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世界は夢を見せるほど俺たちを嫌う  作者: 池田 ヒロ
記憶はないが、記憶にないのは当たり前である。
37/108

◆37

 そう言えば、とエルダはタバコを咥えながらレジスタンス拠点を歩くイアンを見て思った。ここへ来てそこまで時間は経っていないため、彼の中身のことは多少ぐらい知っていても、よく知らない。どう言った人物なのか。気になる彼女は偶然にもため息をつくレーラに「ねえ」と声をかけた。


「イアン君のこと知りたいんだけど」


「え」


 レーラが口を開いたかと思えば、怪訝そうな顔をしてきた。なぜにそんな顔をするのか。こちらはただ単にイアンのことについて訊ねているだけなのに。もしかして、彼は嫌われているのだろうか。だとするならば、訊く相手を間違えたかもしれない。


 エルダは訊かない方がいいかな、と判断したのか「ごめん、やっぱり聞かなかったことにして」と話を誤魔化そうとする。そこまでして、強引に話を聞こうとは思わないからだ。そんな彼女であったが「いいですよ」と――何があったのか。先ほどまではその話題をしないでと言わんばかりの表情をしていたというのに。どういう心境の変化か。いや、別にいいか。こちらはイアンのことが知りたいのだ。


「イアンのことを知りたいって。たとえばどんなのですか?」


「何でもいいよ。一応あたしもここのお仲間だからさ。特殊な感覚でイアン君はここに入ってきたんでしょ? だから、少しは親近感があってね」


 イアンがただのレジスタンス側の人間としているわけではない、ということをグーダンから聞いていた。『ただの』と言われると、相手が気になるのも当然だ。それが故にエルダは「それじゃあ」と軽い談笑感覚で「イアン君っていくつなの?」というシンプルな質問を投げつける。


「こういうのって、本人に訊いてみたいんだけど……まだ警戒しているのかな? 事務的なことしか話してくれなくてさぁ」


「……イアンって極端って感じがしますよね」


「極端」


 肩をすくめるレーラに対して、エルダは思わず肩で笑ってしまった。一言で済まされる人物像というところか。他人から見たイアンはそういう人物なのだろう。


「なんて言うか、そうなんですよ。ちなみにですけど、イアンの年はイアンも私も知らないですよ。本人、記憶喪失状態らしくて」


「記憶喪失」


 レーラの発言にエルダは、今度は目を丸くして驚愕をした。まるで予想外だ、と言っているようであるが、すぐに平常心を取り戻した様子。その様子からわかるのはありえなくもないか、という面持ちである。


「もしかして、自分の名前以外は思い出せない感じ?」


「……いえ、確か私に似た誰かを知っている感じが……」


「婚約者か何か?」


「だと思います。よくわかりましたね」


 わかるのは当然だ。イアンの左薬指には指輪が装着されているからだ。そこに指輪をするなんて、普通に考えて既婚者か婚約者がいるかの話になるだろう。その線で考えると、イアンの年齢は成人を過ぎているはず。


「成人しているなら……?」


 だが、一つ気になることがある。いや、人の趣味や嗜好はそれぞれであることはエルダも理解しているつもりだ。そうだとしても、イアンの場合はお酒やタバコを嗜む姿を見たことがなかった。ただ単に苦手なだけだろうか。


「うぅむ。イアン君って甘党なの? それとも辛党?」


「甘党だと思いますよ。お酒は飲んでいるところ見たことがないからわかりませんけど」


「なるほどね、なるほど。ありがとう。ちょっと、イアン君に餌付けしてくるよ」


 何を考えているのやら。何かしらの企みを考えているエルダに少しだけ不審を抱きつつも、レーラは「それじゃあ」と頭を下げてその場を後にする。彼女がこれからすることを見届けようなんて思っちゃいない。こちらにとばっちりなんて食らいたくないからだ。


 一方でエルダもこの場を立ち去ろうとするレーラを引き留めることもなく、「うん」と軽い返事で後ろ姿を見送った。


――さて、イアン君とお話がしたいからつってみようかしら。


 短くなったタバコの火を消して、エルダは懐から一つのキャンディを取り出した。透明感のある美味しそうなお菓子。これを食べたいが、残念ながらイアンにあげる分である。


「確か、イアン君はあっちの方に行ったかな」


 歩いて行く姿は見掛けていた。なので、そちらの方へと行ってみると、案の定イアンはいた。しかし、小さな子どもたちつきで。どうやら、楽しくお遊びをしているようである。エルダが少しだけ声をかけづらそうにその光景を見ていると、彼の方から気付いたのか話しかけてくれた。


「どうしましたか」


 自分よりエルダが年上にでも見えるのだろうか。それともまだまだ信用ならない人物だから敬語で言っているのか。どちらにせよ、後者が正しいかもしれない。グーダンやオクレズたちには敬意を込めているようであったし、レーラやタツのような子どもたちにはフランクさが見えていた。というよりも、訝しげな感情が見え見えなのはいつ見ても同じである。だが、今はそのようなことを気にしていられないか。


 エルダは「うん」と以前に、イアンに言った言葉を思い出しながら「あげる」と棒付きキャンディを差し出した。これにより、彼は更に怪訝そうな顔を見せてくる。こちらに対する思いは「何を考えているのか」だろうか。だが、子どもたちにとっては疑いの眼差しは見当たらない。むしろ「いいなぁ」と自分たちにもキャンディを遠回しに要求している。


 それぐらいは目に見えていた。だからこそ、エルダはまだまだあるよと懐から子どもたちの分のキャンディを出した。


「もちろん、みんなの分もね」


「わぁい! おねえさん、ありがとぉ!」


「ありがとぉ!」


 レジスタンスチルドレンはそれぞれキャンディを受け取って美味しそうに頬張った。最初はダメだと言おうとしていたイアンも本当は欲しかったのか「ありがとうございます」と結局受け取るのだった。食べて問題ないだろうか、と不信感を抱きつつもエルダの方を見てくる。彼女は何が目的なのだろうか。


 イアンは思い出した。


【信頼してもいいんだよ?】


 お菓子工場に潜入した彼女の発言。エルダは自分たちと仲良しになりたいとでもいうのか。だとしても、信頼できると言われると――。レーラの気持ちもわからなくはない。


「えっと、俺に何か……?」


 エルダがこうして自分に近付いてきているのは、話をしたいのかもしれなかった。その話がなんであるかはわからないが。


 イアンが憶測に思っていたことは的中する。


「ちょっと、イアン君とお話がしたいんだよね」


 やはりか。話をするのは構わない。が、子どもたちの前で話をするのは気が引ける。子どもたちと一緒だと、横やりが入ってきそうだから二人で話したい。彼らの考えは一致した。


「いいですよ。休憩所でもいいですか?」


 そこならば、子どもたちが来る心配はないだろう。エルダもそれを知ってか、大きく頷いた。一番の不満を垂れていたのはもちろん子どもたち。イアンと遊べなくなることが嫌なのか文句を言っていたが、それは彼らが宥めるのだった。


 そうして二人が休憩所にやって来たのが二十分後。今は夜だというのに、珍しく大人たちは誰もいない。いつもならば、ここで大人たちが酒盛りをしているはずだ。いや、いない方が都合がいいかもしれない。


 エルダは適当に棚から酒瓶を引っ張り出して「飲もうよ」と誘う。


「イアン君、一応成人はしているでしょ?」


「えっ、いや……俺、お酒は……」


 一口ぐらい付き合って。その言葉に負けてしまったイアンはグラスに注がれた透明感があり、アルコール臭のする一杯を口につけたのだ。


「あのさ、きみって……」


 早速エルダもグラスに口をつけつつ、訊きたいことを言おうとするのだが――突如、イアンは一口だけでいいと言っていたのに、それらを飲み干してテーブルの上にある酒瓶に手をつけ始めたのである。


 というか、ラッパ飲みである。これには、エルダは開こうとしていた口を閉じて唖然とするしかない。自分はお酒が苦手というようなニュアンスある発言をしていたのに、この飲みっぷり。


「い、イアン君?」


 一つの酒瓶の中身を一気飲みし終えたイアンは顔を紅潮させながら「僕はレジスタンスなんですよ!」と知っていることを大声で言い出す。というよりも、一人称が「僕」である。明らかな泥酔状態だとわかる彼にエルダは余計なことをしてしまったかな、と眉根を寄せた。


「うん、イアン君がレジスタンスだってことは知っているから……」


 落ち着け。そう言いたいのだが、イアンはエルダの言葉を「だから!」と遮ってくる。


「それだからぁっ、僕は今からヘヴン・コマンダーの拠点を潰してきますっ!」


「うん、わかったから。あたしがいけなかったね。だから、自分の部屋に……ってぇ!?」


 イアンはフォーム・ウェポンを手にしてどこかへと行こうとするではないか。これに「待って!?」と青ざめている。


「待って、待って、待ってぇ!? ちょっと、本当に行く気なの!? えっ、独りで!?」


「あたりまぇれしょおがっ!」


 あまりの酔いに呂律が回っていなかった。これだと、無謀にも大胆に真正面から乗り込んで自滅パターンが見えてきたではないか。やばいぞ、やばい。


「ねえ、落ち着いて? あっちに行くなら、グーダンさんに相談しないと……」


「それれも、ぼかぁれじしゅたんしゅじゃいっ!」


 エルダの制止を振り払って、とうとうイアンは拠点から出ていってしまった。周りからはレジスタンスたちの騒がしい声が聞こえてくる。遠くからグーダンの「何だって!?」という大声がはっきりと耳元で聞こえたようだ。


――やっばぁい……。


 自分がイアンにお酒を勧めたことを今更嘆いても仕方がない。だって、ここまでお酒に弱いということを知らなかったから。ここまで酒乱だとは思わなかったから。


「エルダぁ!!」


 怒声が聞こえてくる。もうエルダに逃げ道はない。残るのはグーダンからの叱責である。


 とんだ失態。エルダはグーダンから叱責を受けている間、イアンの身の心配をしていたのだが――彼はヘヴン・コマンダーの拠点の撃破に成功していた。これが酒乱の力ではあるが、グーダンを始めとするレジスタンスは絶対に、イアンにお酒を飲ませまいと固く決めていた。それはもちろん、他の誰よりもエルダが胸に誓いを立てていたのである。

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