◆46
無事『バグ・ワープ』の親であるカシオペアを倒したイアンとレーラ。彼らは帰りに楽園のシステム警備をしているセキュリティガーディアンに見つからないようにして、システム外へと出た。一安心する中、彼女はカシオペアの情報データを持ち帰ろうとする彼が気になるのだろう。「ねえ」と声をかける。
「それを持ち帰ってどうするの?」
「……わからない。けど、ガンにデータの解析をしてもらおうって思って」
「コンピュータウィルスの情報データを解析するの?」
レーラはそのことに不信感を抱いている様子。
「うん。このまま捨ててもって思ったんだけど、なんとなくこのままでいいのかなって」
「私的にはこのままでもよかったんだと思うけど」
あそこまでして、攻撃をぶつけているぐらいならば。何も思っていなさそうだと思っていたのだが、とんだ見当違いだったらしい。意外にも気にしているようだった。全く以て、イアンという人物は訳がわからない。
「俺が気になるだけだから。ガンが解読しないなら、俺のプログラムに解析の機能を組み込んでもらうつもり」
「でも、コンピュータウィルスだよ? 下手したら、そのウィルスに感染するかもしれないんだよ? それでもいいって思っているなら、イアンって少しおかしいよ」
これはもうはっきりと言った方がいいのかもしれない。レーラはそう言う。これに逆切れするか、納得して諦めるが普通の人間だと思っているのだが――。
「知ってる」
自分自身がおかしいということに開き直っていた。これに愕然とするしかない。この人物こそ、他の人間にとっても予想外の言行をする男なのだ。それをすっかり忘れていた。それがこれまであったことを忘れさせるほど、普通の人間を演じていたというのか。
そうだ、その通り。イアンは普通の人間だと考える方がおかしいのだ。その思考回路にレーラは頭を振る。怪我をする、表情がコロコロ変わる――そんな当たり前のことを仮面として扱って、その下の顔を見ていなかった。いや、見ることを恐れていたのだ。知らなければならないはずの仮面の下の素顔を。
それをあのときから拒否反応を起こしていたのかもしれない。
「俺はきっと普通の人生を歩んだことなんてないよ」
確信はない。そうではなくとも、そうであるという勘があった。たかが勘、されど勘。ばかにはできそうにない。なぜならば、レーラは先ほどのイアンの発言に納得がいっているから。
イアンは普通の人生を歩んだことはない。
普通って何だろうか。レーラの思う普通の人生って? イアンが知る普通の人生って何? 自分の思う普通の人生は、楽園に対する復讐心。それが当たり前の日常。彼が知る普通の人生は、楽園に対する復讐心ある者たちの手助け。それが当然の日常。
これが普通。当たり前、当然。
それを逆に考えるならば、イアンが普通ではないと思うのは楽園に対する考え方とその思想だ。だが、二人ともそれ以上考えたくなかった。何も口にすることができなかった。それだからこそ、レーラはデータを処分をしようとしない彼に、何も言えずにRe:WORLDシステムへと戻ってきてしまった。
こちらのシステムへと戻ってきた頃にはシステム内の構造も元通り、おまけにガンの体調もいいらしい。以前の明るい表情を見せる彼に会えた。ガンは二人を見ると、即座に「二人ともありがとう!」と嬉しそうにハグをしてきた。
レーラはちらりとイアンの方を見ると、彼自身も嬉しそうな表情を見せていた。前回のときとは違う顔だ。
「なんだか、体が軽い気がするんだ。これが元気ってやつかな?」
「うん、そうだと思うよ」
「ははっ、これ以上までにたくさん仕事ができそう……って、イアン。それは何?」
早速、イアンの持つカシオペアの情報データに気付いた。これにデータの解析をしてもらいたいとガンに頼み込んだ。断られるだろうか、というレーラの予想とは裏腹に、彼は「いいよ」と解析を始めるのだった。
僕は昔のゲームのキャラクターだった。全世界で遊ばれるゲームのトップチームでもあった。それはごくごく当たり前のことだった。それだから、最下位のチームリーダーのことなんて眼中になかった。だとしても、誰かに聞いたことがある。あいつはろくにネットワーク内で自分の宣伝ができずに、この場所で自分のチームの宣伝をやっていたと。あいつはチーム戦における最下位のチームリーダーだった。当然、僕とは雲泥の差だとばかり思い込んでいたのだが、ある日を境にチーム戦の順位が逆転してしまう。負けたのだ。だが、それは負けてしまったという事実がそこにあるから当たり前だということを受け入れた。そうすることが当然であるから。
それから、何の因果であるかはわからないが、気がついた頃にはデータ・スクラップ・エリアにいた。そこで同じような目に合ったプログラムと出会った。どうやら、僕たちは用なしと見られてしまったらしい。そのため、僕たちはここにいるのだ。ここにしかいられないのだ。僕たちを作った人が捨てたのだから。
そして長い年月が経ったと思う。思うというのは時間の概念がプログラムにはわからないからだ。僕に対して救いの手が差し伸べられたと思いたい。この思いたいというのはそう思い込むことによって、それが当然であるという思考回路が回るから。そう思っていないと、この薄暗い場所から脱却できないと思ったから。
僕は救いの手によって、ただのネットワークゲームキャラクターから改造されてコンピュータウィルス・プログラムになった。それでも、僕の名前は残っていた。僕の名前はカシオペア。スター・トレジャーというチーム戦ランキングで常にトップだったチームリーダーキャラクターではなくなり、今はコンピュータウィルス・プログラムだ。ユーザーたちはバグ・ワープと呼ばれている。
どちらもどっちで同じ。僕がカシオペアであることには変わりはない。
「これは……」
情報データの解析を終えたガンは少しばかり悲しそうな顔をしていた。このカシオペアが考えていたことが、思っていたことが彼にはわかるような気がしていたから。自分たちは人間の手によって規則正しく作られた融通の利かない存在。イアンやレーラとは違って、思考回路は一つしかない状態だ。
一方で解析を読んでみたイアンとレーラにはプログラムたちの気持ちなんて知る由もなかった。二人は人間である。プログラムが何を思い、考えるのかを見抜くことはできない。こういうときにこそ、予測不能に陥るのが人間である。
何か気まずいなとイアンは思いながら「どうする?」とガンに訊ねてみた。
「その情報データ、あいつの記憶データみたいなものだよな?」
「うん。これはここのシステム領域の邪魔にならない場所に保管しておくよ」
「捨てたりはしないの?」
「私たちプログラムはどんなに悪用されようが。改造されようが、文句は言えやしないよ。結局、ユーザーに使われなければ、ただのガラクタのようなもの。こうして、何かしらのネットワークにつながれているだけでも感謝しなくちゃ」
ガンは知っている。そこから出られない暗い情報データの海辺。何度も何度も誰かに使われたいと思ったことか。ここから出たいと思ったことか。プログラムが一番恐れているのは、ユーザーに使われることなく、データ・スクラップ・エリアで消えてしまうこと。半永久的にその場にいなくてはならないのだから。それならば、まだ悪用された方がマシである。どのプログラムもそちらを選ぶ。いや、自分たちに選ぶ権利なんてない。自分たちを利用するのはユーザーである人間だけなのだから。
ガンの言葉に反論できない二人は何とも言えないまま、現実世界へと戻るしかなかったのだった。