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世界は夢を見せるほど俺たちを嫌う  作者: 池田 ヒロ
記憶はないが、彼女は何かを知っている。
26/108

◆26

「甘いにおいがするね」


 事務室から出荷口のシャッターの鍵を手に入れたイアン。その傍らでエルダは鼻をすんすんさせて当たりのにおいを嗅いでいた。彼女の言い分はわからなくもない。以前、工場の方へと潜入した際に出荷口からでもわかる甘いにおい。嫌いではない、むしろ好きなにおいだ。


「イアン君はお菓子好き?」


「ええ、まあ。雑談せずに早く行きましょう」


「つれないなぁ。はいはい」


 イアンとしては早くミッションを終わらせて、戻りたかった。階段下ではレーラが警備員に扮装して自分たちの帰りを待っているのだから。下手にバレて捕まってしまえば――。そう考えただけでも恐ろしい。


「さて、どんなお菓子を盗もうかな」


 イアンがレーラの心配をしているのをよそにエルダはお菓子が手に入るということで頭がいっぱいになっているようである。なんという緊張感のない女性だこと。


「エルダさんって、怖くないんですか?」


「うん? 雑談はしないんじゃなかったの?」


「気になるから訊いているんです」


 そう言うイアンはそっと見学通路のドアを開けた。こちらを巡回する警備員の姿は見当たらない。これでも慎重にやっている彼なのだが、一歩後ろを歩くエルダは「多少はね」と答えるが、その口調はなんと言ってもそうとは思えない明るさ。


「もう楽園ヘヴンの人間じゃないし」


「それでも、『だった』でしょう?」


「きみ、きみぃ。いつまでも過去に囚われていちゃあ、楽園の女王(クィーン)は倒せないよ」


「前を見ろと? 過去を学ばなければ、道は作れませんよ」


 イアンのその言葉にエルダは「名言だね」と一笑する。


「確かにそうだね。ああ、過去を改変する道具さえあればねぇ」


「何を夢物語語っているんですか。ほら、製造室に行きますよ」


 イアンの手には『製造室』と書かれたドアノブが握られていた。怖いとは思っているエルダはその要素が見当たらずに軽い返事をしつつ、彼のあとを着いていく。


 事務室前の廊下でも漂っていた甘いにおいは製造室に入れば、より一層強まる。あまりにも甘過ぎるにおいで気分が悪くなりそうなほどだ。


 イアンは甘いものが嫌いではないが、ここまでにおいがきついのは嫌いなのである。


「そう言えばだけど、ここのお菓子を強奪してどうするの? ちびっ子たちに配るの?」


「それもありますが、ゲジェドさんというレジスタンスの人に……」


「ああ、お菓子大好きおじさんね。物々交換?」


「オクレズさんは、今回はそうだと言っていましたよ」


 早くここから抜け出したいと思っているイアンは急ぎ足のようである。だが、エルダは色々と製造機械が気になるのか、色々と物色をしているようである。


「今回? いつもはどういう物と交換しているの?」


「情報です。突入する拠点の内部地図とか兵士規模とか」


「はっはァ、リークか」


「え?」


 今、聞き捨てならないことを聞いた気がしてたまらない。エルダはゲジェドの何かを知っているとでも言うのか。


「り、リーク?」


「そ、リーク。楽園ヘヴンの最下層民って上の不満が多いらしい。そのせいもあって、自分が知った内部事情をレジスタンスに漏らすやつだっているよ」


「えっ、それって……」


「言ったでしょ。最下層民はレジスタンスよりも悲惨な人生を送っているって」


――つまりは憂さ晴らし?


「その人たちって、レジスタンスには協力的ですか?」


「いや、そこまではわからない。嘘の情報を教えて、レジスタンスを全滅させて階級を上げようとする意地汚いやつはいるけど」


 そのようなことを言われると、エルダをより警戒するしかあるまい。その事例が本当であるならば。彼女のことをあやしく思っていると「おいおい」とエルダは苦笑を浮かべる。


「あたしはそういうクソな性格はしていないよ。意地汚いところはあるけど」


「一緒じゃないですか?」


「失敬な。ああいうばかと一緒にしないでよ、イアン・アリス君」


 自分のフルネームを言うエルダ。それに驚くイアンは大きな反応を見せるかのように、そちらの方を見た。いつ彼女にフルネームを言ったか。それともグーダンが教えたのか。どちらにせよ、楽園ヘヴン――特にエンジェルズは自分のことを何か知っているのである。だからこそ、自身の名前を誰であろうとフルネームでは言わないと決めていた。


 カマをかけて、情報を引きずり出してみるか。


「……俺のこと、知っている素振りで言うんですね」


「まあ、まあ。ていうか、あたしはイアン君のことは知らないよ」


「それはどういう意味で?」


「心の中だよ。なんだ、ぐいぐい訊くね」


 気付いたか、それとも素なのか。どちらにせよ、上手くはぐらかされた気分ではある。ゴーグルをかけているから目線が泳いでいるかもわからなかった。これ以上揺さぶっても何も落としてこない可能性は高い。今回は諦めてミッションに集中するべきか。


 そうイアンが製造室のドアを開けてピッキングルームへと入ると同時に床が一瞬だけ明るくなった。まさかっ!


 この先を行くのは危険だとして、エルダに「警備員がいる」と機械の物陰に隠れようとするのだが、こちらにも懐中電灯の光が見えた。しかも、こちらに向けられた!


 イアンの頭が真っ白な中、エルダはすべてを察したかのようにピッキングルームへと手を引いて逃げ込む。そちらにも警備員がいるというのに、どうやって隠れるのか。完璧な油断が招いた焦りに彼は為す術なく、彼女にまかせっきり。


 一方で何かしらの考えがあるエルダは空の大きな段ボールを自分たちに被せた。僅かに空いた穴から警備員たちの動きに注視する。


「イアン君のやり方はね、あんまり好ましいとは言えないかな」


「え?」


「迷いない判断はいいんだけど、ちょっと怖いよ。レーラちゃんがどう思っているか教えてあげようか?」


 なぜにそこでレーラが出てくるのか。


「いいです」


「えぇ、知っておくべきだよ。好きな子の気持ちぐらいは」


 エルダは自分たちをどうしたいのかはわからないが、今の発言は「警備員に見つかろうぜ!」と誘っているようなものである。


 突然の恥ずかしい言葉にイアンは大きく反応を見せて――はい、大きな音を立てました。もちろん、ピッキングルームで巡回していた警備員にも不審がられます。


「だ、誰かいるのか……?」


 こちらへと近付いてくる足音が聞こえてくる。このまま何事もなく、時間だけが過ぎていって欲しい。そう願ったとしても、叶わないのが現実。


「段ボールが落ちた?」


 ええ、道のど真ん中に段ボールが逆さまを向いていたら、気にはしますよね。そして、それを拾おうとしますよね。普通は。


――ええい、こうなればやけだ!


 警備員が段ボールを手に取った瞬間、イアンはすぐに動いた。どうせばれるぐらいならば、動かないよりはマシ。フォーム・ウェポンをナイフに変えて、その刃を彼に向けようとするのだが――。


 エルダに押し退かされ、彼女は――。


「こういう汚れ役はあたしがお似合い」


 イアンのフォーム・ウェポンを奪い取り、警備員の喉元を掻っ切った。悲鳴と助けを呼ばれる前に、始末しよう。


――絶対に声を出すな。


 近くにあったテープの本体を警備員の口の中に突っ込む。喉に行くようにぐいぐい押し込める。咳が出る? そんなのさせるか。ああ、鼻穴も塞がないと。呼吸をしづらくさせるようにナイフで傷をつけてやろう。


 音こそはそこまで出てないにしろ、痛々しい雰囲気がこの場を包み込む。エルダに押し退かされたイアンは唖然と彼女のやり方を傍観していた。


「エルダさん……?」


 ようやくイアンが声をかけることができたのは、警備員が絶命したときだった。エルダは返り血を袖口で拭いながら――。


「もっとあたしを信用してもいいんだよ?」


 差し出されたフォーム・ウェポン。真っ黒な刃のそれは血に塗れていた。


「イアン・アリス君はこんな細々とした三下相手より、楽園の女王(クィーン)の息の根を止めないと」


 こちらを見るエルダはイアンの何を知っているのか。

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