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膨大な資料。それらをコンピュータ室へと運んでくれないか、とグーダンに言われてイアンとレーラは頼まれた資料類を指定の場所へと運んでいた。相当な量のせいか、普段は力仕事も任せられている彼でも重たそうに持っている。そして何より、彼女の前では格好をつけたいのか、五割増しで運搬しているのだ。
「少し持っていこうか?」
見兼ねたレーラがそう訊いてみるが、イアンは断固としてその手を断るのだった。見栄を張りたいのである。特に彼女に対しては、だ。
「こんなの平気だよ」
嘘。やせ我慢。手がプルプルしてきたし、持ち直そうにも何かの拍子でバッサーと落としそう。だけれども、ほれ見たことか、とレーラに呆れられたくないから頑張る。
コンピュータ室に近付いてくるにつれて、手の限界が刻々と訪れようとしていた。落とすか、それとも落とさないか。そんな瀬戸際に立たされていたが、無事に資料類を落とすことなく運ぶことに成功。それ見たことか。一人でも運べたぞ、と優越に浸るイアンを気にすることなく、レーラはこの部屋の管理人に「ここでいいですか?」と訊いているではないか。
「リーダーから頼まれたものですよね?」
その言葉にコンピュータ室の管理人は「うん」と頷く。
「ありがとうね。そこでいいよ……っと、いけない、いけない」
管理人がお礼を言うと、何かを思い出したように、少し焦りを見せながらこのレジスタンスが使っている独自のネットワークであるRe:WORLDシステムを弄っていた。自分たちがいる場所からでも見える画面には『アクセスエラー』の文字が。気になるイアンが「どうしたんですか?」と声をかける。それに忙しそうに「ちょっとね」と唇を尖らせる。
「システムの調子が悪いみたいなんだよ。こちらが操作しても、勝手にアクセスエラーになるし、行きたいページにも行けない状態で……」
自分たちレジスタンスが利用しているシステムの不具合を聞いて、イアンはそのシステムを物理的にたった独りで管理しているコンピュータ世界の友達のことを思い出す。ガンことだ。彼は大丈夫なのだろうか。
そのことはもちろんレーラも思っていたらしい。二人は互いに顔を見合わせて、愁眉を見せていた。
「大丈夫なのかな?」
「心配だなぁ。俺が実際に行って、見てきましょうか?」
思ったことは即行動するのがイアンでもある。レーラはその発言に戸惑いながらも自分も行くことを決意。多少の驚きがあったにしても、彼女もガンの様子が気になるのだ。
「きみたちがかい? そう何度もシステムの不具合を物理的に見に行って……。どこか体に異変とかは?」
「この前も行きましたけど、特に問題はありませんでした」
イアンは特にないという。もちろん、それはレーラもである。実際にコンピュータの世界に行ってみて、体調不変だったことは一切ない。それが故に行こうとしているのである。
結局、コンピュータ室の管理人は自分だけではシステムの不具合を直せないと判断したのか、二人に頼むことにした。だが、彼らがコンピュータの世界へと向かうにあたって、一つだけ問題が生じる。それはイアンたちが向こうの方へと行ってしまった後始末である。意識のみがコンピュータ世界にあり、肉体のみが現実世界に残されるのだから。つまり、平たく言うと、意識を手放してしまえば、必然的に自身の体を支えるという力がなくなってしまう、ということだ。
そんな二人の悩みを解決するべく、管理人はキャスター付きのタンカーを二台用意した。そこに二人を寝かせて、右手にある偽装チップを媒介して向かうという方法。これならば、倒れる心配も、それを支えなくてはならないという心配も要らない。
これは利便がいい、とイアンたちは早速タンカーに体を預けて、右手の手の平をタッチパネルモニターへとかざして、いざコンピュータ世界へ。
意識が遠退きながらも、管理人の不安そうな声が聞こえてくる。
「もし、危ないと感じたらいつでも連絡してね。すぐに帰還する準備をするから」
しかし、その声はただの幻聴だったのかもしれない。イアンたちが目を開けると、以前に来たことのあるコンピュータ世界へといるのだから。真っ白な床に壁、天井。そこに走るのは青色の光の筋。いつものこの世界。そう思うのも束の間。レーラが一歩だけ足を動かしたとき、小さな悲鳴を上げたのだ。
「えっ、何?」
「どうしたんだ?」
気になるイアンが彼女の方へと近付こうと、動いたときだった。動かした足の地へ着く感覚が不安定過ぎておかしいのだ。どうしてこうなっている? イアン自身も驚愕しているのか、目を大きく見開いていた。
「何がどうなっているんだ?」
ここにいるという感覚自体が不安になってくる。これがシステムでの不具合か。それならば、急いでガンを捜さなければ。彼はこのRe:WORLDシステム内での唯一の物理的な管理人なのだから。
「ガンってどこにいるのかな?」
「システムの管理人だから、俺たちが来たならガンも知っているはずなんだけどなぁ」
ガンを捜すということも大事ではあるのだが、一番の問題が発生していた。二人は二度ほどこのRe:WORLDシステムを媒介してコンピュータ世界を訪れているため、ここのシステムの構造という名の地形はある程度覚えているはずなのだ。自分たちがここへ来たときにどこにいるのか、その場所はどういうところであるのか。
必ずと言っていいほど最初に訪れる場所は現実世界での建物内にある玄関ホールのようなところだ。そこからたくさんの保存場所へ行けるように、通路やドアがいくつもある。だがしかし、今回二人が最初にやって来た場所は玄関ホールでもなければ、どこかの保存場所でもない。それならば、ここはどこになるのか。全くの見当がつかずに、動くことさえも不安になる場所で彼らが顔を見合わせていると――。
「二人とも」
まるで病人という、たとえが正しいだろう。今のガンはプログラムとしての存在なのに、顔を真っ青にして現れた。
「一体どうしたんだい? ここは……」
具合が悪そうにガンがイアンたちに話すのだが、よほどシステムの調子が悪いらしい。不安定な雰囲気を出しているのだ。それもそのはず。彼はシステムの物理的管理人にして、システムそのものでもあるのだから。だからこそ、ここの調子が悪ければ、ガン自身も調子が悪いというのは必然的になるのだ。
「何があったんだ?」
「私のことを心配してくれるのは嬉しいが、きみたちまでここに来るのは危険だ。ましてや、二人は脳情報データをこのシステムに媒介して存在しているようなものだろう? その情報データが欠損すれば、現実に戻ったときに記憶障害を起こす可能性だってあるんだよ?」
「それはわかっているけど、放っておけないし……」
ガンは二人が誤ってこの世界に来て、元に戻る策を一緒に考えてくれたよき友人だ。それだからこそ、現実世界に戻ってコンピュータウィルスに感染したときも、助けに行った。今回も同様だ。システムに不備があろうと、コンピュータウィルスに感染しようと、ここにいる友人を助けたい。その思いがあるのだ。
「ガンは俺たちの友達だからな」
イアンの言葉にレーラも頷く。彼女も同様の思いがあるらしい。そんな二人の言葉が嬉しかったのか、ガンは水を得た魚のように表情を大きく変えた。彼は自身の胸に手を当てる。
「……何だろう? ここらへんが高揚してくる感じ。初めて感じるようでもないような気がするよ。これが人間にとって、嬉しいっていうことなのかな?」
よくわからないのも事実。ガンは小恥ずかしそうにそう訊ねると、レーラが「そうだよ」と肯定してくれた。
「それが私たち人間にとって、感動したっていうの」
「そっか……」
「うん。じゃあ、ガン。今どういう状況なのか、教えてくれる?」
イアンが本題に入るようにして、ガンはぽつりぽつりとこのRe:WORLDシステムで起こっていることを話し始めるのだった。




