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8,見つけた手がかりを追いかけて


 吹っ切れたシュマの後を追って馬鹿みたいに走り続けていたのだが、その内二人とも限界が来て静かになった。

 今は息を切らし、何も喋らず黙々と歩くだけだ。これを傍から見たらどんな異様な光景として映るのだろうかと思うと、ちょっと悲しい気分になる。二人とも疲れきって何も喋らない。それでも昨日とは違って、気まずい沈黙ではないと思えるから不思議である。

 なんにせよ、元気になったのならひと安心だ。いつまでも負の感情をぶつけられていたら、双方とも参ってしまう。そうしたら余計険悪な雰囲気になることは火を見るより明らかだ。

 アズリアも人の子だ。ぶつけられた感情の全てを流せるほど、まだ人間が出来ていない。誰にだって限度がある。

 今まで本気で衝突しなかったのは、先にアズリアが引き際を考えていたことと、アズリアの分までシュマが感情を表に出していたからだ。理不尽なことに腹を立てても、自分より先に誰かが声を荒げたりすれば、逆に自分は冷静になれたりするものだ。

 いつまでも主観的になってはいけない。一歩引いて客観的になれた時こそ、見えていなかったものが見えてくるのである。

 とはいえ自分も、シュマがいなかったら冷静に物事が見れるのかと言われると、自信はないけれど。

「? あれ」

 ふと横を見ればシュマがいない。どこに行ったのかと周りを見回したところで、アズリアの五歩ほど後方に立ち止まる彼の姿があった。河岸の向こう側を凝視したまま動かない。

 一旦進路を変えてシュマの元まで戻り、同じ方向を見た。

 土手を下ったところには桟橋があり、小舟が一槽こちらへやってくるのが見える。太陽が水面を反射してきらきら光っていた。

「どうしたよ。何か見つけたか」

 一見、特に目立ったものは何もないけれど。

「いや……人影を見たような気がして……」

 歯切れの悪い言い方である。

「一瞬よぎったかに思えたんだ。ただの見間違いかもしれないから、おそらく気のせいだ」

「それって、向こう側とこっち側のどっちだ」

「向こうだ」

 二人並んで河向こうを臨む。けれど、シュマの言う人影らしき姿は見当たらない。シュマの言うように、見間違えだろうか。

「悪い、やっぱり俺の――」

「人だ」

 言いかけたシュマを遮る。今ちらっと見えた。あれは、確かに人だ。

 目を皿にして、何ひとつ逃さずに注視していないとわからない。よくあんな場所にいる人を見つけられたと思う。かろうじて人だとわかるくらいだ。その人は、向かいの土手向こうに消えていった。

「よく見つけたな。おまえの言うとおり人がいる。つーか、あれってまさか……」

 南へ進むにつれて下がっていった河が、今ではすっかり足元より下にある。走るより早いと判断して、アズリアは土手を滑り降りた。

「アズ、どこへ行く気だ!」

「確かめるんだよ、ついてこい!」

 下まで下りきる前に立ち上がり、先ほど視界に入った桟橋へと走り出す。そこにもやはり人がいて、ちょうど、桟橋に舟をつけるところだった。

「あの、お尋ねしたいことがあるんですけど!」

 アズリアの張り上げた声に、乗っていた人が驚いた顔でこちらを見る。

「何かね?」

 うろんげな目で返されて一瞬答えに窮する。それでも気を取り直して訊いてみた。

「今、もしかして、向こうまで人を渡しませんでしたか?」

「ああ、ちょうど今渡し終えたところだ。朝から渡し通しで疲れた疲れた」

 はーよっこいせっと。掛け声をしながら自身の肩を叩くその人は、確かに疲れているようだ。

「朝から? 今までずっとですか?」

 渡し守は、仕方ないんだよと溢した。

「この大きさじゃ一度に大した人数は運べないからねえ。何回にも分けるしかないんだ。人だけ運ぶならまだしも、あんなに多くの荷物まで運んだのは久しぶりだよ」

「そんなに?」

「ああ、そうさ。まるでどこかに越すのかと思ったくらいさ。ありゃあ、村ごと転居したんかね」

 思わずシュマと顔を見合わせた。

「まさか」

「案外そのまさかかもしれない」

 そう、もしかしたら、ナダの集落かもしれない。多くの荷物を持って、かつ村ひとつくらいの人数で動くなんてそうそういるものではない。子どもと大人では足の速さの違いもあるし、こんなに早く追いつけるとは思ってもみなかった。

「なんだい。あんたら、探し人でもしてたのかい」

「そんなところです」

 けれど、どういうことだろう。それが本当にナダの集落だとするなら、彼らは山へと向かったことになる。何のために?

「すいません、向こう岸まで乗せてもらえませんか? ひと仕事終わったところで恐縮ですが……」

 今終えたばかりだと聞いてしまっては、非常に頼みにくい。案の定、大きく溜め息を吐かれた。

「……仕方のない客だね。ほら、とっとと乗りな」

 舟の上に立ったまま、彼は場所を空ける。あっさりといい返事をもらえたことにぽかんとした。

「乗らないのかい? ほれ、早くしな」

「あ、ありがとうございます! あの、本当にすいません」

「子どもが気を遣うもんじゃない。これがわしの仕事なんだ」

 その言葉にアズリアは深々と頭を下げた。もう一度謝罪の言葉を口にしようものならきっと怒られる。そんな気がして。

 シュマと二人、恐る恐る乗り込んだ舟は、予想していたより遥かに大きく揺れた。立っていることが出来ずにその場へとしゃがみ、そのまま端に座り込む。先に腰を落ち着けたアズリアの横をシュマが()うように移動していくと、「しょうのない奴だねえ」と渡し守に笑われていた。

 立つことさえも難しい足場では仕方ない。こんな不安定な足場でよく立っていられるものだと思う。それも一度としてふらつくことなく。手にした棒で平衡感覚を保っているのだろうか。

「そんな棒切れ、何に使うんだ。変な形してるけど……」

 どうやらシュマも気になっていたようだ。確かに不思議な形をしている。

「あんた、(かい)も知らないのかい。この辺の者じゃないね」

「かい?」

 聞き慣れない単語だ。思わずシュマより先に訊いてしまったではないか。

 渡し守が持っている棒はただの棒とは異なり、両先端が平たい板のような形になっている。

「まさか、扇いで進めるのか?」

「そんなわけないでしょう。こいつで水をかいて進むんだよ」

 そう言うなり渡し守は、手に持っていた櫂という道具で右の水をひとかき、左の水をひとかきした。すると徐々に舟が動き始め、桟橋から離れていく。

「進んだ……!」

 感嘆の声を上げたシュマは、身を乗り出しながら水上を眺めている。

 アズリアも興味を引かれて後ろを覗き込む。舟が通った後には筋が残り、僅かな間だけ水面に道が作られる。

「片一方だけじゃ進みはせん。こうして均衡をとって進んでいくんだ」

「凄い。人の手で舟を動かせるなんて」

 何気なく交わされた会話におやと首を傾げる。そういえば、トーアは――

「その口ぶりだと、人の手で動かされていない舟でも知ってそうだなあんた。わしには想像もつかんよ」

「いえ、そんなつもりじゃあ……」

「言ってやってくださいよ。こいつ、世間知らずのお子様なんですよ」

 瞬間殺気立たれた視線がアズリアを射たが、シュマの後ろにいた渡し守が気づく気配もない。やれやれおっかない。

 目線だけで黙っていろと合図したのが伝わったらしく、シュマはにらんでくるだけで何も言ってはこなかった。

「そうかいそうかい、さしずめあんたは守り役ってところかい?」

「あ、やっぱそう見えます?」

「歳が近そうだし、護衛って柄よりも守り役に見えるね。どこかのご子息なら、守り役の一人や二人、いてもおかしくないだろう?」

「いやはや、慧眼(けいがん)にはお見それしました」

 かしこまった口調で背筋を伸ばし、アズリアは渡し守へと頭を下げる。

「なんの、若いのにはまだ負けてられんよ」

 楽しげに笑う彼の手は、一度も休むことなく動いている。前に背丈以上の武器を持っている人に出会ったことがあるが、未だにどうやって使っているかは謎のままだ。相当の腕力と技術が必要だと思うのだけれど。

 舟の縁に寄りかかり、頬杖を突く。こう何もやることがないとついつい考えに浸ってしまう。

 今背負っている剣も大きい部類に入るが、これ以上の大きさとなると扱える自信はない。それどころか、持ち運ぶことすら無理ではないかと思うのだ。二本持っている今でも十分重さはあるけれど。

 アズリアの場合はこの大きさに慣れていたせいもあって、辛うじて扱えている。長時間となるとやはり厳しい。大剣か、そのひと回り小さな剣か。そのどちらかの大きさでないと落ち着かなくなってしまう。手に馴染んでしまった剣を手放すのは、いつか折れた時か、自分が必要ないと思ったその時だろう。

 きっと渡し守が使う櫂も、そうして長い間彼に使われてきたのだと思う。よく見れば手に持つ部分は黒ずんでいるし、彼の右手側にある先端の板は端が少し欠けている。

 今のアズリアたちを運んでいるように、彼に運ばれた人は何人もいるのだろう。彼が初めて運んだのは誰だったのだろうか。身近な家族や友人、恋人、それとも旅人か、あるいは商人か、全く知らない別の人だったのか。彼は覚えているのだろうか。

 ――祝いだ、持っていけ。

 手渡された大剣をアズリアが受け取った、あの日のように。

「ほら見な、もうすぐ着くぞ」

 浸っていた思考から頭をもたげれば、シュマはとっくに後方へと振り返っていた。好奇心だけは強い奴だ。

「あっちには桟橋がないから、降りるときは十分注意しな。水遊びしたくはないだろう?」

 水遊びとはまた。前髪をひと房つまんで見せる。

「水遊びならもうしてきましたよ」

 ただ残念なことに髪の毛は乾いていて、一見してそうとはわからない。それでも渡し守はアズリアの動作だけでわかったらしく、楽しげに声を上げた。

「こりゃたまげた。それじゃ、二回目にならんよう気ぃ付けな」

「はい、肝に銘じておきます」

 会話を終えてちらりと視線を転じた。片膝を立てて座るシュマはずっと河の流れを眺めている。どちらが下流かわからないほどゆるやかな流れの上で、水をかく音と舟の軋み、渡し守の鼻歌が響く。きっとここだけゆったりとした時間が流れているのではないだろうか。チェスティアがいたあの場所と同じ、どこか懐かしいと感じるのは昔日の面影があるからか、それともただの既視感なのか。

 故郷を持たない人々。それがナダの集落だ。彼らの故郷は土地を指すのではない。ともに渡り歩く人々との間にあるのだと言われている。ただし故郷がないのではない。その言葉の定義が他の人々と違うだけなのだ。

 長年旅をし続けているのなら、気候の厳しい時期も、その乗り越え方や事前の予防策も心得ているはずだ。なのになぜ、彼らは今に限って東へ向かったのだろう。危険を冒してでも行きたかったのか、そちらにしか行けなかったのか、もしくはどうしても行かなければならない理由でもあったのか。

 そこで考えが行き詰まる。

 願望にしろ、使命にしろ、義務にしろ、ナダの集落の者でないアズリアには仮定でしか考えられない。彼らの理由など知ったこっちゃないのだ。どうせ考えたって、アズリアたちは追いかけるだけだ。

 彼らの目的地がわからない以上、どうせそうすることしか出来ないのだから。

 近付く岸辺はもう、アズリアの目と鼻の先にまで迫っていた。


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