1,始まりは許しがたい感情とともに
――憧れなんだ。
それは、饒舌な彼が珍しく言葉少なに語った時だった。
普段の調子はすっかり鳴りを潜め、真剣な眼差しでもう一度口にした。
――俺の、憧れてる人だ。
++
その日、シュマがギルドまで戻ってきたのは、まだ陽が高い位置にある時刻だった。
いつもなら陽は沈みきって辺りが暗く、日をまたぐことだって度々だ。それどころか、早く帰れる方が珍しいくらいだった。だから、多少なりとも心が浮ついていた。それは認めよう。
けれど、その浮き上がっていた気分をどん底にまで落とすのはどうかと思ったのだ。
「冗談じゃない!」
受け取った書類ごと、力任せに叩きつける。
周囲がしんと静まり返ったが構うものか。それだけでこちらの怒りが収まると思ったら大間違いだ。
「こんな依頼、受けられるわけないだろう!」
手の下にある書類を今にでも握り潰したい衝動に駆られる。しかし、それをやるわけにはいかない。書類の上部に押印された証が、ギルドからの正式な依頼だという証拠を示しているのだ。その印がある以上、下手な真似をしてしまったらこちらの立場が危うくなってしまう。だから、歯がゆくても出来ないのである。
「そうは言ってもねえ」
対面式の細長い台、その向こう側。対する相手はシュマが今終えたばかりの依頼の報告を聞き、新しい依頼だと書類を手渡してきた張本人である。怒鳴りつけたシュマにどこ吹く風。ちなみに手元にある別の書類を見ながら、の返事だ。そのいい加減さが余計頭にきた。
「これじゃ話にならない! ちゃんと説明してくれ!」
「あのね、こっちだって人手が足りないんだよ。だから二人にしてあるだろう? しかもそいつはあんたの相方を指名してきたんだ、指名されたんなら従うしかなかろうよ。それにほれ、今日は早く終わったんなら、もうひとつくらい出来てもおかしくないだろう?」
依頼者の指名という点は気になったけれど、それ以外にも問題がいくつかある。投げやりでぞんざいなその態度も拍車をかけていて。
「だからといって、紫階位に緑階位指定の依頼を出すなど、無謀以外の何物でもないだろう!? 何を考えているんだ!」
自分の主張は至極真っ当だ。階位の異なる依頼は今までいくつもあったけれど、ここまで差の開いた依頼を出されたことはない。大げさに言うならむざむざ死にに行かされるようなものだ。
「形式上紫なだけでしょう、あんた。実力で言ったら橙階位に近いんだから、問題はないでしょうよ」
問題がない? どこを見てそんなことが言えるのか!
「問題大ありだ、ば――!」
「あー、はいはい、そこまでな、そこまで」
馬鹿者、と言おうとしたところで後ろから伸びてきた手に口を塞がれた。そのまま羽交い絞めにされる。
「うちの連れが迷惑おかけしました。任務はこちらでちゃんと受けますんで」
「んー! んんー!」
誰が迷惑をかけたと言うのだ。間違いを間違いだと主張しているだけだろうに。
もがいてみるがびくともしない。なんて馬鹿力なのだ。
「しっかりしてくれよ、抑え役。こっちだって忙しいんだから」
「すんません」
勝手に話をまとめられ、そのまま力任せに引きずっていかれた。外に出たところでようやく解放され、勢いよく後ろを向いて思いきり突き飛ばす。彼は二、三歩下がったものの、体勢を崩すことはない。それどころか、ため息まで吐かれる始末である。
「何をするんだ!」
「様子見に来てみりゃあ……何やってんだよ、シュマ」
彼の名はアズリア。シュマの仕事仲間である。
同年代の中でもひと際体格がいいせいで、シュマと並ぶと枯れ木と大樹だと言ったのは誰だったか。余分なところに肉がついていないのが羨ましい。少し分けてほしいくらいだ。顔はお世辞にも格好いいとは言い難い。けれどノリが良く、屈託のないその性格から、上には可愛がられ、下には慕われている――それはあくまでも一般論で。
「余計なことするな。依頼でおかしなところがあれば、正すのが俺たちの役目だろう!」
今この時点で、ギルドをかばおうとする人間に、慕うも慕わないも関係ない。悪いのはあちらなのに、どうしてこちらがおめおめ引き下がってやらねばならないのか。
「あのな、本部ともめたって何も良いことないだろ。受けた依頼を無難にこなしていりゃいいんだよ。特に、下っ端の俺たちは」
「……っ、それにしたって限度がある」
「仕方ねえだろ。人がいないんだから」
そもそも彼は達観しすぎなのだ。これでふたつ年上だというのだから、冗談にも程がある。
「君まで同じこと言うんだな。それを仕方ないで済ませられるか!」
「どうしたいんだよ、おまえは」
問われ、シュマは腕を組んだ。
見上げたのは傍らの建物。入口の上部にある看板には中央ギルド本部と記されている。
生きるため、暮らすため、己の腕を磨きたい。様々な理由を持った人々がここに所属している。
この世界で収入を得る方法のひとつとして、ここ、ギルドに属して仕事をこなす、というものがある。仕事の内容は民間人からの依頼として承り、その内容に応じてギルドが位ごとに区分けをするのだ。そうして分けられた依頼を自分に見合った階位の者が受け、それをこなしていくのがギルドに属する者たちの役割である。
ギルドには上から下まで九つの階級が存在する。下から数えて初めは透明、その次が紫、赤、橙、黄、緑、青、銀、一番上が金と色分けがされている。この階級は別名を階位とも呼び、依頼を出す側も受ける側も目安がつけられるようになっている。さらにそれを明確にするべく、ギルドに属する人に全員、その人に合った階級章が渡されるのだ。
この階級章は細工の凝った作りをしており、中央にはその階級を表す色の石がはめ込まれている。裏には持ち主の名前が手彫りされ、大変豪華なものとなっている。
ちなみに現在シュマが持つ階級章の色は紫。アズリアはそのひとつ上の赤だ。
そこで今回の依頼である。アズリアの階位から考えても、三つも上の階位向けである依頼なのだ。どう考えてもおかしい。失敗前提で出されているとしか思えない。
先程のやり取りを思い出して、腸が煮えくりそうになる。そもそもアズリアに止められさえしなければ、思いの丈をぶつけてやれたものを。
「……ちゃんと、個人の位にあった依頼を受けるべきだ」
思い出して恨みがましい口調になったのは致し方ない。
「初めからそう出来りゃ世話がねえ。形式上階位ごとに分けられてるって言ったって、その分け方もちゃんと決まってないだろ。だから形にこだわる必要はねえの。わかるかよ」
正論を述べたのだが、諭すように返されてむっとする。
「分け方が曖昧すぎる。もっと明確な基準を決めれば、階位にあった依頼に分けられるはずなんだ」
「あーそうかい。だったらこれは俺一人で受ける。おまえはその辺で休んでいりゃいい」
ひらひらと示された紙は、先程シュマがもらった――かつ思い切り叩きつけた――書類だ。いつの間にと思うも、そういえば自分は引きずっていかれたのだったか。正しく受け取った記憶は確かにない。
追い払われるように手を振られ、思わず言い返していた。
「依頼は複数行動が基本だ。一人で行動してどんな目に遭ったのか、もう忘れたのか?」
それを聞いたアズリアの眉根が寄せられる。
「突っ走ったのはおまえだろうが。人のせいにするな」
「あれは俺じゃない。君のせいだ」
「言ってろ」
ほんの数日前の話である。依頼を受けた後にアズリアと喧嘩をし、流れで互いに単独行動を取って、それはもう手痛い目に遭った。まだ記憶に新しいけれど、思い出したくもない。あの時は本当に散々だった。
「それで、おまえはどうするんだ。受けるのか、それともやめるのか」
目の前に掲げられた書類を問答無用でひったくる。
紙といってもこの書類は少しくらい強めに引っぱっただけで、破ける柔な材質ではない。こんな紙切れに金をかけるくらいならさっさと人員を増やさばいいものを。相変わらずギルドの人間はろくなことを考えない。
「受ければいいんだろう、受ければ」
もぎとった書類を乱暴に折りたたんで鞄へとしまい、アズリアから背を向けて歩き始める。目的地は確認した。ならばさっさと終わらせるまでだ。
それにしてもギルドは本当にわからない。
どうして自分が、こんなに気の合わない人間と行動をともにする羽目になったのか、全然理解出来ない。年が近いからというのがギルド側の言い分らしいが、納得なんて出来るわけがない。
「……可愛くない奴」
決意したところで後ろからぼそりと聞こえたそれは、きっと聞こえよがしに言われたものだ。無視を決め込んだけれど、本音は舌打ちしたい気持ちでいっぱいで。ああ、本当に腹が立つ。
ふたつしか年の違わない奴に、可愛いなんて思われてたまるものか。