◆25
夜は夜で雰囲気が違うな、とイアンは思っていた。彼らはお菓子工場の敷地内の付近まで来ている。そこの壁から覗かせる建物の窓は紫色の光が漏れていた。一応は就業を終えているらしい。
「気をつけて行けよ」
オクレズがトラックを停車して、工場内に潜入する三人にゴーグルを渡してきた。なぜにゴーグルが必要なのだろうか。少しばかり疑問を持ちながらも、素直に装着していると――。
「窓から見える光は浴びれば人体に影響を及ぼす可能性があるかもしれないからだ。目がやられては元も子もないからな、目だけは保護しておけ」
「えっ。それって、目以外は問題ないってこと? あんまり、気が進まないんだけど」
「問題ない。俺がこの時間帯に侵入するときはそれだけの装備をしているからな」
それでもレーラは少し心配らしい。だが、このようなところで行く、行かないと揉めても仕方がない。そのため、彼女はどこか渋った様子で「わかりました」と潜入することを決めるのだった。
「それじゃあ、一度事務所で鍵を盗んで行けばいいんですね?」
「そうだ。上手く工場内に入ったとしても、ピッキングルームから出荷口は鍵のかかったシャッターがあるからな。さっき、俺が教えたルートから必ず行けよ。じゃないと、警報が作動するから」
オクレズの言うルートをイアンは思い返した。荷台に揺られながら聞いた話である。
「えっと、従業員休憩室から事務所に行って、製造室からピッキングルーム。最後に出荷口ですね」
「ああ。帰りのルートも同じように帰ってきた方が無難ではあるな」
「わかりました。それじゃあ、行ってきます」
今一度確認をして、イアンにレーラ、そしてエルダはお菓子工場の侵入を試みることに。
裏門からは入れないことは以前に潜入してわかっている。警備員の横に設置されたあやしいゲートはもしかしたらば、楽園以外の者ならば警報が鳴る可能性があると見込んでいるのだ。
裏門を横目にエルダは「ねえ」とイアンたちに訊ねた。
「どこから入るの?」
「前はトラックが壁際にあったから、そこから上ったんですけど。今日もあるな、あれ」
以前と同じ場所にあるこのトラック。輸送車ではないのか、この車は。トラックのドライバーが運転席で眠っている様子もない。いつになったら、動きを見せるのか。いや、ずっとここに放置してくれるのはありがたい話ではあるのだが。
「あっちの方から入らないんだね、賢い」
トラックの荷台に乗って入ると聞いたエルダは小ばかにしたような物言いで小さな拍手を送る。それが嬉しいとは思えないイアンは「ばかにしているんですか」と率直な意見を申し立てる。
「ていうか、普通に警備員がいるじゃないですか」
「まあねぇ。ていうか、そこって楽園以外の誰かが入ろうとすると、自動銃で射殺されるんだよね。反応して」
「えっ、思っていた以上に……」
「楽園の管理チップが体のどこかに埋め込まれているなら、絶対に射殺はないかな。不審者なら、警備の人が捕まえるし」
管理チップと聞いて、二人は小さく反応を見せた。そう言えば、必死に子どもたちを寝かせているとき、エルダが聞かせてあげた小さい子にとってさほど面白みもない政治情勢。
「そういう感じで色んなところにああいうゲートは存在しているよ。もっとも、殺される前に自動銃を壊せば問題はないだろうけどね」
なんてエルダはあまり緊張感を持たないような口調で壁を乗り越えた。
ここから先は巡回している警備員に気を配らなければならない。そして何より、一番厄介なのは従業員休憩室につながる階段下で一人の細身の警備員が見張りを立てているではないか。
さて、どのようにして行こうか。
「どうする、イアン」
「流石に従業員の制服着てはあやし過ぎるからなぁ」
周囲を見る。今のところ、巡回している他の警備員の姿はない。気をつけるのは暗闇の中で急に現れる光だ。
「俺が行く。合図をあげたら来てくれ」
相手は一人。ただの警備員であり、ヘヴン・コマンダーでもなければ、エンジェルズでもない。気配を消せ、息を殺せ、闇に溶け込め、足音を立てるな。
イアンは僅かな影のできる場所を避けて、見張りの警備員のもとへと近寄った。呑気に階段下にいる彼は存在に気付かない。後ろから近付いてきている侵入者に。
「ふわぁ……」
気を緩ませたが勝ち。すぐさまイアンは警備員の首に手を回して頸動脈を絞めるように、腕の力を強めた。空いている手は声を漏らさないように布を口の中へと突っ込む。
何が起きたのか全くわからない警備員は声を出そうにも出せない。息はかろうじてできているが、気分が悪くなってくる。暴れ回りたいのだが、誰かがそれを抑えている?
それをしばらく続けて、警備員は気絶したらしい。体を後ろにいるイアンに預けるように力なくよろけた。案外早く終わるものだな、と物陰に隠れていたレーラたちを合図で呼び寄せた。
見張りを気絶させた。それはいいのだが、この警備員をどうしようか。そのまま放置しておけば巡回の警備員にバレてしまう。
と、ここでレーラが「私が見張っているよ」と提案する。
「外の状況を知っておくべきだしね」
「いいのか?」
「構わないよ。おそらくだけど、エルダさん……気にしなくてはいけない装置とか知っているんじゃないの?」
なんとなくという勘。それを頼りにレーラはエルダの方を見た。それに彼女は大きく頷く。
「レーラちゃんは賢いね。まあ、全部は知らずとも多少の装置に関しては知っているよ」
「じゃあ、話が早い。エルダさん、イアンのことよろしくお願いします」
「合点招致」
二人はイアンの意見を訊くこともなく、事を進めた。いや、これは彼女たちの意見を聞いておくが賢明か。彼はエルダの「行くよ」という合図に従って、従業員休憩室に向かうのだった。
一方でレーラは気絶した警備員の制服を奪い、彼の手足と口を動かせないように縛って、誰にも見つからないような場所に安置するのだった。
少しばかりぶかぶかの制服。それでも少し羨ましいと思うレーラは服の素材にため息をついた。普段、自分たちが着ている服の素材よりも随分いい物だからである。
「……なんか、むかつくなぁ」
それに遠目からでしか見えない場所で町中を観察しているときだって、おしゃれな格好をした女性たちを見て羨ましがっている。それだけ、おしゃれに敏感な年頃なのだろう。
だが、エルダの自分語りで――。
【楽園は階級制だよ。そんな中であたしは最下層民】
レジスタンスよりも悲惨な生活を強いられていたと聞いた。どれほどまでの苦しい生活だったのだろうか。今の自分の生活は、ご飯は質素であっても食べられないことはない。エルダはそれ以下だというのか。一体楽園の一般市民の現状はどのような物なのか。
もっと、詳しくエルダのことを知るべきなのだろうか。なんてレーラが考え事をしていると、巡回していた警備員がこちらの方へとやって来た。
「そちら、異常は?」
「はいっ、ありません」
「ならば、引き続き見張りを頼む」
「はいっ」
声をかけられるとは、なんとなくわかっていたとしても、心臓に悪い。どうやら警備員は自分が入れ替わったことに気付いていないようだ。いや、気付くはずだよな?
何かがおかしいな、とレーラはあごに手を当てた。いくら暗がりの場所だからと言って、ここにいる警備員の顔を気にしないのか。
「…………」
引っ掛かるようなことで、なかなかその答えに辿り着けない。結局はただの思い過ごしなのか。
そちらも気になるのだが、問題は工場内へと侵入したイアンたちだ。
「大丈夫、かな?」
本当にエルダという女性は自分たちの味方なのか、それとも敵なのか――。