◆56
与えた攻撃のダメージは致命傷なり。
イアンには自信があった。ヘヴン・コマンダー特殊部隊エンジェルズであり、改造人間であるウリエルに対して首に手応えがあったのだから。ほら見ろ、振るった左側の剣からは濃い赤色の液体が見える!
――これで終わりだ!
なんて油断する方が悪い。緩める右手にある剣。それを受け止めていた槍は動き出した。これに気付いたときは腹に痛みを覚える。次に状況が見えれば、背中に痛みが走って、床に視線が向いていたということである。
これを意味することは、ウリエルが攻撃を受けてもなお、こちらに反撃する余力が残っているということだった。
息をするのがつらいのは初めてだ。息切れなんかじゃない。それ以上に、空気が肺に入ってきにくい。呼吸困難。
――立て。立て、死にたくなければ。
どうにかして呼吸を整えようとしつつ、唯一手放していなかった右手に持っていた剣を杖代わりにして立ち上がろうとした。だが、膝がガクガク言っているし、受けた攻撃の疲労度は高い。腹がジクジクと痛む。その腹を抑えてわかったことは血が出るほど攻撃を受けたということだけ。
呼吸困難ながらも立ち上がろうとするイアンにウリエルは「残念だな」と嘲笑う。
「俺はいくら殺されようが、血が出ようが死にはしない」
それは不死者だからか。
「片や、お前は人間の体だ。普通に致命傷を与えれば、死ぬよな?」
何かを言いたい、反論したいことがあっても、言うに言えない。まるでウリエルが声を奪ったかのような気分だった。いや、声が出なくてもいい。自分の意思を相手に伝えなくても構わない。こちらの意思を知っているはずだから。自分もまた彼の意思を知っている。
――楽園だから殺す。
――イアン・アリスだから殺す。
どちらも安直な理由だ。だが、シンプルにわかりやすくていい。どちらかが死ねば、それは消える。そうであっても、いい。どう足掻いてもこの殺し合おうとする螺旋からは抜け出せそうにないのだから。
――だから、いい加減に立て。どんな形でもいい。あいつを殺すために。楽園だから殺すために。
必死になって立ち上がろうとする度に、腹から血が出てきている感じだった。その痛みにより、足に力が入らない。剣を杖代わりにして立ち上がろうとするのもつらかった。
ずんずんとこちらに近付いてくるウリエル。なんだか、死が近付いてきているのと似ている気がしてたまらなかった。そうだ、彼は――死神に近いかもしれない。
一方でウリエルは妄想をしていた。これから起こそうとすることを、だ。
――さあ、どうしてやろうか。一番シンプルにイアン・アリスの首を貫いてやろうか。それとも同じ怪我の個所を槍で刺して、痛みでのたうち回るだろうか。
「楽しみだなァ?」
「……クズめ……」
なんとしてでも立ち上がりたいイアンは壁を利用して立ち上がろうとした。その際に奥にある球体につながっている導線を掴んでしまうのだが――それがいけなかったらしい。急激にウリエルの顔付きが変わったのだ。
「触るんじゃねぇ!!」
大声が腹の傷に突き刺さるようだった。なぜにウリエルはそんなに怒り狂った顔をしているのか。先ほどまではにやにやと嬉しそうにしていたのに。
イアンは怪訝ながらも導線を強く握る。
「手を離しやがれっ!」
我慢ならないのか、こちらに攻撃を仕掛けてきた。トリッキーでも予想外なやり方でもない見え見えの突撃。それはフラフラ状態であっても剣で弾くことはできた。
流石ながら防御はできそうにない。一瞬の力だけでいい槍に剣を当てるぐらいが限界だった。それでも、ここが何の部屋であり、ウリエルが焦っているのかはぼんやりと見えてきた。この不気味な部屋の秘密。ウリエルが一瞥した視線の先。
――お前がここでくたばれ。
次にこちらに攻撃を仕向けてくるのはわかった。それだからこそ、イアンはもっと導線を強く握る。引っ張るようにして自分の前に持ってきた。そのせいで、ブツンと何かが切れる音が聞こえた。その音は球体につながれていた導線が切れる音と、ウリエル自身が引っ張られたそれを槍で斬ってしまったものである。
あっと言う暇もなく、ウリエルの目、鼻、口、耳――ありとあらゆる彼の穴からは血が噴き出す。
「あれは……」
広がる血の海。血だらけの目でイアンを睨んでいた。あふれ出てくる血はウリエルの目玉を押し出てくる。ぼとぼとと気味の悪い音と共に覗かせるのは薄い青色の右目。左目は――空洞だった。睨むその目は恐ろしい。そこまでに恨みは大きいようである。
そう、この部屋にあった導線につながれた謎の球体はウリエルの心臓部分に値するコア。ここは彼の心臓とも言うべき場所。
「……ふざっ……ンなっ……!」
吐き出される赤い物のせいで上手く声を出すことができないようだ。イアンに対して文句を浴びせたいようではあるが、吐き気が邪魔をして言うに言えない。これはチャンスではないだろうか。この場にいるウリエルを倒せば――。
イアンはまた攻撃を仕掛けようとするウリエルの刃を剣で弾いた。赤い物がこちらに飛沫してくる。真っ白な白衣に付着してくる。人に換算すれば、相当な致命傷を受けているはずなのに、まだまだ動けるのか。
それでも球体から導線を引き抜いたのが一番の痛手だったようで、槍を振り回そうとするも、腹の底から赤い物が込み上がってくる。辺り一面血塗れ。あれだけ濃い緑色をしていた軍服も深紅色へと変貌している。
「……いあン……アリ……!」
――絶対に許すものか。このようなことをして、ただではおかない。絶対に、絶対に殺してやる。自身をここまで追い詰めたから、イアン・アリスだから。
体の中身の痛みなど知るものか。ウリエルは腕を振るわせながらも槍で攻撃をしようとする。
それにはなかなかしぶといやつだ、とイアンは歯噛みしつつも剣で弾いた。その反発し合う隙をついて彼の心臓に値するコアへと駆け出した。腹が痛いなんて気にしていられない。
――ここでウリエルが倒れるならっ!
まさに追い打ちという状況だろう。だが、それを容易く許すはずもない。
「行かせるかァァアア!!」
ほぼ気力だけの勝負。ウリエルもまた体中の痛みを無視してまでイアンに攻撃を仕向ける。彼の方を振り返って、攻撃を剣で弾こうとするが、その手はもう通用しないぞ。剣で弾かれないぐらいの力を加えれば――。
イアンが手にしていた剣は床に落とされてしまった。このまま殺すか。それとも――。
ウリエルの思考は少しばかりおかしくなっていた。イアン・アリスを殺したいはずなのに、そちらよりもコアの方に走り出したのだ。そちらへと向かい、手に取って高い場所へと逃げた。
「なっ……!?」
予想外の行動に動揺を隠せないイアンであったが――ウリエルは戦闘を放棄しようとしているのだ。このまま逃がしてたまるものか。
ふらつきながらも、見えないところへと逃げようとするウリエル。少し離れた場所に落としてしまったフォーム・ウェポンを手に取ろうとするイアン。
現時点で怪我人はここに二人。そして、復讐の憎悪に燃える者が一人いることを彼らは知らない。
――待ち侘びていたぞ、七年間も。ずっと、ずっとお前を殺すことを夢見て生きていた。幸せな家族を壊したお前を壊してやる。
高い場所へと逃げ込んだウリエルを物陰からずっと殺す機会を窺っていた者は瀕死状態で素早く動けそうにない彼が大事そうに抱えるコアに向かって飛び出してきた。
それと同時にフォーム・ウェポンを手に取ったイアンは本当に怪我をしているのかと言うぐらいに早い動作で銃器を構えるようにした。焦点をきちんと合わせている暇なんてない。もうウリエルが動けないようにするぐらいが精いっぱいだ。
ウリエルがいる先、そこを見たイアンはそのまま引き金を止めたかった。が、もう遅い。物陰から彼を殺す隙を窺っていた人物――タツは持っていた普通のナイフでコアへと突き刺す。
エンジェルズは改造人間。特にウリエルは自身が持つコアを破壊されたらば、二度と動かないはずだ。そんなに大事そうに抱えているのだから。
――これで壊れたっ!
タツがそう喜ぶのも束の間だった。急激に頭痛がしたからだ。足元が崩れてきた。何があったのかがよくわからないが、遠くから自分の名前を呼ぶイアンの大声が聞こえるだけだった。




