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3,試行錯誤を繰り返して


 ナダの集落。

 故郷なき村。

 シュマにとっては後者の方がまだ馴染みのある単語だ。定住する場所を持たず、世界各地を点々と旅する人々。その人たちが居住とする場所、それがナダの集落と呼ばれていることを初めて知った。

 故郷がないところに住む人は、果たしてどんな者がいるのだろう。見知らぬ土地からさらに見知らぬ土地へ渡り歩き、世界を旅する人々とは。

「アズ」

「だから略すなっつってるだろ。俺はアズリアだ」

「君なんかアズで十分だ」

「なんだとこら」

 いつもの調子で言い返してしまったがそうではない。こんなことが言いたいのではないのだ。

 シュマは慌てて付け加える。

「君の故郷はどこなんだ」

「どうしたよ、突然」

 毒気を抜かれた声音にほっとする。ちらりと横を仰いで続けた。

「別に、単なる興味本位だ」

 ギルドに就いて早三年、家族の皆は元気だろうか。一度も実家に帰れていないので、気になっているのだ。

 シュマよりもいろいろと手慣れているアズリアなら、ギルドに属している年数はきっとそれ以上であろうことは容易に想像できる。少なくとも一緒にいた半年の間はほとんど毎日のように任務をこなしていたので、アズリアに故郷まで帰る時間があったとは思えない。

「へーえ。俺に興味を持ってくれたとは嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「……言葉のあやだ」

 危うく書類を握り潰すところだった。持っていても汚れてしまいそうだったので、もう一度鞄にしまう。

「そういうおまえは? 南のどっかか?」

「そうだけど……よくわかったな」

 あてすっぽで言われたにしてはやけに確信めいていたので、思わず身構えた。

「あ、やっぱりか。俺の勘も捨てたもんじゃないな」

 前言撤回。からかわれているとしか思えない。

「それで、君は?」

 気持ちを切り替えて尋ねてみると、アズリアは少し考える素振りを見せたのち、こう言ったのだ。

「ギルド」

「はあ?」

 自分は『故郷』と聞いたはずだ。なのに妙な単語が返ってきたのはどういうことか。

「だから、ギルドが俺の故郷だって言ってる」

 何考えてるんだこの男。

 眉をひそめるシュマの前で、アズリアは芝居がかった口調で続けてきた。

「いいだろー。任務が終わる度に帰れるんだぜ。どうだ、羨ましいだろ。そうだ、どうせならおまえも――」

「別に羨ましくなんかない!」

 思わず叫んでしまって、口を押さえる。アズリアの驚いた顔を目にしてきまりが悪くなり、さっさと目を逸らした。叫ぶつもりなんて、なかったのだ。

 どうせ何を訊いたって真面目な答えは返ってこない。わかっていたのに、真面目に尋ねてしまった自分は馬鹿だ。

 ――いつでも帰れる、だなんて思ってしまって。

「悪い」

 アズリアから謝罪の言葉が寄越される。違う、謝るのはこちらの方だ。

「……ナダの集落、心当たりがあるんだろう? 案内しろ」

 けれでも口を吐いて出たのは謝罪などではなくて。

「はいはい」

 呆れか譲歩か。そちらを見ずとも、ため息を吐かれたことだけはわかった。

 それからの道中は二人とも一切の会話を交わさず、ただ黙々と足を進めるだけだった。自分から話し辛かったのがひとつ。もうひとつは、アズリアが考え事をしているように思えて話しかけにくかったのだ。なら、無理に話す必要はない。会話がないのをいいことに、こちらも考え事に没頭できる。

 つい先程鞄にしまったばかりの、依頼書の内容をそらで反芻(はんすう)してみた。今度は微細に至るまで読み込んだから、全て頭に入っている。

 依頼内容は、アズリアも言っていたとおり護衛だ。階位指定はこの際無視をする。ナダの集落にいる女性が他の村に行きたいようで、その女性の護衛をしてほしい、というものだ。

 一緒に男性がいるとのことだが、その人が送ってはいけないのだろうか。世界を渡り歩く人々なら、腕利きの戦士がいてもおかしくないはずなのに。そうすればギルドに依頼を出す必要もなくなる。ギルド側にいる人間の稼ぎはなくなるが、人手以上に溜まっていく依頼を知っている身としては、稼ぎ以上に依頼を減らすことをなんとかしてもらいたいと思ってしまう。手当たり次第依頼を渡されても、こなせる数には限度がある。

 女性が一人でなんて、何か特別な事情があるかもしれないけれど。

 下方に書き添えられた報酬は決して悪い額ではない。が、良い額かと聞かれるとうなりたくなるので、位に合った妥当な額だと思うことにした。階位に関しては以下略である。

 期限はなし。出来る限り早くとは書かれているが、明確にいつまでとは記されていない。

 何故こんな依頼がアズリアに名指しであてられたのか、まったくわからない。別にアズリアでなくとも、ナダの集落を知っている者なら、ギルドを探せば数人は見つかるだろうに。たまたまシュマは知らなかったが、ギルドで情報収集と提供を生業としている者は多い。そちらに回せば目的地の把握は難なくこなせたものを。

 思い返せば返した分不満が積もっていく。言い出したら止まらないが、どれもこれも詮ないことばかりだ。

「南にギルド支部が出来るって話、知ってるか」

 唐突にアズリアからそんな話を投げられて、咄嗟(とっさ)に返せなかった。

 すっかり自分の思考に浸っていたものだから、会話する準備なんて忘れていたのだ。

「――あ、ああ。まあ、聞いたことくらいなら」

 もしかして、少し前まで気まずかったことを忘れているのではないだろうか。――いや、それよりも。

 南にはシュマの故郷がある。帰りたくなかったわけではないが、何となく足を向けにくかったために、南へ行く依頼は受けていなかったのだ。運よく南方の依頼がなかったことも挙げておく。アズリアが知っているかはわからないが、シュマの南へ行くのに乗り気でない雰囲気から察しているのだろう。普段は気が合わなくとも、そういう気配りはできる奴だ。

 そういった理由から、シュマは南方に関する情報には疎い。そのくせ人の口に南の情報が上がると耳を澄ませてしまうのだから、我ながらひどい矛盾だとは思う。

「そのギルドを作ろうとしてる人の中に、俺の知り合いがいるんだ。その知り合いがちょっと前にナダの集落に接触したって聞いてる。だから、その人に会いに行こうとしてるんだ」

 ここまで聞かされてぴんとこなければ、かなり鈍感な人間だ。真面目な話をする時、アズリアは意味なく言葉を連ねる人物ではない。今までの経験から、それは多少なりともわかっている。それ以外の時は――推して知るべし。

「君が話していた心当たりはそれか?」

 シュマが確認すると、彼はしっかりと頷いた。

「そういうこと。一番新しくて、一番たどり着く可能性が高い。だから俺たちを名指ししてきたんだろうなと思ってさ」

 他の誰かでは駄目だった、それが理由。

 アズリアのひと言ひと言を聞いて、ゆっくりと噛み締めて――そこでわかったことがある。そして、湧き上がった感情もひとつ。

「……つまり、今回の不相応な依頼はやっぱり君のせいなんだな?」

「わざとはぐらかしたところに気付くなよ」

 やはりか。どれだけ正当化しようと、言い逃れはさせない。

「君なあ……!」

「ま、これもひとつの試練だとして諦めろ。上を目指すなら必ず通らなきゃならない道ってことで」

 いかにも正論であるかのように説明してくるが、開き直り具合がうさんくさくて信用出来ない。息を大きく吸って、吐いて。どうせ文句を言っても、のらりくらりとかわされるだけだ。ならば。

「――それはどうだかな。道は必ずしもひとつだけとは限らない。たどり着く場所が同じであっても、行き方は何通りにも分かれてる。誰もが必ずしも通らなければならない道なんてないんだ」

 そう来ると思っていなかったのか、アズリアは一度面食らった表情をする。それでもすぐに笑みを浮かべ、反論してきた。

「違うな。途中が別々になっていたとしても、始まる場所はみんな同じだ。だから、誰もがみんな通る場所なんだよ。例えて言うなら、俺たちは依頼を受けて始まりに立ったところ。目指すのはこれからだ」

「なら、その始まりに立つ前に気付いてもらいたかったな。この先に続く道は間違っていることに。先も見通せない奴に、進む資格なんてない」

 一歩も引かない。余裕な顔をしているアズリアから目を逸らさずに。

「資格なんていらないだろ。進んだ道が正しいかそうでないかを決めるのはその道を選んだ奴だ。他人がどうこう言っても、そいつらに合わせる必要はない。自分が後悔しない道にすればいいだけの話だ」

「じゃあ間違ってる」

「結論はええな。間違ったら修正すればいいだろ」

「だから――」

 言いかけて気付いてしまった。自分で選んだ場所、そして現状に。気付いてしまったらもう、嘆息するしかなかった。

「……もう既に後悔しているんだが」

「何か言ったか?」

「何も」

 明後日の方向を向いて視線から逃れる。アズリアの視界から外れたのをいいことに、シュマはここぞとばかりに景色を堪能することにした。

 静かだ。誰もいない、何も聞こえない、そんな寂しい静けさではない。過ぎる風の声とむき出しの肌を温める日差しと。遠くから聞こえたのは鳥の話し声。何を語っているのやら。

 穏やかで眠気を誘う、のどかな時間が流れている。いいな、なんて思って。

「隣がいなければもっとよかったけどな」

「さっきから喧嘩売ってんのかこら」

 うっかり本音が漏れてしまった。

「ただの独り言にいちいち突っかかるのは、大人げないんじゃないのか」

 負けじと大げさに呆れてみせれば、わざとらしく肩をすくめられた。

「それにしちゃ、でけえ独り言。おまえがそんなに寂しい奴だとは思わなかったぜ。構ってほしいなら素直にそう言えよ。いくらでも相手してやるから」

 腕を組んでそっぽを向く。あれほど温和に見えた景色も、変化がなくてすぐに面白味に欠けてしまった。

「構われたいのはそっちだろう。人に意見を押し付けるのはどうかと思うぞ。ああ、年上のプライドが邪魔しているんだな。それはすまなかった」

 進める足を速める。苛立ち混じりに挑発を投げつけて。

「ひがむか嫌味を言うか嫉妬するかどれかにしろよ。一遍に言われたって対処しきれねえ」

 しかしアズリアは乗ってこず、至って冷静な答えが返された。それがアズリアの余裕を窺わせ、余計気に障って。

「一度に全部味わえてお得だろう。悔しかったら外からの情報を処理する能力を上げるんだな」

「おまえ限定にしか使えない能力ならいらねえ。他を当たっておけよ。あ、でも、おまえの場合は他にいれば、か。寂しい奴だな」

「っ、誰が寂しい奴だ! 君にだけは言われたくない!」

 立ち止まり、横目で一蹴する。アズリアも同じように足を止め、視線を合わせて。

「はい、おまえの負けー」

「――だっ!」

 唐突に額を弾かれる。シュマは目を白黒させて額を押さえた。地味に痛い。涙目になりながら恨みがましい目で見上げる――と、意外にも真面目くさった顔がそこにあった。

「おまえは感情も考えてることも全部顔に出過ぎ。だから人の言葉に踊らされるし、惑わされるんだよ」

「惑わされてなんかいない!」

「だったら俺の言ってることも受け流せるはずだろ? 言葉をそのまま受け取って感情的になる。俺に突っかかってくるのがいい例だ」

「ぐ……っ」

 売り言葉に買い言葉。最後には図星を指され、アズリアのその真っ直ぐな目を見ていられなくなって。視線を逸らした先で悔しさを()んだ。

 ふざけているかと思えば急に真面目な話をしてくる。アズリアのそういうところが苦手で、嫌いだ。自分がまだまだ子どもであることを見せつけられるし、嫌でも実感させられる。

 たかだかふたつだけの差。けれどもそれは絶対的な違い。一方通行で勝手な妬みだとはわかっている。何よりも嫌で堪らないのは、そう考えてしまう自分自身だということも。

「シュマ、目先にある障害に当たるな。俺やおまえより上にいる奴なんて山ほどいるんだぜ? 世界は広いんだよ。少なくとも、おまえが思ってるよりはずっと」

 そう、世界は確かに広い。二人で歩いた、たった半年だけでもわかった。歩いただけでは全てを回り切れない。まだまだ見ていないこと、知らないもの、想像すら出来ない様々なことがたくさんあるのだ。

「そんなの――知ってる」

「嘘つけ」

 けれどシュマにとって世界とは、今まで見、知り、出会った人々だけで全てだった。


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