31.コールド負け
ダリア妃は隣国の、それも正妃の王女という立場もあり、後宮の中でも一番大きな宮を賜っている。
昔は、私の母様など他の側室もいたのだが、みんなダリア妃が何かしらの理由をつけて追い出していた。
多分私もその対象だったのだろう。
私の母は、身籠っていることを承知で陛下が側室にと求めたほど美しい人だったと聞く。
その母は私が1歳になる前に病気で他界したと、大きくなってから乳母のマリアに聞いた。
-------多分、この人に殺されたのだろうと私は勝手に思っている。
母が他界した後、後宮の隅でひっそりと息を殺すようにマリアとロディと三人で生活していた。
後宮にも、見事な庭園がある。
季節ごとに花が咲き、甘い実の成る樹もあった。
それでも、マリアは私達二人にきつく庭園には行かない様にと言った。
ダリア妃に見つかることを恐れたのだろう。
しかしそれは、同じ後宮にいる限り見つからない事など不可能だったのだ。
私とロディは言われた通り、後宮の隅の小さな宮の中と、その宮についている小さな庭で過ごしていた。空を見上げると、もっと広い所へ行きたいなんて思ったこともあったが、それでもそこは幸せな場所だった。
変化は突然だった。
私が3歳……4歳になる前位の時だったと思う。
マリアとロディが他の貴族の身の回りの世話をするために、と配置換えをされたのだ。
その貴族は領地持ちの貴族で、社交シーズンが終わり領地へ帰るのに人手が足りないと言うことだった。
マリアとロディは、その貴族のところに行かなくてはいけなくなった。
変わりに私には侍女が付けられたが、5日もしないうちに来なくなった。
初めは優しい人だと思った。
でもダリア妃のところの侍女と話をしてすぐ、私の宮に来ることは無くなった。
食事は侍女が用意する。
私には持っていてくれる人はいない。
仕方なく厨房に食べ物を貰いに行った。
厨房の人も最初は優しかった。
何故侍女が食事の用意をしないのかと怒ってくれた。-----最初だけは。
数日厨房に通っていたら、偶然ダリア妃のところの侍女と料理人が話をしているところを見てしまった。
ああ、もうここも来られなくなった。
そう思ったら、やっぱりその日から厨房で食べ物はくれなくなった。
通常、後宮にいる者は簡単に外にはいけない。そう言う作りになっている。
しかし私は、このままここにいたら飢え死にだった。
そんな時、ダリア妃の宮に呼ばれたのだ。
『こんな汚い娘を、ようも後宮においた物よな』
確かダリア妃の第一声はこんな言葉だった気がする。
『妾に逆らわず、下働きでもするなら食べ物もくれてやろう』
私には選択肢は無かった。
それからは、宮の掃除や雑巾がけ、薪を各部屋に配ってまわったりと、よく3歳児にこんなことをやらせるものだと今なら思うのだが、その時は必死だった。床を拭き清めようとしても水は冷たく、3歳児の握力ではそんなに固く絞れるわけがない。にもかかわらず、ダリア妃の侍女からは容赦なく鞭が飛んできた。手はあかぎれだらけになり、腕や肩、背などは鞭のあとが付いた。それでも一日の終わりに小さなパンと冷めたスープを貰えた。
次第に季節は秋から冬に変わっていく。
マリアから着せてもらっていたのは、白い半袖のワンピースだった。もっともその頃には土や埃で元の色など分からなくなっていたが。
しかし、霜が降りる頃になっても上着が与えられることは無かった。
直接会う機会があった時に、意を決してダリア妃に服が欲しいことを話した。
すると、庭師が着ふるした、穴の空いたごわごわの服を投げ捨てるように渡された。
そして会うたびに言われる言葉。
『下賤の娘』
『汚らしい髪、ゴミを燃やした後のようじゃ』
『薄汚い、汚らわしい』
初めは一生懸命、寒い中水で体を拭いて綺麗にしようと努めた。
寒い中、髪も洗って梳いた。
それでもダリア妃もその侍女も態度が変わることは無かった。
『どうせ他国に嫁ぐためだけの、飾り物じゃ』
『お主を好いてくれるようなモノ好きはおらんじゃろうからな。陛下が良き嫁ぎ先を探してくれよう。どんなに年が上でも、醜い相手でも喜んで嫁ぐが良い』
次第に私は何も感じなくなっていった。
そうか。
私は、よその国に行くためだけにここにいるのか。
私は、好きな人のお嫁さんになれることは無いんだ。
------私は、人を好きになっちゃいけないんだ。
寒い季節に、ほとんど寒さをしのげない服。少ない食事。
私はどんどん衰弱して行った。
掃除の途中で座り込んで立てなくなったこともあった。
そんな時は物置にほおりこまれ、自分で歩いて出てこないと食べ物も水ももらえなかった。
どんどん雪が降って、寒くなっていって。
このまま死ぬのかなぁって考えていた時だった。
私はせめて風の弱まる扉の陰にいた。
そこに、誰かが駆け込んできた。
後宮は許可された人以外は立ち入り禁止だ。
賊かもしれない、そう思ったがもうどうでもよかった。
でもその人は振り返って私を見た。
「--------まさか、お姫?」
聞こえるはずのない声がした。
でももう、私は凍えて返事も出来なかった。
ロディはあわてて自分の着ていた上着を脱いで私にかけてくれた。
ロディの熱が残っていて、やけどをするかと思った。
「お姫? ホントにお姫?------ なんで、なんでなんでこんなことになってんだよ!」
そう叫んだロディは私を抱き上げて後宮を出た。
あ、後宮、出ちゃった。
いけないんじゃなかったっけ?
私を抱えたロディは後宮を出て、なんとそのまま正妃宮に突入しようとしたのだ。
当然、護衛兵に止められる。
でもロディは諦めなかった。
「正妃さま!!正妃さま――――!!!」
護衛兵に止められても、止められても叫んだ。
「正妃さま―――! 貴女の侍女の娘が大変なんです!!正妃さま!!!!」
その声に、正妃さまが中から出ていらしたのだ。
「どうしたのです、その子供は---? 私の侍女の子?もしやリーゼの?」
「はい。この子は昔、正妃さまの侍女をしていた時に後宮に召しあげられて、その後に生まれたリディアルナです」
ロディは私と同じ年のはずだ。私より数か月だけ年上なだけ。
なのに何でこんなにしっかりしているのだろう。
「リディアルナは後宮で乳母に育てられているはずです。こんな----こんな事になっているはずは---」
「母…… 俺の母、お姫の乳母のマリアは南のオクタビア領へ帰る貴族のおつきにされて、今はオクタビア領にいます。俺は、俺はどうしてもお姫が心配で----」
「何故そんなことに!! 乳母が領地貴族についていくはずがないでしょう!」
「ダリア様からの直々の命令だから断れないと言っていました。----俺たちのいない間お姫は、多分一人で----」
「----分かりました。貴方はリディアの乳兄弟なのね。入りなさい。-----誰か!すぐに湯の用意を!」
ロディが私をしっかり抱え直して、「もう大丈夫」と言ってくれた。
私は、その時のお日様色の笑顔が忘れられない。
侍女に湯に入れて貰い、温かい服を着せてもらった。
何だか夢の中のようだった。
食事が出来るかと聞かれ、すごくお腹がすいていると伝えると、見た事がない程のたくさんの御馳走が並んだ。
「食事はみんなで取るのよ」
正妃さまがそう言って、まだ満足に歩けない私の手を引いてくれた。
食事の席にはロディもいた。
それだけで安心した。
そこで、異母兄弟になると言う二人を紹介された。
王太子ラインハルト様。弟のエドガー様。
お二人は優しく笑い、これからよろしくと言われた。
私はここにいても良いのだろうか。
ダリア様に何度も何度も言われた言葉。
「私は『げせんのみ』ですが、ここにいていいのですか?」
そう言った途端、王太子さまから抱きしめられた。---何故???
「誰に言われたのかしらないが、そんなことは気にすることは無い。貴賎などないのだ。まして、小さなお前が気にすることではない---- お前、何を食べてたんだ?ガリガリじゃないか」
そう聞かれたので、一日に一回パンと少しのスープを貰っていたこと。昼間は下女の仕事をしていたこと。着るものも秋物のままで庭師の上着だけもらったことなどをぽつぽつと話した。
「ダリア妃ですね----- まさかここまでするとは」
「こんなことが許されるのですか?! 後宮の主は母上ですよね」
「ええ、-----もうこんなことは許しません」
「お前----リディア? もう安心していいからな。もう大丈夫だよ」
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「----毎日。ご飯食べられるんですか?」
王太子様はまた私を抱いた手に力を込めた。
「食べ物も着るものも、全部大丈夫だ。毎日お風呂に入って、温かいベットで眠るんだ」
「-----そんなこと、毎日?いいんですか?」
「ああ。もちろん下女の仕事などしなくて良い。----そうだな少しずつ勉強をしよう。ダンスとか、マナーとかな」
「-----それじゃぁ、お姫様みたいです」
「お姫様なんだよ君は」
その日から、私とロディは正妃宮で一緒に暮らし始めた。
すっかり栄養失調になってたらしく、正妃宮の食事を喜んで食べた後は、数分もしないうちに全部吐いてしまった。その後、やわらかく煮た野菜やパンガユを少しずつ、でも一日に何度も食事が出た。
「初めは胃を慣らさないといけなかったわね。ごめんなさいね、そんなことすら気がつかずに」
そう言ってくださったが、何を謝られているか分からなかった。こんなおいしい物を一日に何度もくれる優しい人が何を謝っているのだろう。
その後、私は一人部屋をいただいたのだが、夜中に泣き声がすると言われた。自分でも分からなかったが夢を見ているらしい。
それからは泣き声が聞こえるとロディが一緒に眠ってくれたり、さみしかったり怖かったりすると私がロディのベットに行ったりしていた。
暖かい部屋、おいしい食事。優しい人たち。
私はどんどん元気になって行った。
少し経ってから、何故あの時、扉の前の隅ですわっていたボロボロの私を、リディアルナだと分かったのかロディに聞いたことがあった。何しろあの時はもう髪はバラバラのぼろぼろで、ガリガリに痩せて自分で鏡を見ても分からないかもしれないと思うくらいだったのだ。
するとロディは何でもなさそうに言った。
「俺がお姫を間違えるわけないじゃん」
後宮に向かう道。
ふいに思い出した言葉。
ロディは私を間違えない。
「ダリア様。----私の護衛がここにいると言うのは嘘ですよね」
足を止めて、ばーちゃんを抱きしめて睨むように言う。
軽率だった。
エド兄様と離れるべきじゃなかった。
「いいえ、王女サマ。この中で貴方を待っておりますわよ」
「うそです。----私は魔術塔に参ります」
そう言って、踵を返す。
「----素直に来てくださった方が身のためだと思ったのですが、仕方ありませんね」
「私は魔術師です。力づくでは動きませんよ?」
「では少しお話を聞いてくださいませ。----」
その言葉を合図に、ダリア妃の部屋からレオダニス兵が複数出てきた。
全員武装している。
学習しない人だな。王宮内はイージスで守られている。
その剣が私達に届くことは無い。
「ブルーローゼスで、魔法金属が見つかったと同じころ、レオダニスの王都の近くに山が不自然に崩れ、中からこんな石が多量に発見されたのですわ」
そう言って、乳白色で光沢のある丸みのある石を見せる。
「不思議ととても軽いのですのよ。王女サマにも、きっとお気に入りいただけると思いますわ」
そう言ったかと思うと、周りの兵士が私の周囲にその石をばらまいた。
「--------?」
「魔術師は力では動かない---、でしたかしら?」
周囲の兵士が距離を詰めてくる。私は守護魔法陣を強化した-------はずだった。
「え-------?」
兵士たちは、その白い石を棒状にしたものを持っていた。
その白い石が体に当てられ、その度に身体から力が抜ける。いや、抜けていくのは魔力か-----
ばーちゃんを抱いている手にも力が入らなくなる。
それでもばーちゃんは私にしがみついて離れようとしなかった。
「吸魔石、と呼んでおりますのよ。良く効きますでしょう」
「そんな、----こんなことが」
「例のものを---」
兵士が手錠の様な物を持ってくる。違う。アレは手枷だ。
その兵士が私に触れようとした時、バチッと弾かれた。
「え?」
「----忌々しい、魔道具でも持っておるのだろう。足にでもしておけ」
今の反応はイージスだ。でも私はイージスのペンダントは持っていない。城内のイージスが反応した?それにしてはタイミングが微妙だし、そもそも城内のイージスの守護対象に私は入っていない。剣などの凶器でない限り反応はしないはずだ。
白い石で抑えられ、引き倒される。片足のヒールが脱がされ、足首に枷が付けられた。鎖が付いていてその先には大きな白い石が付けられている。
これではまるで囚人の-----
「何のおつもりですか!! レオダニスでは花嫁を枷につなぐ風習でもあると?!」
「素直に着いて来た方が身のためだとは、言いましたわ。-----服や装飾には触れないように。どれが魔道具か、分かりません。このまま運びます」
ダリア妃がそう言うと、兵士の一人が私を抱えあげようとして、またイージスが発動した。
「ちっ 厄介ですわね…… 仕方ありません、あれを---」
そう言われた兵士は、白い石が数珠状につながったものを持ってきて、私をばーちゃんと一緒にぐるぐるに巻き始めた。
「なっ 何を---」
「きゅー…」
「吸魔石のロープ、でしょうか?貴女にはそのくらいしないと大人しくしてくれないのでしょう?---さ、運び出して」
今度は抱えあげられても何も起こらなかった。
そして私も、全身の力が抜けたように、指一本動かすことは出来なかった。
ばーちゃんも何だかぐったりしている。
そのまま王宮の外に連れ出される。
初めから全部計画していたんだ。王宮の外には大型の馬車が待機していた。
御丁寧にも馬車の中にも白い石が敷き詰められている。
「----嘘……」
「嘘でも冗談でもありませんわ。貴女はこれからレオダニスへ行くのです」
「いやっ…! 嫌です!!兄様!ハルト兄様!!------ロディ!!!」
「もう遅いですわ、貴女はこのまま私の国に御招待いたします」
「いやですっ!----ロディ!ロディ―――!!!」
え?
待て待て待て。
これって、奴隷落ちエンドって奴?
期限は卒業パーティじゃなかったんですか?
それともコールド負け?!
いーや―だ----!!!




