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6,お互い様だ


 上着にくるまったシュマが身じろぎをしなくなった頃、アズリアはようやくそちらへと目を向けた。

 息を潜める強張った体勢から、寝ていないことは一目瞭然だ。意地を張っているのか知らないが、なんと厄介な。やけに素直に従ったと思えば、今度はそう来たか。確かに休めと言っただけで、寝ろとは言っていない。

 アズリアとの会話で返事をする合間に、度々物言いたげな視線を感じていた。別に言わせようとしなかったのではない。アズリアに話しかけてこようとして口をつぐみ、何もなかったかのようにする。そうした態度を取っていたのはシュマなのだ。

 言いたいことがあるなら面を向かって言ってくれればいいものを。でも、もしかしたらすぐ傍にいる、その相手がアズリアだからこそ言えないこともあるのかもしれない。傍にいて出来る会話もあれば、近くに居すぎるがために話せないことだってある。そういうのはきっと、理屈だけでは説明出来ないのだ。

 ぱちりと火の粉が爆ぜる。

 揺らめく炎を眺めていると、不思議なほど心が落ち着いてくる。夜という時間に存在する唯一の光だからか、一人の時間を持てているからか。理由は何であれ、顔に当たる熱の暖かさが心地よいのは確かだ。うっかり寝入ってしまいそうなほどに。

 落ち着いた寝息が聞こえてきたのはそんな時だった。

 見れば、上着に包まれた塊が規則正しく上下している。なんだかんだで眠りに就いたのか。あのまま起き続けるのかと一瞬ひやりとしたが、シュマもシュマで疲れていたようだ。

 アズリアも、疲れていないと言ったら嘘になる。でも今はそれよりも目が冴えてしまって、到底眠れそうにない。

 何もしていないよりは少しでも動いていた方がいい。動かすのは頭でも身体でも構わない。

 そうと決めれば動くまでだ。足元に転がしていた大剣を両手に握って立ち上がる。鞘なんて高価なものは初めからついていないから、代わりに巻けるだけの布を刀身に巻きつけてある。とはいえ、ほとんど抜き身の状態であることに変わりはない。

 布を開くとそこから出てきたのは二本の剣。ひとつは刀身の太い大剣と呼ばれる剣で、もうひとつはそれの半分ほどの細さである剣である。どちらもアズリアにとっては大切なものだ。

 剣に巻いてある薄汚れた布を眺めていると、どうしてもみすぼらしい印象を受ける。自分のような若輩者が、こんな立派な剣を持てること自体誇っていいはずなのに。

 ふたつのうち、まず大剣を手に取った。

 腕にずっしりとかかる重さには質量以上の想いが込められている。それが決して比喩ではないことは、誰よりもアズリアが知っている。

 どうせ長くは保たない。いろいろな意味で自分にはこの大剣がまだ荷が重くて。いつでも獲物を変えていいように、もう一本は足元からほんの少し離れたところに置いておく。

 未だ赤々と燃える火に背を向け、両手で構えた大剣を振り下ろした。今度は横に構えてなぎ払う。そうして型を変え、何度も、何度も。

 目に見えない何かも一緒に断ち切れるのだったら、どれだけ楽になれただろう。

 鉄の塊が風を切り、その度に雑草を揺らした。運悪く刀身に当たった雑草が千切れ、宙へと舞う。風切りの音が耳に馴染む。他には何も聞こえない夜、感覚を研ぎ澄まして剣と向かい合う。

 ひょっとしたら、頭を冷やしたかったのかもしれない。何も考えずに、感覚だけで動ける何かがしたくて。

 世界で一人、アズリアだけが起きているようなそんな錯覚。

 夜明けにはまだ遠くて。


  ++


 不意に眩しさを感じて薄目を開けてみる。暖かい日差しの中、ひんやりとした風が吹いた。暗くなった視界の向こうで、感覚が鋭敏になっているのがわかる。

 手足の先が冷たく冷えきっていて、思わず胸元に寄せた。伸ばすよりは縮めた方が、ぬくぬくとしていて暖かいのだ。うう、とも、むう、とも、言葉にならない声が漏れる。もう少しここにいたい思いが強くて、頭が目覚めることを拒否していた。

 朝、だ。

 ぼんやりとしながらその事実を確認し、閉じた目をもう一度開く。そこで見えた世界があまりにも明るくて、シュマは真っ青になりながら跳ね起きた。

 寝たふりをしたところまでは覚えている。まさか、本当に寝落ちてしまうとは思わずに。

 今、何時だ。

「――ああ、起きたのか」

 こともなげにかけられた声で肩が跳ねる。たいていた火はとうに消えていて、余計に居心地の悪さを覚えた。

「すまない、つい――」

 立っていたらしいアズリアを見上げて、続ける言葉を失った。

「気にすんな。起こさなかった俺にも非はある」

 上げた片腕で額を拭い、アズリアは構えていた細身の剣を手に下げる。あれはアズリアの剣だ。大剣が扱いきれていないから、未だに携えてるという二本目の。近づいてきたと思えば、上着をひょいと拾い上げた。

 開いた口がようやく動きを思い出して、シュマはアズリアを指さした。

「君、まさか、ひと晩中そうしていたのか!?」

「ん? まあ、昨日はろくに動いちゃいなかったし、大したことじゃねえよ。あと人を指すな」

 目を白黒させているシュマへ平然と告げてきた。

 信じられない、なんて奴だ。

 それでもこうまで汗だくになったアズリアを見れば、彼の言葉に嘘偽りがないのは明らかだ。疑う余地などどこにもありはしない。化け物じみた彼の体力には開いた口が塞がらなくなる。

 それに比べて――自分は何をしていたのだろう。

 意識が遠くに行っていることを指摘されてさらには気を使われ、ほんの数刻のつもりが朝まで寝入ってしまい、結局何もしないまま今に至っている。

 あまりの情けなさにうなだれた。

 これでは追い越すどころか、追いつくことすら出来ないではないか。

「確かこの近くに湖があったよな。ちょっとひと浴びしてくる」

 上着を肩にかけ、盛大な欠伸を溢している。ひと晩中起きていたのなら、その眠気も当然だ。

「――俺も行く」

 既に半分歩きかけていたアズリアが、次の一歩を踏み出すところで止まった。

「なんだ、おまえもか」

 目を見張られて、シュマもさっと立ち上がる。眠いなんて言っていられない。

「水辺だったら魚がいるかもしれない。ついでに食べるものだって探せるだろう? 俺が探すから、君はその間汗でも流していればいい」

 地面に寝ていたおかげですっかり強張ってしまったので、肩を回して軽くほぐす。動かした足が軽いのは、不本意ながらもひと晩ぐっすりと眠れたからだろう。

「わかった。朝飯はおまえに任せるぜ。美味いもん作ってくれよ」

「手持ちの材料が少ないからわからない。採れる食材にもよる」

「期待してるぜ」

 先を行くアズリアの横へ、シュマは並んで歩く。と、唐突に鼻歌を歌い出したので怪訝に思い、気付かなかったふりをする。何か機嫌のいいことでもあったのだろうか。

 場所はアズリアが知っているだろう。だからといって、後ろからついていくことはしたくない。せめて今だけは誰の背中も見たくないと思うのは、シュマのわがままで身勝手な感情のためだった。

 歩いたのは時間にしてほんの少し。シュマたちの目の前に空とは違う青が広がった。水面は穏やかで、風が吹かない限り波立つこともない。しゃがんで水面を覗き込んでみるも、魚影はちっとも見当たらなかった。

「魚はいなさそうだな。どうする、向こう側まで泳ぐか? あっち側なら果実とか見つけられそうだぜ」

 アズリアが向こう岸に見える森を指さす。確かに、緑の生い茂るあの場所なら、豊富な食材が見つかりそうだ。けれど、あちらまで泳ぐのは若干距離があり、少々骨が折れそうである。

「見つけたとしてもどうやってここまで運んで来るんだ。君の上着を犠牲にしてもいいなら考えなくもない」

「じゃあそれ以外で任せた」

 即答するなりおもむろに上衣を脱いだと思えば、早々と水に浸かり、潜っていった。後にはアズリアが上に着ていた服と、彼が使う二本の剣だけがその場に残される。大雑把な有様に言っても仕方ないことを嘆きたくなったが、生憎それを言いたい相手はとうに水中だ。

 魚は少しだけあてにしていたのだけれど、いないならば諦めよう。別の食材を探さなければ。水際で足を進め、そこに生えていた草を束で五本ほど引き抜く。葉についていた泥をその場で洗い落とし、水気を切って持っていく。途中で生えていた大きな葉もついでに一枚ちぎった。ちなみにどちらも食用である。

 腰に下げている大きな鞄から手のひらほどの袋を取り出して、中身を確認する。やはりほとんどないか。そろそろどこかで調達しなければならない。チェスティアのところに寄った時に少し分けてもらえば良かったと、今更な後悔が頭をよぎる。

 これで他に食材が手に入らなければ、今朝の食事はおしまいだ。育ち盛りだと自覚している自分たちには、いささか心もとない量である。仕方ないとしか言いようがないけれど。

 もう一度鞄を開き、鍋として使える合金鋼の器を取り出す。手を洗って、腕まくりをすれば準備完了だ。鍋へと少量の水を汲み、束で持ってきた葉を細かくちぎって入れ、残っていた粉もそこに全て混ぜる。

 素手で混ぜれば瞬く間に粘り気のある液状個体へと変化していった。ついでに足元で見つけた黄色い花弁をぱらぱらと散らす。それを拳ほどの大きさに丸め、取ってきた大きめの葉の上に並べていくと、全部で四つの塊が出来上がった。

 空になった鍋を一旦すすぎ、今度はそこになみなみと水を汲む。少し考えてから、湖に向けて声を張り上げる。

「アズ!」

 ちょうど水面から顔を出したところだった。その声が届いたようで、こちらを向いてくる。

「先に戻っているからな!」

「おお、後で行く!」

 アズリアが片手を挙げて応じたのを確認してから、鍋と粉団子を包んだ葉を抱えてたき火跡まで向かう。

 たどり着いた場所に再び火をおこす頃には、先程作った粉団子が半ば固まりかけていた。

 水が沸くまでもうしばらく時間がかかる。その間に鞄の底までひっくり返して使えそうな調味料を探した。物が小さいせいで見つけにくいのだ――あった。

 ころりと転げ落ちた小さな石を鍋に入れ、大きな泡が出てきた頃に粉団子を鍋に落とした。底まで沈んだと思えば、ゆっくりと浮き上がってくる。

 この小さな石は岩塩。食材と一緒に煮込むだけでも塩味をつけられる、便利な調味料である。もちろん最初手に入れた頃より大きさは小さくなってきている。こちらもいつ新しいのを仕入れようかと思ってはいるのだけれど、機会がなければ当分先になるだろう。

「お。そろそろ出来上がりそうか?」

 アズリアが戻ってきたのはそんな時だ。

「見ての通りだ」

 長さの合わない箸で中身をかき混ぜていたシュマは、作業を中断して顔を上げた。幾分かさっぱりとした表情のアズリアがそこにいて、目が生き生きと輝いている。ちらりと覗かせていた疲労はどこかへと消え、すっかり元通りの元気さだ。

 滴がぽたぽたと落ちて、鍋の周りを濡らす。一滴鍋に入りかけて、しかめ面で文句を言った。

「アズ、君、髪を拭いたらどうだ」

「あ、わりい。なんか拭くもん持ってねえ?」

 鍋から離れて水が落ちるのを回避しているも、アズリアの髪は濡れそぼったままだ。シュマは嘆息しつつ手巾を渡してやった。

 普段は悟ったような話し方をするくせに、こういうところを見ると年相応に見えるから不思議だ。

「ほい、助かった」

「どうも」

 返された手巾を受け取り、シュマが使っていた箸とは別の箸を渡す。

 草と花で覆われた色とりどりの水面から、丸い団子がぽっかりと姿を見せ、ぐつぐつと煮える鍋に揺られて踊っていた。アズリアは渡された箸を受け取って、シュマの斜向かいに腰を下ろしてくる。

「上出来。ありがとな」

「別に、大したことじゃない」

 中身を混ぜながら言うと、ふと視線を感じた。何事かと問うより先に、アズリアが言うことには。

「人の真似してんじゃねえよ」

 そのしかめ面に、こちらも眉根を寄せる。

「誰が真似なんかするか」

 そういえば朝起きて早々にそんな話をしたのだったか。内容は全く別のことだったけれど。

「あーはいはい。そうだよな、してねえな。ほら、さっさと食っちまおうぜ」

 アズリアの適当な言葉遣いに何となく腹が立って、手を伸ばしかけていた彼より早く団子をすくい上げる。そのまま口に運んだ団子が熱くて食べられず、その様子を見ていたアズリアに爆笑されてしまった。

 そうして大騒ぎしながら食事をし、アズリアに宥められつつ、済ませた食事の後片付けをしてしまう。

「ふあ……」

 隣で気の抜けた声がした。見れば口元に手を当てたまま、その後に続く衝動を噛み殺している様子のアズリアがいて。眠そうだなと他人事のように思う。

 ――思って、慌ててその思考回路を消した。当然だ。自分が寝ている間、彼はひと晩ずっと起きていたのだから。

「アズ、君、一度仮眠したらどうだ?」

 提案はすんなりと出てきた。

「あ? 平気だよこんなもん。歩いてれば目が覚め――」

 言葉尻がすぼみ、明後日の方向を向いたアズリアを見て半眼になる。今、もう一度欠伸を止めた気配がしたのだが。

 問答無用で地面を指差す。

「いいから寝ろ。俺だけ寝て、君が休んでいないんじゃこの先まともに進めない。それは君だって承知しているだろう?」

「んー……じゃあ、お言葉に甘えるわ」

 その返事も半分夢の中から答えていて、片足を突っ込みかけているのがわかる。それでも言わずにはいられなかった。

「ちゃんと休むんだぞ」

「はいはい。つーかお前じゃねえんだから」

「俺は休んだぞ!」

 やけになって言い返しても、背中で笑われるだけだ。

 昨夜の寝始め、自分に寝る気がなかったことをどうして気付かれたのか。羞恥心が勝って、ついにその答えは聞けないままだった。


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