイドの者たちだということ。
イアンはその村を見てみたいと思っていたのだが、グーダンからはここでオクレズと見張りをしていてくれと指示を出してきた。そのため、ちょっぴり残念そうにしているのだ。
「……俺は知らないな」
「物資交換の友好的交流を築くって言っていましたけど、ここは何があるんだろう?」
そう、大半のレジスタンスたちにはその嘘の情報を流している。それが表的な訪問理由。本当は違う、とオクレズは何も知らないイアンに罪悪感を覚えていた。いくら仕方がないにしても、こうして嘘の情報が本物だと信じている者たちが可哀想に見えてくるのだ。
そうして、特に他愛のない会話すらも、話題もない二人を誰かがじっと見ていることに気付いた。最初に気付いたのはイアンである。入口付近にある石垣に寄りかかって、一人の老人がこちらに視線を向けているのだ。
「あの人?」
真っ白な白髪頭にほぼ上半身裸、七分丈のズボンにじゃらじゃらと音がしそうな大量のアクセサリーを身にまとい――それらよりも一番目立つ物を股間に着けていらっしゃる。あれは何なのか。不思議そうにじっと見ていると、イアンの視線の先に気付いたオクレズが「どうしたんだ」と聞いて、老人の方を見た。
「ヘヴン・コマンダーでも……」
来たのか、という前に絶句。どう反応すればいいのやら。固まる二人に、ようやく老人は動く。見た目は高年齢だというのに、歩きは以外にも素早い。毎日この山道を利用して歩いているからだろうか。
ややあって、老人がこちらへとやって来た。特にオクレズの方を見ながら「どこかで会ったことないか?」と訊いてくるのだった。それに「さあ?」と眉根を寄せながら答える。
「他人の空似ってやつじゃないか?」
「…………」
それでも老人は何か言いたげ。しばらくの沈黙が続き、彼が何かを口にしようとしたときだった。空気を読まないのか、イアンが「おじいさん」と声をかける。
「おじいさんって、あっちの村の人ですか?」
「そうだよ。なんだ、お前たちは道に迷ったのか」
「いえ、そういうわけではないんです。俺たち、人を待っていて……」
イアンがそう言いかけると、老人は小さく反応を見せた。それに気付いていないのは彼だけであって、オクレズは見逃さなかった。何かを言いたげ。だが、どうしても口ごもってしまうのか何も言わない。彼が自分語りをしているときに老人は口ひげに隠れながらぼそりと呟いた。
「――――」
その呟きは当然イアンには聞こえないが、オクレズには聞こえた。ここにいるときからずっと眉間にしわを寄せていたが、更にそのしわを深く刻み始める。その表情から察するに理解不能と言ったが正しいか。どこか困惑したというような顔が見えるのだ。
「それで、おじいさんはどこかに行っていたんですか?」
老人が姿を見せたのは村の入口に入るであろう細道とは反対方向からである。そうであるならば、考えられるのは、村に帰ろうとしていたのだろう。イアンのその質問に「ああ」と頷く。
「家に帰るつもりだった」
「畑仕事か何かですか?」
「いいや、友人の帰りを待っていただけだ」
友人の帰りを待っていた、と老人は言っているのだが、彼は独りである。友人の姿は見えない。イアンは気になるのかぐいぐいと話を訊いている。
「お友達はもう帰られたんですか?」
「まだ帰ってきていない」
もしかして、ずっと帰りを待っているのだが、いくら待てども帰ってこないから一足先に帰ったのか。そう二人が推測するのだが、老人は意外なことを口にするのだった。
「先代の遺言に従って、五十年。ずっとな」
なんと、老人の親から伝わる待ち合わせらしい。そんなに長い時間を待っているのは、流石にその友人も生きてはいまい。
何も口にできない二人が押し黙っていると、老人が反問してきた。なぜにここにいるのか、ここら辺の人間ではないだろう、待っている人とは誰のことか。それらに関してはオクレズが簡潔に答えた。それで納得してくれた。
「ここで待つのは大いに結構だが、軍服を着た武装連中がたまにここを通るぞ」
しばしばこの通りをヘヴン・コマンダーたちが行き交うらしい。それでも村人たちは右手の甲を隠さずして、暮らしているとか。その理由は楽園に監視されているところであるから。そう言われて、二人に緊張感が走るが――「気にするな」老人は言う。
「確かにこの村はあやつらの保護の下で自由に生きているが、何もわしらが忠実に従っているわけではない。わしらはわしらの信念や理念がある。それを糧として、今日まで生きてきた。あんたらもそうだろう?」
そのために楽園から逃れて生きているのだろう? その言葉に彼らは何も言えなかった。正論だから。
「あやつらが来たら、二人は危ないからな」
独りでに納得したように小さく頷く老人は「一緒に待ってやろう」と提言する。これにイアンは「でも」と不安そうな顔を見せた。
「おじいさんに迷惑かけられないですよ」
「いい、いい。どうせ、村の方に帰っても、ヒマだからな。ちょっと、話し相手が欲しいところだったんだ」
イアンとオクレズは老人と共にグーダンを待つしかなかった。




