◆28
圧力によって、押し出されるのは金属。形からして板だ。出された先には赤い場所。その金属は徐々に周りの赤へと染まりつつある。その場に取り残された面持ちの金属の板は独りで佇んでいるようだった。この様子から見て、慣れない場所に独りいることを悲しんでいるようである。
独りは慣れていたはず。だが、いざとなると、誰もいないその場所。叫んでも誰も気付いてくれないし、どうしようもない。ここから動けないのだ。
「私の名前は……」
忘れたくない、それを。絶対にだ。彼らにまた会えると信じて――。
「いっ!?」
一瞬だけ苦痛の表情を浮かべるのはイアンである。彼は右手の平を一人の男性に差し出して、注射の痛みに耐えていた。逃げ出したい気持ちに駆られるのだが、ここで逃げては近くにいるタツに示しがつかない。
注射、と言っても予防接種ではない。これはグーダンとエルダの提案だった。
楽園の者たちの右手――甲には自分たちが楽園の人間であるという証明の入れ墨に、平には身分証明ともなる管理チップが埋め込まれているのだ。
それを用いて、楽園の女王に忠誠を誓っている。何より、世界中の至るところにはその管理チップがなければ自動銃で射殺される場所が存在するというのである。すなわち、レジスタンスたちによる偽装チップを手の平に埋め込むという作戦を実行しているのだ。
「お、おい、イアン……痛いんだな?」
イアンの次に偽装チップを埋め込むのはタツである。実のところ、彼は注射が嫌いであり、渋ってやろうとしなかったのだが――。
【痛くないぞ。ほら、俺が痛くないっていう証拠を見せてやるから】
なんてイアンが高を括って偽装チップ埋め込みに挑むのだったが、予想以上の痛さだったのだろうか。「痛い」というような声が漏れてきた。しかし、彼自身がここで痛いと嘆けば、タツは逃げ出すだろう。そう思ったイアンは「全く?」と見栄を張った。本当に痛かったのはここだけの話である。
「嘘だ!」
どう見たって、タツには痛がっている様子しか見えなかったようだ。ほら、ちょっと涙目になっているし。
「嘘じゃないって。ちょっとはチクってするけど、そこまで痛くなかったって」
「そこまでって言っている時点で、痛いじゃないかっ!」
注射器を持っている人物を見れば一目瞭然だ。でっかい注射針を手の平に刺すんだもの。絶対に痛いに決まっている。
「俺はいい! まだ現場で動けるようなやつじゃないし!」
「現場でなくとも、タツはそれ以外のミッションもこなしていると聞いているんだけど?」
「いやいや、俺は……」
絶対に逃げてやる。そんな格好悪い気迫だけが辺りをにじませていた。偽装チップの埋め込みを受けないとタツは言い張ると、この場から逃げ出そうとするのだが――。
「はいはい、言い訳はいいから」
呆れた様子のレーラが逃げないように肩をしっかりと掴んでくる。そして、イアンに「逃げないように手伝って」と羽交い絞めするように指示を出してきた。
「その間、私が右手の骨を折ってまで出しておくから」
「レーラ姉、それはないんじゃないのっ!?」
とりあえず、やらないことには前に進めないのだ。イアンはあまりいい顔をしない様子でタツを羽交い絞めにした。是が非でも右手を出すものか、と意地になっている彼の気持ちを尊重しようとしないレーラは強引にも右手の平を開かせる。うわっ、力強っ!?
「今の内にお願いします」
「このっ、クソ悪魔どもぉ!!」
レジスタンス拠点内にタツの情けない声が響き渡るのであった。それは誰もが彼であると見抜いていたという。
痛そうな施術が終わってもタツは悲愴に暮れていた。だとしても、レーラは「情けない」とため息をつく。
「痛くてもイアンぐらいの声は出してもわからないけどさ。あそこまで声を上げるとは」
「まあ、まあ。タツだって頑張ったんだし」
「それ、十二歳の子どもに対して言う言葉じゃないけどね」
レーラの言うことはもっともである。
タツはイアンにツッコミをする気も失せてしまったのか、その部屋を立ち去ってしまうのだった。ここに残っているのは二人に加えて施術の担当をしていた者だけである。
「あっ、ありがとうございました」
お礼を言い損ねていたことを思い出したイアンは施術担当者に頭を下げた。
「いやいや、いいよ。タツも君と仲良くなったね。元気があるのはいいことだと思うよ」
それは逃げようとする元気であろうか。
「それよりも、このチップがあったらもうゲートとか気にしなくていいんですね」
「それだけじゃないさ。商業施設での買い物だってできる」
そう、レジスタンスたちが楽園から物資を盗んでいた理由が、管理チップの証明をしなくてはならないのである。
「私、てっきり入れ墨の方を見せなければいけないと思ってた」
「あの楽園の人が言うには入れ墨を見せているというわけじゃなくて、チップで身分証明をしているらしいね」
「というか、チップを端末機に読み込むときはこうすればいいんですか?」
イアンはやり方が気になるようで、近くになったコンピュータのタッチパネルのところに手をかざしてみた。彼がしているやり方は手の甲を見せている。
「それはダメじゃないの? こうじゃない?」
手の平をかざすのではなく、甲の部分をかざすのではとレーラがやって見せた。なるほど、こちらならば入れ墨がないのを見せなくていいのか。だとしても、このやり方はいいのか。逆にあやしまれない?
「でもさ、そっちの場合は逆にバレそう」
「だったら、どっちもバレそうだよね」
なんて二人が談笑していると、コンピュータが偽装チップの情報データを読み込んでしまったようで、画面上に彼らの偽装身分証明が出てきた。それを見た施術担当兼このコンピュータを管理者は「ちょっと」と表情を引きつらせている。
「あんまりそれに触っていると――」
壊れる、という前に――。
コンピュータの方から警報のようなサイレンが聞こえたかと思えば、二人はその場に倒れ込んでしまった。慌ててそちらに駆け寄る。
「ふ、二人とも!? イアン君!? レーラちゃん!?」
どんなに呼びかけても二人は応じない。閉ざされてしまった目、呼吸はあるのだが、これは気絶なのだろうか。その原因は? まさかあの音ではあるまい。
「リーダーに……!」
下手なことでイアンたちが目を覚まさないのは気が重い。グーダンに報告をしに行くためにその場を離れるのだった。
施術担当兼コンピュータ管理者のいなくなったその部屋ではコンピュータの画面がチカチカと点灯を見せていた。先ほどまで二人の偽装身分証明を見せていたそれは別の表示をし始める。
『インストール完了』




