◆3
あやしげな黒煙の立つ場所へと急いで来てみれば、そこは阿鼻叫喚という言葉が相応しい状況があった。イアンとレーラを待っていたであろう物資を運搬するトラックは炎に包まれており、係の者の姿が見当たらないのである。
まさかとは思いたい。この事案の原因は姿を見せていない。今のところ、こちらへと押し寄せてくる焦げのにおいから察するに人が焼けるようなにおいがしていないのが唯一の救いと言ってもいいかもしれない。
「レジスタンスの人たちは!?」
「落ち着いて! もしかしたら、身の危険を感じてこれを放棄しただけなのかもしれない……」
「そいつら、放棄していたぞ。反乱軍め」
二人にとって、聞き慣れない声が聞こえてきた。誰なのか、とレーラが振り向くと同時にイアンが彼女の手を引く。その直後、レーラがいた場所に何かが飛んできた。
微かに嗅覚で感じるは火薬か。一歩間違えれば、体に穴が空いてしまっていただろう。イアンに助けられた。
二人に近付いてきたのは濃い緑色の軍服を着て、銃器を手にした者たち。その人物たちの右手には何かしらのマークがあった。そのマーク、イアンにとってはどこかで見覚えがあるように思えたのだが、別のものを見てしまい、そちらの方が衝撃的だったのか。その記憶は頭の奥底へと押し込まれてしまう。
軍人たち――ヘヴン・コマンダーたちが武器を持っていない左手にあったもの。それは人の首である。もちろん、その生首を見てレーラは誰のものであるかを十分に承知した上で――。
「この外道がっ!」
貴様らに対しての恨みは底なし沼のようだぞ、とその目には復讐心が宿っていた。レーラは見境なしに武器である剣を振るっていくのだが――。
振るわなければ当たらない武器と引き金をただ引くだけで当たる武器、どちらが高性能であるかを知らしめるように一人のヘヴン・コマンダーがレーラの顔に焦点を合わせた。このままでは彼女が死んでしまう。銃口を向けられた瞬間におぞましいと実感したイアンは手を動かした。
不可能だとわかっていても、頭の中は真っ白。何も考えていないように見えては、浮かび上がる考え事は大量の字面。
『死んでしまう』
その言葉以外に何が思いつこうか。考えるよりも行動するが早い。だからこそ、為すがままに持っていた唯一の武器であるレーラと同じ剣をヘヴン・コマンダーに向けて投げつけた。あとからそれが正しい選択肢だったかと言われると、閉口せざるを得ないが、事は一刻も争うものである。いかにして自分たちが死なないという選択肢を選んで、その道を歩けるか。イアンの場合だと選択肢を選んだというよりも、勝手に作って突き進んでみたが正しい。だが、それが正しくないと言えば正しくないのだが、正しいと言えば正しいのもこれまた事実。なぜならば、彼が投げつけた剣が銃器を弾き、レーラは死なずしてほくそ笑んでいた彼らの一人の顔を歪ませることに成功したから。
そうだとしても、ヘヴン・コマンダーだってとっさの判断ができない人間ではない。持っていた銃器でそれを防いだ。反射的に防いだからこその一撃の重みを知っている。左手に持っていた苦痛の顔をその場に落とす。
「お前たちがっ、お前たちがこの世界を支持しなければ……!」
「しなかったら、しなかったで状況は全く変わらんと思うがね」
「なら、この枯れ果てた世界が平和だと断言できるのっ!?」
見渡す限りは草木がほぼ存在しない荒野。それはどこまでも続いている黄土色の世界。水気のないひび割れた大地を見てこれが平和? 笑わせるな。
「私は聞いている、昔のクレンシャスの丘を! 私は知っている、ここはかつて緑にあふれた美しい町郊外だと!」
「だから? 夢でも見ていたんじゃないか? 知っているって……ただの小娘が」
ヘヴン・コマンダーたちの方が戦術的に一枚上手だったようで、レーラの刃を簡単に弾くと素早く銃器を構えた。彼女は次の一歩がまだ間に合っていないようである。死を諦めたくない彼女であっても、このときばかりは死を覚悟したそうだ。その青緑色の目に映る万感に彼らはにやりと笑う。
――あとは本当に夢でも見て、ここで眠れ。
「夢なもんか」
引き金を引いた。だが、その弾道はレーラの真横を通り過ぎていく。まだ撃てると思ったら大間違いだ。ヘヴン・コマンダーは次の引き金を引くことができなかった。その理由は銃口の焦点が合わない上、自分の手が言うことを利かないからである。必死なのだ、武器を使用する以外にやることがあるから。必死なのだ、己の気道を確保するため、首に力を入れるのに。
いつの間にか背後にはいつでも絞め落とせると言わんばかりの冷たい目をしたイアンがいた。首を絞めており、他のヘヴン・コマンダーたちはすでに倒れているのである。あの三十秒にも満たない時間の中で自分以外の仲間を倒したというのか。そうだとするならば、この者は一体何者なのか。
「俺には見覚えがある」
「へっ、ここが緑でいっぱいだったことか? お前も夢を見たか?」
「俺の……返せよ」
武器を弾かれたことと、当たりはしなかったもののこちらに向かって発砲されたことが原因なのか、レーラは地面に座り込んでいた。彼女は一人だけこの地に立っている者を見て恐怖を感じていた。昨日今日と初めて顔を合わせた人間が本性らしきものを見せてきたのだ。
イアンはこちらを見て優しい笑顔を見せているが、それが恐ろしいとしか言えない。ほぼ独りで敵をやっつけたというのに、怖いとしか言えない。
「もう嫌なやつを片付けたよ。さ、いつも通りここで遊ぼうぜ」
一体自分を誰として見ているのか。交じりっ気のない純粋な笑みが不気味だった。
イアンはレーラの隣に座り込んだかと思えば、その場に寝転がった。なんとも奇妙な光景か。丘の上はトラックが炎上し、その周りでは人の死体があるのに。なぜにそんな悠長にのんびりとしていられるのか。
「また花冠でも作るのか?」
「えっ」
間違いない、イアンは知らない誰かとレーラを重ねて見ている。それが恐ろしくて、その誰かに思われたくなくて、彼女は「違う」と勇気を持って口を開く。
「私……レーラだって……」
イアンと出会って二度目の訂正。これで正気を取り戻せたらば、いいのだが。
言った後の反応が怖くて、目を背けた。妙な場の雰囲気のせいで息が詰まるし、なんならば、ここから逃げ出したい気分だった。それでもと、おそるおそる、イアンの方に目線を向けていると、彼は驚いたようにして目を丸くしていた。
「……じゃない……。あっ、うん。そうだったな。ごめん……」
何を言っているんだ、と無事正気を取り戻した様子のイアンはレーラに一言詫びを入れた。なんとか元の彼に戻って大きく息をはいた。先ほどの狂気は見当たらない。
「物資……火に包まれているけど、グーダンさんに報告した方がいいよな?」
「うん、私がするからいい」
つい先ほどまでは腰が抜けて立てなかったのだが、今は立てるようになったようだ。だが、イアンのあの狂気の笑顔を見て足がすくんでいる様子。膝が笑っているようだ。それを見兼ねて彼は「大丈夫?」と心配そうに声をかけてくるが、止めて欲しかった。
その場にへたり込んでしまいそうだから。それほどまでにイアンの発言は大きいもののようだ。レーラは後始末を放置してまでも早々に帰還したかったのだが、あとの問題もあるとしてグーダンに連絡を入れた。
グーダン曰く、処理は自分たちがするが、それの手伝いをして欲しいとのこと。そのため、二人はこの気味の悪い場所で彼らの到着を待ち侘びるのだった。