2,請け負った依頼を眺めては
肩を怒らせて歩いていく後ろ姿を追いかけながら、アズリアは本日何度目かになるため息を吐いた。
――まったく。
背中で怒っていることを表現しなくてもいいものを。シュマのあの頑固さは称賛に値する。しかし、いつになったらあの警戒心が解けるのやら。先が思いやられる。
アズリアはかぶりを振って思考を切り替えた。
受けた依頼は緑だったか。シュマが散々騒いでくれたおかげで、自分たちの階位にあった依頼でないことは知れた。あの書類が奪われる前、ちらりと見えた地名で納得してしまった自分がいるのだが、その理由を話したところでシュマも納得するとは限らない。
さて、どう説明したらいいものか。怒り肩で歩いていく背中を眺めながら本気で悩む。
『――初めまして。これから君と組むことになったシュマだ。君、十五歳なんだって? 俺の二つ上だな。よろしく』
初めに会った時は冷静沈着に見えたのだが、中身は全くそんなことはなくむしろ真逆で、予想を大きく裏切るほど短気だった。何かとつっかかってくるせいでアズリアも言い返し、すぐに口論へと発展する。まともに喋ったのは自己紹介の挨拶ぐらいだったかもしれない。
おかげでやりにくいことこの上ない。最初の内は会話をしようと努力していたのだが、最近ではだんだん面倒くさくなってきて放っておいている。
ギルドの仕事は複数行動が基本。余程の事情がない限り、単独での仕事はないのだ。あれがいわゆる『相棒』だというのだから、頭痛の種がなくならない。少し目を離した隙に十や二十もの問題を抱えて戻ってくるのだ。『大人しくする』という単語は彼の頭の中にないのかもしれない。ついでに挙げるなら『静かにする』と『落ち着く』という言葉も存在しなさそうだ。ほんの半年ばかりの付き合いではあるが、体力はないのに口だけはよく回る奴だということがわかってきた。それだけ口が達者なら、その原動力を会話での意思疎通にも使ってほしいものである。
正直、こうまで他人との行動が疲れるものだとは思わなかった。出来るものなら他の人と代わりたいくらいだ。そう。どうせ代わるなら、ギルドでも一目置かれているあの人のような――
「アズ」
「略すな」
呼ばれて咄嗟に言い返せてしまうところが、この状況に慣れてきている証拠である。
前を行く仏頂面の彼から放たれたのは、不機嫌丸出しの声。シュマが話しかけてきた時は大抵何かが起こる時だ。とうにそれを心得ているから、何があったとは聞かない。代わりに口を吐いて出たのはこんな言葉で。
「今度はなんだ」
「今度は、ってなんだよ」
「はいはい、それで用件は?」
適当にあしらえばむっとされる。
ふとシュマの手に依頼書があるのが見えた。不本意であっても、受けた依頼はちゃんとこなす気でいるのだろう。そういうところは生真面目な性格をしている。
「書類のここ、ナダの集落なんて聞いたことないぞ」
「へ?」
予想外の単語に変な声が出た。有名な場所だと思っていたのだが。
「君なあ……読んだんじゃないのか」
シュマはそれを別の意味に解釈していたらしく、呆れた調子で返してきた。そうは言われても。
「目を通す前におまえに奪われた」
「――ちょっと待て」
掛値なしで本当のことを言ったのに、どうして怖い目で見られなければならないのか。間違いを指摘するのが面倒だったので、そのままにしておいただけなのに。
「――あっ」
「借りる」
シュマから依頼書をかすめ取る。そこに書かれている文字を目で追っていくと、確かに『ナダの集落へ向かえ』と記された一文がある。護衛をする依頼なら、通常は橙階位でこと足りる。場所や内容によっては、さらに上の階位あてになってもおかしくはない。この依頼は緑階位指定されているから、それほど難しい内容ではないだろう。内容よりも、問題なのはこの場所だ。
「じゃあなんだ、依頼の内容もろくに見ないで受けると決めたのか!?」
説明しようとしたところで横槍が入る。今にも食ってかかってきそうなシュマを見下ろした。
彼はギルドに所属して三年経ったというが、そんなことは全然感じさせない細い両腕と両足。アズリアのちょうど頭ひとつ分ほど下にある背丈。これで自分のふたつ年下だというのだから嘘のようだ。
何かを間違えて、あるいは置き忘れて生まれてきたに違いない。
「選り好みしてる場合じゃねえって言ったろ。俺たちの階位で、受けられる仕事があるだけありがたいと思えよ」
押し付けるようにして依頼書を突き返す。呆気に取られていた表情はすぐに元へと戻り、みるみるうちに赤くなったと思えば盛大な文句を吐き出してきた。
「ふざけるな、何を考えているんだ! いい加減にも程がある!」
「いい加減でも適当でもねえよ。俺達が選べる立場か? 赤階位の俺と、紫階位でしかないおまえに。下位階級の俺達に出来ることは、いちいち口を挟んで文句を言うことじゃない。文字通り手足になってギルドから渡される依頼を確実にこなす、それだけだっての」
「だからと言って――」
彼の喉を指し、シュマの言葉を無理矢理遮る。
「思い上がるな。正面切って文句言いたいなら、上位まで上がってから言うことだ――おまえだけじゃない、俺だって」
今のひと言が相当痛いところを突いたのか、うつむいたシュマは何も言い返してこない。
そう、アズリアだって、ギルドに言いたい文句ならそれこそ積み上げたいくらいたくさんある。今のギルドの体制に満足してはいないし、不満がないわけでもない。シュマのように怒鳴り散らしてやりたくなる時だって、何回もあった。
けれど、そんなことをしたって何ひとつ変わらないのだ。
アズリアが不満をぶつけることで何か変わるというなら、それはもう喜んでやらせてもらう。どんな些細なことでも、微々たるものでも、何かが変わるというのなら。出来れば良い方向に、と付け加えておきたい。
変化が起こらないなら、叫ぼうが喚こうが何をしたって労力の無駄だ。
だったら大人しく従っておいて、頃合いを見計らって行動を起こす方が、今よりずっと可能性がある。下位階級の者が愚痴を言うより、上位階級の者が意見として述べた方がずっと効果があるはずだ。
アズリアはひたすらに待つ。依頼を重ねながら、ひとつひとつ経験を積みながら、上位階級まで上がる日を。だから、こんなところで打ちひしがれている場合ではない。嘆く暇があれば、少しでも前に進みたいのだ。
「おまえ、故郷なき村って知ってるか?」
「……聞いたことだけなら」
聞き取り辛い声ではあったけど、確かに肯定する答えが返ってきた。
「それをナダの集落って言うんだ。あの村は次々に場所を変えて移動するから、故郷なき村って呼ばれてるみたいだぜ。俺も実際に見たことはない。この依頼が緑階位指定なのはそれを踏まえているからじゃないかって思ってる」
「今の話と依頼者の指定と、どう関係があるんだ」
「考えてみろよ。ただの護衛だけなら橙階位でいいだろ――って言ってもおまえだったらそれでも文句言いそうだよな」
「……いちいちうるさいな」
茶目っ気を効かせたつもりだったのに、冗談のわからない奴だ。
「えーと、つまりだ。この依頼は、護衛の他にもやらなきゃいけないことがあるんだよ。さて問題。この依頼で一番難しいのは何だと思う?」
食い入るように依頼書を眺めていたシュマだったが、やがて小さく声を上げる。
「ナダの集落を探すことか!」
それと同時、弾かれたように上がった顔が、ひとつの答えを見つける。
「そういうこと。だから、依頼自体は大したことないと思うぜ」
あくまでも予想にしか過ぎないということは伏せて。
「それならそうと言えばいいものを……」
「おまえこそ隅から隅まで読んだんじゃないのかよ、その依頼書。まさか、階位の部分だけ見て文句言ったんじゃないだろうな――っておい、目ぇ逸らすな」
シュマの態度で薄々感づいてはいたが、まさか本当にそうだとは思わなかった。この期に及んで、本当に手のかかる。
「過ぎたことをどうこう言うつもりはねえ。ほら、とっとと行くぞ」
気まずげなシュマの肩を叩いて通り過ぎる。
二、三歩歩いたところで後ろから走ってくる気配がしたので、横目で確認してみる。アズリアの隣に、小さな頭が並んだ。
「場所なんてどうやって探すんだ? 闇雲に探して見つかる場所でもないだろう?」
確かに、シュマの言う通りだ。一箇所に留まらないものを見つけるのは至難の業だと言えよう。探し出す人の手腕と情報の獲得、それに運の良さが絡まなければ見つけられないだろう。
その点に関しては問題ない。
「ナダの集落に関しては、ちょっとばかし心当たりがあるんだ」
この依頼でわざわざアズリアを指名してきたのも、間違いなくその理由があったからではないだろうか。でなければいくら簡単な護衛任務だったとしても、紫階位とともにいる赤階位の人間に、こんな依頼を出したりはしない。
「当てにしていいのか?」
「さあね。でもなんとかなるんじゃねえ?」
「この適当人間」
「褒めるなよ」
「……今のどこが褒めてるというんだ」
「難しく考えたら負けだぜ」
何も思いつめるばかりが人生ではない。アズリアだったら肩の力を抜いて歩きたいと思うのだ。どうせなら楽しくいきたいではないか。