◆55
この白衣の姿をするのはとても自由に動ける、とイアンは少しだけ気楽な表情を見せていた。廊下などですれ違うヘヴン・コマンダーたちと戦わなくてもいいのだ。
だがしかし、この施設内にはレーラとグーダン、エルダもいるし、何より丸腰であるはずのタツも潜伏しているのだ。彼らの負担を減らすためにも――。
「ぁがっ……!?」
急に気道を絞められ、助けを呼ぼうにも声が出ない濃い緑色の軍服を着たヘヴン・コマンダー。その人物の首を絞めているのは研究員として紛れ込んだイアンである。数人同時の相手はこの格好では手厳しいが、単独だけであれば、隙を見てやれるのだ。
それでも、ヘヴン・コマンダーの息の根が止まったのか確認をしようとしたときだった。
「何をしているっ!?」
少々、時間がかかってしまったようだ。他の敵にその現場を見られてしまう。目撃者は三人。内、一人がどこかへと連絡を取ろうとしている。
本当は何事もなく、白衣に返り血の染みを作ることなく、目的を達成したかった。しかしながら、この状況でそのような欲を言えやしない。
――もう、いい。
こちらに銃口を向けているヘヴン・コマンダーたちに怖けつくことなく、素早くフォーム・ウェポンを数本のナイフに変える。動いて戦うより、こちらから武器を投げつける方が早い。そう思っての行動だった。イアンの狙いのほとんどが正確で、投げたナイフは彼らの体に吸い込まれるようにして当たっていく。投げつける的は顔。本当は首を狙いたいのだが、ヘヴン・コマンダーである彼らの大半は体の防具を着用している。それに、自分のコントロールが完璧なまで正確とは言いがたい。彼にとって、持ち手をすべて投げて三分の二が当たる確率の演算を自身で叩き出していた。
投げたナイフを受け止めたヘヴン・コマンダーたちは呻き声を上げながら、苦しそうに跪く。これでそのままではこちらにも危害がある。ほら、意地が悪い。こちらに発砲をしてきたぞ。それでも弾は大きく逸れた。その次の弾が来る前に処理をしなくては。
一気に駆け出すイアン。向こうも焦りはあるようで、焦点は全く合わずとも引き金に置いた指を動かしていく。
投げていなかった一つのナイフだけで、一人目の体を止めることに成功。次は相当苦しんでいるこいつだ。こいつは簡単だ。なんせ、銃器を手にする力すらないのだから。首を掻っ切れば、ほら。
問題は残りの一人だ。投げたナイフを掠っただけのヘヴン・コマンダーはゆっくり後退しながら通信機器の向こう側にいる相手に連絡を取っている最中である。増援を求める気か。
「応答! 応答を願います! コレクタルス要塞の第六百三軍事倉庫施設にて、研究員に成りすました反軍が侵入! 増援を求めます!」
――そうはさせるか。
「推定二十代前半に百七十五センチ前後の細身の男、ちゃ――」
ヘヴン・コマンダーがイアンの特徴を言うが早いか。死ぬが早いか。それは後者だった。自分のすべての身体的特徴は知られることはなかったが、これでどこからかの増援がこちらに来るのも時間の問題だろう。一刻も早くこの要塞の部隊隊長を殺らなければ。
もう白衣に血がつくのを気にしている場合ではない。彼は投げたナイフを回収して、先を急ぐ。最初に研究員からカードキーを奪ったから、どこでも行き来は自由だ。
そうしてイアンがやって来たのは施設内の地下にある研究室のようなところであった。机や床には何かしらの研究レポートのようなものが散乱しているようだった。突然の陽動部隊による爆発で慌てて逃げ出したのか。だが、彼はここで行われていた研究には興味がなかった。一番に目を向けたいのは部隊隊長という人物の存在。だから、落ちている紙媒体のレポート用紙など気にすることもない。道端に転がっている石ころ同然。踏んでも何とも思わない。
「タツ、こっちには来ていないよな?」
ここは地下である。一階や二階ならば、まだ窓からの逃げ道はあるにしても、地下となると、ないに等しいのだ。タツの存在を確認するためにもイアンは研究施設の更に奥へと進む。この研究室で開きっぱなしになっていた物置のような部屋へと覗き込んだ。
「タツ?」
呼びかけても返事はないようである。ここにあるのは保存用液体に浸けられた人の臓器だったり、目玉だったり。見ていて気分のいいものではないことは確かだ。
イアンはタツがいないことがわかると、すぐに踵を返した。そして、残りの鍵のかかったドアにカードキーを利用して開ければ、もっと気持ちの悪い物を見てしまった。
人でも何でもない醜いバケモノの死体。その体には飛び出た導線のような物。それらはどこかにつながっているわけでもなく、ただ単に体から無理やり飛び出たような跡をしていたのだ。
「なんだよ、これは……」
我が目を疑うほどの気味の悪さ。この部屋はかなり広いらしい。太い柱から殺気が飛び出してこないだろうか。すぐさまここから出たいと思っていても、もしかしたら部隊隊長がいるかもしれない。タツがいるかもしれない。それを見越して逃げたい気持ちを押し込めた。
やがて、部屋の一番奥らしきところへとやって来ると、バケモノの死体が崇めるように謎の球体が導線につながれて鎮座していた。
「…………」
なんだ、これは以外の言葉が見つからない。この謎を知りたいにしても、ここには部隊隊長もタツもいない。別の場所を探しに行こうとしたときだった。
イアンは何を思ったのか、フォーム・ウェポンを剣に変えてそれを後ろに回した。この場所が地下だからなのか。金属音がよく響く。
そう、攻撃を仕掛けてきた者がいた。その人物は人であって、人ではない者。ヘヴン・コマンダー特殊部隊エンジェルズのウリエルだった。何とも好戦的な目。これにイアンは顔を歪める。
「また会ったなァ! イアン・アリス!」
「お前はウリエルかっ!」
このようなときに現れるとは。どうもウリエルとは切っても切れない縁があるらしい。正直言って、この縁を切りたいものだ。何度も対峙するのは骨が折れるし、彼がここにいるということは、他のエンジェルズもこちらにいるという可能性が高い。
ウリエルに遭えば、ロクなことはほとんどない。
「あのときは『あいつ』に、強引に撤収されたからな!」
あいつとはブレクレス商業施設の地下で会った四人目のエンジェルズのことか。ウリエルは軽々しく剣を捌くと、距離を取った。
「今回は俺だけしかいねぇよ。だから、安心して死ねっ!」
ウリエルの象徴とも言うべき銀色の槍が動き始める。この戦い、前回同様に頭の中を空っぽにして戦うが賢明か。イアンはこちらに迫りくる刃を――剣にしていたフォーム・ウェポンを盾へと変化させる。その刃をこの頑丈な盾に貫かされてたまるか。こちらへと押し寄せられた一撃は重たかった。あまりの重たさに足がよろめきかけるが、こちらとら頭を空っぽにしているのだ。
攻撃を受け止め、追撃が来る前に隠し持っていた黒い剣を振るう。盾で見えなかったにしろ、人並み外れた身体能力を手に入れているウリエルはイアンの反撃を槍で防御した。
――両手が空いていませんね。
それを狙うかのようにして、イアンはすぐに盾形状のフォーム・ウェポンを右手に持つ剣と同様の形へと変えて――首へと攻撃を仕向けるのだった。
いくら改造人間だからとて、首を刎ねられたならば、生命活動は終わりなのだから。
「お前が死ねっ!」




