◆29
無機質な音が遠くから聞こえていた。それに用心深く耳を澄ませていると、段々と近くに聞こえてくる。それと同時にイアンは目を覚ました。
ここはどこなのか。まだ意識がはっきりとはしていないのだが、ここがレジスタンスの拠点ではないことは間違いない。
頭を振って意識をはっきりとさせようとする。夢を見ているのだろうか。薄ぼんやりと視界に映るのは真っ白な世界。それに青白い光のラインが走っていた。
「え? 何、ここ……」
近くからレーラの声が聞こえてくる。その声の方を見れば、彼女がいた。いつもの赤いシャツと紺色のショートパンツを履いている彼女ではないようだ。何やら軍服っぽい格好ではあるのだが、だからと言ってヘヴン・コマンダーの服装ではない。見たことがない物である。その服には走る光のラインがあった。
「イアン? 何その格好……」
こちらに気付いたレーラは自分たちの姿を見て目を丸くしていた。どうもイアンの服装自体も同じような感じらしい。いや、そうだった。見覚えのない軍服に走る青色の光のライン。
「私たち、どうしたんだろう?」
「俺もよくわからない。今わかるのはこれが夢であるということだな」
「きっぱり断言するのね。現実だったらどうするの」
それでもイアンは夢だと発言する。こんな変な世界、現実で見たことはないもの。あやし過ぎる真っ白で、青白いラインの入った世界。荒廃して、黄土色が続く場所からどうやってこんなところへやって来られるというのか。
「緑のない世界にこんな世界がある方がおかしいだろ」
「それも、そうなのかな?」
「きっとそうだ」
そう、これは夢だから早いところ目を覚まさなければ。なんて二人がどうやったらこの世界から脱出できるのかを思案していると――。
「ねえ」
誰かに声をかけられた。そちらの方を見れば、そこには同じような格好をした男性が少し心配そうに立っているではないか。彼はこの夢の住人なのか。
「あ、あなたは……?」
見た目は二十代後半と言ったところか。
「私かい? 私はガン。ここのシステムを管理しているんだ」
「システム?」
夢で見る造語か。そもそもシステムと言っても、何のシステムなのかすらわからない。イアンはどうせ夢なのだから、と気になることを訊ねてみた。
「あの、システムって何のシステムですか? ここって夢の世界ですよね?」
「夢? よくわからないけど、ここは夢の世界ではないよ。現実とは違う世界ではあるけれども」
現実世界ではなく、夢の世界でもない? それならば、どういう世界なのか。レーラがそう訊こうとする前に、自身をガンと名乗った彼が「ここはね」と教えてくれる。
「『Re:WORLD』っていうシステムで、簡単に言えばコンピュータの世界だよ」
その言葉に二人はフリーズする。ぶっ飛んだ場所だな、としか思うことができない。もしも、ここがコンピュータの世界ならば、こちらに来る原因は? 思い当たるのは一つしかない。偽装チップを埋め込んだ直後にしたこと。コンピュータのタッチパネルにそれをかざしたことだろうか。
「…………」
まさかあれが原因でここに来たとはにわかに信じがたい。だが、現実はここにある。そして、これが夢であると証明すらもできないから――。
「はっ! レジスタンスの誰かに!」
伝えたくてもできない現状が目の前にあった。連絡手段はないに等しい。焦りと困惑で思考回路が上手く回らないイアンをよそにレーラはきちんと現実を受け止めているようである。その証拠に、ガンに「人ってコンピュータ世界に来ることが可能なんですか?」と問い質している。
「そもそもコンピュータの世界ってバーチャルの世界ですよね?」
「そうだね。現実と違って、簡単に作り上げた世界をデメリットなく消せる世界でもあるね。でも人がこちらに来る手段……ん? 人?」
ガンはどこか怪訝そうな面持ちで「きみたち、人?」と反問してくる。
「人、というかユーザーがここに来ることはまずありえないよ。さっき、きみが言っていたこの世界はユーザーや製作者たちが作った仮定の世界だから、それは……いや、可能か? その仮定で作られたプログラムに誰かの事細かな情報をインストールすれば……」
「えっと、私たちは結局? これでも人間なんですが?」
「その前に、どうやってここに来たのかわかる? 憶測であるならば、仮定は立てられるよ」
レーラはことの経緯をガンに話した。一つの可能性として、コンピュータのパネルに偽装チップを埋め込んだ手をかざしてしまった、と。
「偽装チップか。うん、ここ最近で組み込まれたプログラムにあるね。そのプログラムからならば……元は記憶保存プログラムを使っているみたいだな。ちょっと、彼を借りてもいい?」
ガンは一人で現実世界に帰る手立てを考えているイアンを指差してそう言った。それにレーラは承諾する。即答で。それに伴い、ガンは「ちょっといいかな?」と彼の目の前に手を持ってきて目を瞑る。
「『プログラム判定中』『情報確認中』」
急激に青白い床から白色のケーブルが出てきて、それがガンの頭に取りついた。情報の確認をしているようだ。これに二人は戸惑うのだが、判定が終われば何かがわかる可能性があるだろう。
ややあって、ガンの頭から白色のケーブルは外れた。同時に目も開く。
「きみたちはシステム中の記憶保存プログラムを介して、ここに来たみたいだね。仲介役はその偽装チップとやらに原因があるようだ。偽装チップの設定関係で帰られなくしているみたいだね」
「えっと……つまり、俺たちはどうすれば? 設定とやらをなんとかすれば、帰られるんですか?」
「うーん。これは、私のようなプログラムが現実世界に行けるぐらい難しい問題案件だ」
ガンが言う言葉はこうだ。現実世界に帰る手立ては今のところない。再度二人はフリーズする。
「か、帰れないって!? あなた、ここのシステムの管理人じゃないですか!?」
「そうだけど、本来の私の役目はこのシステムの『データ』を管理するだけだからね。外部のデータはどうしようもないよ」
「ええ……じゃあ、どうすれば?」
パニックになってしまっているイアンたちに、ガンは「落ち着いて」と宥める。
「現実世界の誰かに連絡を取ってみたらどうだろうか? 一応、ここのシステムを扱う人に連絡文を送る出力プログラムがあるんだ。それを使ってみるかい?」
「出力プログラム?」
そう頷くと、今度は床からキーボードのような台を出現させた。ガン曰く、これで文章を打てば、コンピュータの画面にそれが反映されるとのこと。
「それだっ!」
早速二人はそれを利用して文章を作成した。
『リーダーへ コンピュータの世界に閉じ込められたから、どうすればいいですか。助けてください。』
イアンはキーボードを打つレーラを見てふと疑問が浮かび上がる。
「そう言えば、こちらからはその文章自体は送れるけど、返信はできるんですか?」
「できないね。元々、ユーザーはシステムプログラムの連絡文に従っての操作をするだけだから」
その発言、どう考えてもこちらと向こう側での対話は不可能と言っているようなものだ。もしも、現実世界に戻れる手立てがあったとしても、自分たちがこちらで何かをしなければならなくてはいけなかったら? だって、そもそもが、人がコンピュータの世界に迷い込んでしまったというぶっ飛んだ事件なんて聞いたことがないのだから。もちろん、グーダンだって。要はグーダンたちからの指示を仰げないのだ。つまり、至極簡単に言えば――。
「えっ、それって永遠にどうしようもないんじゃ……」
この会話を聞いていたレーラは文章を送って硬直した。それはすなわち、送るだけ無駄だということ。
「私たちはどうなるんですかっ!?」
激しく嫌な予感しかしないレーラはガンの胸倉を掴んで切羽詰まった顔で問い詰める。だが、彼だって困っている二人をどうにかしたいのは山々なのである。そして、どうしようもないという結論しか計算が叩き出せない。
どうしようも? ガンはあることを思い出した。一つだけ方法があるからだ。
「可能性がとても低いけど、ある方法ならきみたちは現実世界に戻ることはできるよ」




