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世界は夢を見せるほど俺たちを嫌う  作者: 池田 ヒロ
記憶はないが、相手の気持ちを知ることはできる。
64/108

◆64

 遠路遥々ホエバテ大陸へと楽園ヘヴンの監視を潜ってやって来たというのに。とある女の子に持ってくるよ、って約束したというのに。


「それを燃やしてちょうだい」


 服飾博物館に現れた謎の老婆の幽霊にそうお願いをされた。それで戸惑うのはイアンである。あまりにも唐突過ぎる切望に「え?」と声が上ずる。


「燃やせって……これを?」


「お願い」


「嫌だ」


 イアンはテルバ・メソットルェを燃やすことを反対した。目の前の老婆の幽霊が何者であるかはわからないが、レーラの依頼を無下にはできない。約束を破りたくない。だからこそ、「そのお願いは叶えてあげられない」と首を横に振った。


「俺の知り合いの女の子がこれを欲しがっているんです。悪いけど……」


「お願い、燃やしてちょうだい」


 拒否反応を起こすイアンであるが、強引に自身の望みを口にする幽霊。思念の集合体であるがために、自分が今一番思うこと以外を受け入れる気はないようだ。もちろん、彼だってこのまま引き下がる気はない。


「お願い、お願い。それを燃やしてちょうだい」


「その子に約束したんです。持って帰るって」


「燃やしてちょうだい」


 なかなか話にならないな、とイアンは苦虫を潰したような表情を見せながら、テルバ・メソットルェの作品説明のパネルを指差す。


「ほら、ここ。『すべてを捨てて、新たな生活を試みようとする人の心境をモチーフにした作品』って。別に燃やす必要はないんですよ」


「違う」


 初めて老婆の幽霊は「お願い、それを燃やしてちょうだい」以外の言葉を言い放つ。彼女は作品説明のパネルを否定したいようだ。


「違う、違う。違うの」


 説明通りの作品ではないのだろうか。そうでなければ、どういう意味として作ったものだというのだ、このテルバ・メソットルェとは。違うということが気になって仕方のないイアンは「何が違うんですか?」と訊ねた。


「そういう意味があって、名付けたんではないですか?」


「違う。捨てたいなんて思っていない」


「…………」


「それは真っ新な気持ちでの新しい生活って……。魂が混ざってしまったの」


 なんとなく言いたいことはわかった。このテルバ・メソットルェの作品の本来の意味は真っ新な気持ちでの新しい生活を試みようとする人の心境をモチーフだ、と言いたいのだろう。だが、一番わからないのが『魂が混ざってしまった』である。そのことを幾度なく訊ねてみているのだが、老婆の幽霊は「混ざってしまったの」としか言わなかった。


「魂が混ざってしまったの。お願い、燃やしてちょうだい」


 一体、誰の魂と混ざってしまったのだろうか。ますます謎は深まるばかりである。そうこうして、イアンは苛む。レーラの笑顔を見るか、老婆の話を聞き入れるか。彼が二つの心境に葛藤していると――。


 視界の端に動く明かりが見えた。足音が聞こえてくる。まずい、警備員だ。慌てたイアンはとっさの行動でテルバ・メソットルェをひったくり、その場から逃走。監視カメラなんて気にもせず逃げているから――。


 警報音が鳴り響く。焦りが大きいのか、今更ながらフードを頭に被った。遠くからバタバタと足音がうるさい。どれほどの人数の警備員が異物を一所懸命になって探していることやら。しかし、そういうことに一々構っていられない。逃げるが正義だとして、イアンは一気に階段を駆け抜けた。侵入してきた場所はもうすぐそこ。下りるために使用したロープはまだあった。


 もはや、時間との勝負。少し離れたところから「いたぞ」と聞こえてくるではないか。かなりの危機的状況の中、必死になってロープを上り詰めた彼は屋根の上に足を踏み入れた。今頃、地上の方に下りようとしても、待ち伏せがいるだろう。


 イアンは中の警備員が追ってこないように、素早くロープを回収して、フォーム・ウェポンを鉤に変えて、それと共に括って、隣の建物の屋上へと投げつけた。下は危険だ。今の彼は逃げるということで精いっぱいだった。それだからこそ、なんとか逃げて辿り着いた海岸に来るまで老婆の幽霊もいることに気付かなかった。一緒になって着いてきたようだ。それほどまでテルバ・メソットルェに未練がましいのか。相も変わらず、燃やしてくれと言っている。


 そんなにこれを燃やしたいのか。イアンが怪訝そうな表情をしていると、老婆の幽霊は「友達」と呟く。視線の先はこちらではなく、海を見ているようだった。


「友達の気持ち、私の魂。混ざってしまったの」


「え?」


「混ざってしまって、違うの。真っ新な気持ち、違う。捨てる、違う、違うの」


 ふと、気付けば老婆の幽霊の頬に一筋の涙が伝った。泣いているのか。だとしても、なぜ? まだこの服の謎が解けない。


「……詳しく、話を聞かせてくれませんか?」


 もう少し詳しい話が聞けたならば、服を燃やしたい気持ちがわかるかもしれない。幸い、まだ夜明けではない。話を聞く時間ぐらいはあるはずだ。イアンの優しさに老婆の幽霊は感謝の言葉こそは述べないようだが、ありがたいとは思っているようだった。彼女の話を要約すると――。


 まだ老婆の幽霊――シデラ・ブライダズが生きていた頃。とあるファッションショーの大会で作品を出品することになった。それがこのテルバ・メソットルェ。偶然友達となった子とそれを製作することになったのだが、その友人の気持ちと自身の魂が混ざりに混ざってしまって、思い描いていた物とは全く違う物となってしまったという。それに気付いたのは彼女の死後。今まで、自分の魂しか見えてこなかったのだが、友人の気持ちも見えてしまったという。


 それは大切な思い出でもあるが、こうして自分の死後まで評価されてしまい、悲しいと言う。これは私だけの作品ではなく、私と友達の作品であるのに、と。


 否定したくてもできない。誰かに伝えたくても、話を聞いてもらえない。そうして、できあがったのが夜の博物館に現れる老婆の幽霊。彼女はこうして、誤解を解くために現世において未練を残しているらしい。たった独りで、何十年、百何十年と。


「お願い、それを燃やしてちょうだい」


 話が見えてきたイアンは手中にあるテルバ・メソットルェを見て、老婆の幽霊――シデラを見た。彼がこれからしようとする行動は――。


 何かしらの行動を移す前に「イアン」とオクレズがトラックを運転してやって来た。そうだ、町中であれだけ大騒ぎを起こせば、彼もとばっちりを受ける可能性だってある。それだからこそ、一時的に避難したのだろう。


「ここにいたのか。よかった……」


 イアンの顔を見て、安心したように胸をなでおろす。


「オクレズさん」


「派手に動いたから、捕まったかと思ったぞ。ひやひやさせやがって」


「すみません。それよりも、ライター持っていましたよね? 借りてもいいですか?」


 イアンの顔に反省はあまり見られないようである。だが、そちらよりも優先したいものがあるらしい。確か、オクレズはタバコを飲むから火種を持っているはず。もちろん「あるが?」と不審そうにこちらを見ていた。


「何に使うんだ?」


 ライターを受け取ったイアンは「こうします」とテルバ・メソットルェに火をつけた。そのまま砂の地面へと置いて、燃えるそれを眺める。


 唐突なことにオクレズは「いいのか?」と目を丸くしていた。


「レーラに持って帰るんじゃないのか?」


「……悲しいんだと思います」


 シデラの話を聞いて、なぜに自分が涙を流したのかを理解した。彼女が独りだけ現世に残された寂しさ、混ざりに混ざって勘違いから生まれた傑作――。


 イアンはそれらに最初から気付いていないようで、気付いていたと思い込んだ。


 燃え盛るテルバ・メソットルェを見つめながら、シデラの方を見た。彼女は満足したように満面の笑みを浮かべている。更に、徐々に光の粒子が空へと向かっているのが見えた。これは未練がない、成仏しているという捉えでいいのだろうか。


 シデラは消えいく体を前にして、イアンに「ありがとう」と優しく微笑んだ。


「あなたも……」


 急激に両目から大粒の涙があふれ出てきた。泣くな、と脳で命令しても次々と出てくるのだ。なぜだろう。どうしてだろうか。この涙は。泣くイアンにシデラはそっと手を握ってあげた。何も怖いことはない、恐れることはない。いつか必ず――。


「俺は……俺は……」


 何かを言う前にして、空へと消えてしまった。そこにあるのは真っ赤に燃えるテルバ・メソットルェ。それを見つめる涙を流しているイアンだ。


 この行為が正しいとは限らない。記憶が欠けているから。何も覚えていないから。シデラは消える前に何かを言おうとしていた。それはお礼の言葉ではない様子だった。それならば、何か。


 イアンにとってそれを知ることは一生ない。なぜならば、シデラはこの世に留まる未練がないからである。それはすなわち、思い残すことはないということであるのだから。

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