誕生日
決して、仲がいい、とは言えないふたりだった。
非常に幼いころなら話は違ったかもしれないが、私たちが生まれ、私が物心ついたころにはかなりの頻度で口喧嘩ばかりで、時には机をひっくり返すほどだった。
それでも、週に一日しかいない父に代わって、私たちを育ててくれたことを覚えている。
毎日、私たちの食事を作り、洗濯をし、仕事をして、私たちを寝かしつけて、気を緩ませることなく日々を過ごしていたことを知っている。
運動会も、家庭訪問も、授業参観も、忙しいさなかに時間を作ってくれたことを知っている。
喘息で入院し、それでも祖母に私たちの心配をしていたことを知っている。
いじめられ、不登校になった私を毎朝、学校まで車で送ってくれたことを覚えている。
何も言わず遅くまで遊び、心配のあまりはたかれた頬の痛みを覚えている。
びしょ濡れにされた教科書、上着、鞄。それらを遊び半分の悪意で実行した同級生たち。見て見ぬふりをして私を生贄にした教師たち。
それらのことを学校から知らされて、それでも学校に来てくれないかと、成績と保身ばかり考える教師にふざけるなと、泣きながら怒鳴りつけた背中を覚えている。
休みたいならそういいなさいと、休んでも別に構わないと、しばらくサボっていた学校から連絡されたときにそう、言われたことを覚えている。
決して、仲のいい家族ではなかったけれど、仲の悪い家族でもなかった。
少なくとも末っ子の私が成人するまで離婚を待っていてくれたし、今でも朝一番のメールでおめでとうと祝ってくれる。
今年のプレゼントは、使い勝手のよさそうなカーディガン。
もう孫はいるから、結婚するもしないも好きになさいと言ってくれるその、自分よりずいぶん小さく、白髪の増えた背中に、いまだ甘えていることを知っている。
まだ、子供でいたいいなら子供でいなさいと、違う苗字になり、住む場所も離れ、母ではなく女として生きるようになっても、やっぱり、母は私の母だった。
離婚して、そのとき捨てられたのだと思ったその瞬間を忘れることはない。
実家から離れた場所に居を構え、ほとんど寄り付かなくなったことを、寂しく思う時もある。
それでも、私は生まれなければよかったと、思う時はない。
人がすべて化け物のように恐ろしくなり、死にたいと思う時はあっても、実際、死のうと実行することはない。
父と結婚したのは間違いだったと嘆息交じりに、けれど、私たちを生んだのは間違いとは決して言わない横顔に、確かに愛情を感じていた。
おかあさん
いまだ、面と向かっては言えないけれど、今日この日だけは。
いつか、あなたに言いたい。
数十年前のこの日におなかを痛めながら私を生み、虐待することも、捨てることも、殺すこともせずに、一人前に育ててくれた、感謝を伝えたい。
きっと、イラついたこともあったろう。
ノイローゼになったこともあったかもしれない。
祖母がいなければ、もっとどうしようもない人間になっていたかもしれない。
それでも。
それでも、おかあさん。
あなたがいるから、私がいる。
生んでくれて、ありがとう。
私にとって、親、というのは母のほうが印象深いです。
父だっていいところはあるのですが、やっぱり、母のほうが親なんですよね。