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三日目 彼女のいる、一人の世界

 そして朝はいつものように来る。その朝がどういう形であれ。

 手早く着替えをすませて部屋を出る。

 彼の考えはたった一つだ。

「一度、街へ行ってみよう……」

 そして、彼女を探すのだ。

 バスに乗って中心街へと向かう。

 幹線道路には車が溢れかえり、バスはしばしば、信号に足止めを喰らった。

 この世界がまともな世界であることの証拠だ。

 全てを気にしなくていいのは、全てがない世界だけなのである。

 そうこうしているうちにバスは橋を越え、中央街が見えてくる。

 店は開いている。

 オフィスにも人がいる。

 そもそも街中を人が歩いている。

 夢でない証明。

 バスはようやく駅前に到着し、彼は街へと足を踏み入れる。

 やはり、世界は全て元に戻っている。

 街は人に溢れ、車に溢れ、音に溢れている。

 高架の駅にも、当然のように大勢の人が行き来している。

 これが、これこそがこの街の本当の姿。

 街も同じように普通の日常がある。

 まずは駅前のコンビニに入り、彼女の姿を見つけようとする。

 あの世界では、ここで初めて彼女の形跡を見つけたのだ。

 だが、当然ながら今はなにもない。

 普通に店員がいて、普通に店があるだけだ。

 書き置きなどあるはずもない。

「紅茶とチョコレートを買っていったお客さんはいませんか?」

 そんな質問をしたところで、店員に答えられるはずもない。

 彼女の形跡など、なにもありはしないのだ


 彼はあの時と同じように、商店街の方を見て回ることにする。

 あの時は人を探したが、今は世界は探すまでもなく人に溢れている。

 商店街のアーケードから光は漏れ、その下には人々が当たり前のように歩いている。

 これが、街の元の姿だ。

「やっぱり、人はいるか……」

 その光景に、彼の心には、安心感と同時に、不安や恐怖にも似た感情がよぎる。

 誰かがいるということは、自分もまたのその中の一人なのだということである。

 それは自由を失い、社会の中の一人であるということ。

 それは当たり前のことなのだが、あの世界に浸食された心が、ざわざわと叫き立てる。

 自由でありたい。

 自由でありたい。

 自由でありたい。

 思い出す、彼女を手にかけた理由もそれだった。

 だが、それでも自由など存在しない。

 この世界に、自由はないのだ。


 彼は街を当てもなく彷徨っていたが、彼には一つだけ想いがあった。

 彼女にもう一度会いたい。

 いや、本当のことを言えば、彼女にはもう会いたくはない。

 だが、その一方で、彼女が生きていることを確認したかった。

 彼女が生きていれば、自分も赦される。

 そう思うのだ。

 それが身勝手な妄想でしかないことは、充分にわかっている。

 自分の罪が消えることなど無い。

 それでも、彼女が生きていれば……。

 彼女の家に行くこともできただろう。

 彼女の大学まで行くことだってできるはずだ。

 だがそれをしてしまうと、全てが壊れてしまう気がする。

 彼女とは、あの時と同じように街で偶然出会わなければいけない。

 彼は、そう考え、そう願い、そしてその時は来た。

 商店街を抜け、中央の国道に抜けたとき、彼はついに、捜し続けた人物を見つけた。

 彼女は、その片側三車線の国道の反対側で、あの誰もいない世界と同じように信号が変わるのを待っていた。

「いた……」

 息を切らしながらも、彼は思わずつぶやいた。

 嬉しいのか。

 怖いのか。

 哀しいのか。

 寂しいのか。

 今まで迷っていた感情は、彼女という現実を目の前にしてなお、混沌としたものになっていた。

 答えなど出ない。

 ただ今は、目の前の現実を受け入れなければならない。

 彼は信号を渡り、国道を横断し彼女の元へと歩いていこうとする。

 その時、車のけたたましいクラクションが鳴り響く。

「なんだお前!死にたいのか!!信号赤だろうが!!」

 彼は驚いて飛び退き、その前を車が走り過ぎていく。

 そうだ、この世界は、普通の世界だ。

 こんな車通りの多い道で信号無視をすれば、命も簡単に消し飛ぶ

「……」

 信じられないという表情のまま彼女は彼を見ている。

信号が変わって、彼はようやく彼女の元へと歩いていく。

「……」

 彼は彼女の前まで来たものの、なにも言葉が出てこなかった。

 彼女を探してはいたが、彼女と出会ったときのことなど、微塵も考えていなかったのだ。

「……相変わらず、信号無視したわね」

 沈黙の後、何かを決意したかのように、彼女は冷たい口調でそう言った。

 あの時とは違い、彼には返す言葉もなかった。

「……やっぱり、夢じゃなかったのね……」

 彼女は静かに、ただ静かにそう言った。

 その言葉で、彼女もまた、あの世界にいた彼女であることが証明される。

 ということは、彼女は、彼が殺めた人物なのだろう。

 これが、この彼女との本当の初対面であるが、それと同時に、あの世界で出会った彼女なのである。

「……」

 彼は相変わらずないも言えない。

 言うべきこと、言いたいことはいくらでもあるはずなのだが、言葉にすることが出来ない。

「……」

 彼女もなにも言わない。

 二人はただ、沈黙したままそこに立っていた。

 それでも、街には音が無限に存在している。

 二人の姿を見て、なにかを思う人物さえいる。

 彼らが出会った世界とは、なにもかもが異なっている。

「……ここで立っていてもしょうがないわ、もう少し落ち着ける場所へ行きましょう……」

 彼女の切り出した言葉に従い、彼もそのあとに着いていく。


 彼女が向かったのは、向こうの世界の時と同じ公園だった。

 あの時と同じベンチに座るが、世界はやはり、あの時とは全く違う。

 公園では子供達が遊び、周囲ではその親たちが談笑しあっている。

「……」

 公園に来ても、二人は互いになかなか話を切り出せなかった。

 殺した人間と殺された人間。

 これ以上に気まずい関係などあるだろうか。

「……結局あなたは、こちらでも同じようなことをしているみたいね……」

 先に口を開いたのは彼女だった。冷淡で棘のある口調。

 堰を切ったように、彼女はさらに責め立てる。

「あの世界ではあんなに強気だったくせに……、笑えないわ。こちらではあなたのいう自由で、事故に遭いそうになってるのね。まったく、あのまま轢かれていればよかったのに」

 どこまでが冗談か本気かわからないほど、その言葉は鋭かった。

「あっちの事は関係ないだろ! 僕に死ねっていうのか?」

 彼は怒りにまかせて言うが、彼女は彼よりもさらに怒りの貌で彼を睨む。

「……ええ、そうよ。あなたなんか死ねばよかったのよ。……あなたは人殺しよ? 向こうの世界で自分がしたことを忘れたの?」

 彼とは対照的に、彼女は静かに、氷のような言葉を投げる。

「……」

 彼はなにも言い返せない。

「あなたはいったい、なにをしにこちらに来たの?」

 彼の心の、さらに奥を睨むような彼女の言葉。

「僕は、君を探してたんだ!」

 耐えきれず、彼は思わずそう叫んだ。

 だがそれで、その場の空気が一変する。

「なんで、なんで私を探しているの……」

「それは……」

 彼はなにも言えなくなった。

 彼女が震えている。

 怒りではない。

 それは恐怖からだ。

「……」

 なにも言わないが、その目は明らかに怯えている。

 その目に、彼は自分の言葉、そして行為の意味を思い知った。

 自分は、彼女の命を奪ったのだ。

 それがどれほどの罪であり、彼女にとってどれだけ苦痛で、恐ろしいことだったのか、彼には想像もつかない。

 死。

 それは、あらゆる最期。

 全ての終わり。

 その、想像を絶するような恐るべきことを、彼は彼女に与えてしまったのだ。

「……」

 自分の行為。

 自分の意志。

 自分の結末。

 彼女は、自分をどう見ているのだろうか?

 それを考えただけで、彼はあの世界での出来事に対しての後悔と恐怖がわき上がる。

 二人は再び沈黙する。

「……私、もう行くわ……」

 彼女はそれだけ言って、ゆっくりとベンチから立ち上がる。

 彼は何も言えず、その背中を見送るしかなかった。


 部屋に戻ってくる。

 ずっと、彼女の恐怖の表情が消えない。彼はただ、自分の行為が怖かった。

 むこうの世界での、彼女の最期の顔。

 こちらの世界での、彼女の恐怖の顔。

 自分は、一体彼女になにをしたのだろうか。

 いや、わかっている。

 自分は彼女を殺した。

 それが人としてどれほどのことかは、理解している、……つもりだ。

 しかし、それでも、彼には彼女の気持ちなどわかるはずがない。

 彼は殺した人間で、彼女は殺された人間。

 その溝を埋めることなど不可能だ。

 だが、だがそれでも、彼は救われていた。

 彼女が生きている。

 そしてそれと同時に、今自分の出来ること、自分がしなければならないことを思い知る。

 自分はまだ、彼女に対してなにもしていない。

 だからこそ彼女に謝らなければ。

 謝るだって?

 一体何をすればいい?

 彼女を殺したのだ。

 どうすればいいのか?

 どうすれば赦されるのか?

 答えなど出るはずはない。

 罪は、重い。

 だが、だがそれでも、迷いながらも、なにをすべきかを見つけることさえできないままながらも、彼は彼女にもう一度会いたいと思った。

 夜の闇の中、彼はただ、彼女のことを考えていた。

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