◆57
この銃弾の速度は毎秒四百五十メートル。その弾道は動体視力がいい者が目視で捉えることがやっとの速度である。目測距離は二十メートルも満たない。だが、高さはある。五メートルほどか。
イアンが銃器の引き金を引いて一秒が経った頃、二人は倒れようとしていた。そこから一秒にも満たない時間で彼らはその場に音を立てながら倒れる。それと同時に大声でタツの名前を叫んだ。しかしながら、倒れた彼の返事はない。
それから一秒と半秒で床に金属が当たる音がした。急ぎ足音がするのは二秒後。バケモノの死体と導線の部屋でうろたえるイアンを見るのは五秒後。ようやく二人のもとへと行ける道を見つけたのが四秒後。
向かい始めて二秒後に腹の痛みで立ち止まってしまう。それでも、と呼吸を整えて十秒後に体を引きずりながらも足を進めた。
「タツ……! タツ……! タツ!!」
頭の中が不安でいっぱいになるのに七秒かかった。
どうにかタツたちのもとに辿り着いたときは引き金を引いて四十一秒と半秒だった。イアンが駆けつけたときには動かない二人の人物。呼吸すらもしていないのだ。
「タツ! おいっ、タツ!」
必死になって、タツに呼びかけをするのだが、返事はない。半分に開けられた目に映るのは虚空。自分なんか見ていなかった。
なぜにこうなった、とタツにずっと呼びかけをしながら思っていた。頭に浮かぶのはそればかり。ああ、生き返って欲しい。嘘だと言って欲しい。ただのいたずらであって欲しい。
願わくば、この事実がなかったことにして欲しい。
そんな思いの中、イアンはついに黙ってしまった。返事もしない相手にいくら呼びかけをしたって、意味がないのだから。誰でも知っているはずだ。
――俺が?
できることならば、この先の言葉は思いたくもないし、考えたくもなかった。誰か言って欲しい。否定して欲しい。
――俺がタツを殺しただなんて。誰か、嘘だよって。
タツはイアンが発砲した銃弾で死んだ。
――これは誰が悪いのだろうか。俺? タツ? ウリエル? なんでこうなった? 俺がいけなかったのか? きちんと狙いを定めていなかったのがいけなかったのか? タツが悪い? グーダンさんの指示に従っていなかったから? ああ、きっとそうだ。そのはずだ。いや、絶対にそうだ。
ふっ、とイアンは悲しそうな表情から険しい表情へと変えた。そこから読み取れる心情は「お前が悪い」。その感情の矛先は動かないタツである。
――お前がすべて悪い。
怒りをタツに仕向けるが――ややあって、無言で担ぎ上げた。腹の痛みは気にしていられない。死人に責任を押しつけるために。死人に口なし、死者は生き返りしない。
イアンは下の方へと下りて、落とした武器を回収した。ゆっくりとした足取りで向かう先は研究室。視線の先はそこであるが、心内ではずっとタツを責めていた。誰も聞いちゃいないし、見てはいないから。だからこそ、死者に責任転嫁する。
――すべての責任はタツにあり、タツがすべて悪い。
ドアを開けると、研究室にはレーラとグーダン、エルダがいた。この三人がいるとは思いもよらず、イアンは目を丸くする。
だが、その反面、自身の背中で力なく存在するタツを見て三人はかける言葉が思いつかなかった。ようやく声を出すことができたのはグーダンだけ。
「……た、タツは?」
見ればわかる通り、イアンの背中にあるのは死体だ。グーダンの質問に何か言おうとするのだが、そこでレーラが――。
「ま、まさか……」
「ああ、『全部』楽園のせいだ」
イアンはタツに押しつけていた責任を平然と楽園へとすり替えた。なぜならば、三人はこちらであったことを知る由もないから。黙っていれば、知らないから。
「あいつらのせいでタツは……」
「これだから、楽園はっ!」
最初に憤りの感情を表に出したのはグーダンだった。机に拳を叩きつける。
「タツは……! タツはまだ十二歳なんだぞっ!」
そう怒鳴っても仕方ないことはわかっていた。最終決定権として、要塞内への突撃する者を決めたのはグーダンなのだから。それだからこそ、この発言は自分自身に対してなのである。
「…………」
レーラは言葉を出さないだけで、顔だけでもわかった。楽園に対して怒りの感情を見せていたのだ。その二人に合わせるようにしてイアンも悔しそうに歯噛みを見せる。
「だから、早くここの部隊隊長を――」
「……いや、それはレーラちゃんが倒した。今のあたしたちがするべきことはここで感傷に浸らずに逃げなきゃ」
しかしながら、エルダだけは他の三人とは違う態度を見せるのだった。それがグーダンの逆鱗に触れてしまったようで「お前は黙っとれ!」と声を張り上げる。イアンもレーラも彼女を睨んでいるようだ。
だとしても、エルダは自分なりの主張がある。
「あたしたちの目的は『全部』達成された。これ以上、ここにいる必要ある? 早くしないと、本部からの要請が来るし、陽動部隊も持たないよ」
言っていることは正論でもある。それが故に反論が思いつかない。
しばらくの間、グーダンとエルダが睨み合っていたのだが、状況を冷静に考えたのか。彼は「もっともだな」と皮肉そうに呟く。
「これ以上の犠牲はよろしくない。逃げるぞ」
その指示により、研究室にいた四人は軍事施設から脱出することを決めた。走りに走って、施設から出た空気は最悪だった。火薬臭と金属臭さが混じりに混じっているから。早いところ北門から逃げなければ。
外で待機していたグーダン派閥のレジスタンスの者たちはタツの姿を見て唖然としていたが「退却だ」という言葉に、すぐに動かされる。
「陽動部隊に連絡を取ってやれ。逃げるぞ、って」
「了解っ」
レジスタンスたちもタツの死に立腹しているのだろう。怒りの顔を見せていたから。
これからイアンたちは楽園にあとを着けられないようにして帰還をしなければならない。その準備などをしている中、エルダはイアンとタツを見て片眉を上げていた。
「…………」
その疑り深そうな視線は何を語ろうとしているのだろうか。
訊いたがいいか。そう思って、イアンに声をかけようとしたときだった。トラック内で陽動部隊と連絡を取り合う音が聞こえてくる。
《こちら、陽動部隊。戦的状況に従って退却するっ》
オクレズの声だ。こちらの意図を踏んで退却を試みるらしい。連絡を取っていたレジスタンスが「無事を祈る」とだけ返事をして通信機器を切った。それによって、トラックの中で帰還準備をしていたレジスタンス全員の返事を聞かずして運転を発進させる。
早々と逃げなければ。見てみよ、空を。
今回の大規模軍事進攻は時間がかかり過ぎたようだ。上空には楽園の本部からの応援が来ているではないか。まるで大規模戦争が起きそうなほどの大勢のヘヴン・コマンダーを乗せた飛空機。
「チッ」
空を見上げてグーダンは舌打ちを見せた。ギリギリセーフと見せかけて、アウトに近い。こればかりは逃げられるか。いや、逃げなければならないだろう。
運転しているレジスタンスに逃げる道を指示する。
この最悪的な状況の中、逃げるレジスタンスたちを目で追うある者が空の上にいることを彼らは知らない。その人物は口パクで動かしていた。
『嘘つき』




