捌――憎悪の平行線
『少しやりすぎじゃないか?』
インカムから我久の呆れた声が聞こえた。
還崎哉江は無表情のまま、辺りを見回す。転がっているのは死体が三つ……周囲に軋轢魔法の死体以外の人影は存在しない。
「問題ありません、周辺住民の避難は済ませてあります」
『それにしてもなあ……』
我久はモニターから今の状況を見ているのだろう。
哉江が拳を振り下ろした場所はクレーターができている。その中心に倒れている人間の顔があった場所から火柱が立っていた。否、顔があれば顔と表現するべきだろうが、この場合は、顔は存在しない。哉江の、魔道アーマーにより強化された拳は岩盤をも打ち砕く必殺のモノ。人の顔が原型を留めているはずもない。
『反応がまだ四つある。特に大きなものが北北東方向で確認され――そう、か。分かった……了解した」
「どうしました?」
『ん……いや、な。軋轢魔法の発動を確認したんだが、その付近でレニエスの信号がロストした。その後死亡が確認されたようだ』
レニエスとは哉江と同じ班に所属する少女の事だ。
母を軋轢魔法のせいで殺されてしまい、その復讐に魔術師になったらしい。
自分も似た様なモノだと思い特に気にしなかったが、やはり、仲間の死は辛い。
そして、仲間を殺す、罪のない人間を殺す軋轢魔法がとてつもなく憎い。
『還崎』
「問題ありません、作戦を続行します」
深呼吸を一回。
ざわつく心を落ち着かせる。
「――――っ」
耳を割る程の空気振動に顔をしかめ、哉江は斜上空を見上げる。
紫電を纏う一機のミサイルを見据え、ふっと笑みを零した。戦う事への嬉しさではなく、今の哉江の心は軋轢魔法を三人殺した事で高揚していた。これからまたそれが始まるのだと思うと感情が抑えられない。これがよくないモノだとは頭では理解しているが、アリを踏みつぶす事を喜んで誰が彼女を咎めようか。
「戦闘を開始します、手部及び腕部装甲のリミッター解除許可を」
『分かった、リミッター解除許可を出す。死ぬなよ」
「はい」
ゼロ距離にまで迫った一機のミサイルを振り向きざまの裏拳で爆砕する。
装甲を破壊する為に作られたソレは対象へ被弾した事で大爆発を起こすも、哉江が右腕を横に振るだけで粉塵も爆炎も全て吹き飛ぶ。
そして、それに合わせたかのように、空気を焼き切る電撃が舞うような音と共に目の前に一人の少女が現れた。
長い黒髪をたなびかせ、優雅に歩くその姿は、憎むべき敵ながらも畏怖せざるを得ない迫力を感じさせる。
「さすがは『洗礼教会』のエリート様ですわねぇ。今の一撃で無傷とは」
「くだらん。資材の無駄だな」
「ふふ、やはりつれない方ですわねぇ」
哉江の前方二メートル程前に立った少女は、メルシィ・クレンドロスは笑った。いや、常に笑っていた。
両手の先から肩まで唸る紫電を纏い、一際目立つのが背中のバックパックの周りを浮遊する四枚の漆黒色の円盤。円盤からも同じく紫電が舞う。
上半身の装甲はスクール水着型装甲のみで、脚部装甲はブーツ型。簡単に言えば両腕に電撃を纏ってスク水を着たままブーツを履いてる黒髪の中学生だ。
極地戦闘用の魔道アーマー、と哉江は理解した。
「まあ、この惨状なら十分極地に値するかもしれませんねぇ。まあ、あなたのその凝り固まった考え方も十分極地に値するでしょうけど」
「御託はいらない」
「あらあらあら、煽りは効きませんか」
様子見、といった感じに哉江は足元の手近な小石を蹴とばした。
先の徹甲弾と同程度の速度でその石はメルシィの元に音速で飛ぶが、着弾する寸前、メルシィの腕の周りの紫電が周囲に展開され、壁となり無傷。
紫電の役割は金属物に対するメタだろうか。『礫祭同盟』には『洗礼教会』が開発する魔道アーマーの技術や情報が流出していると聞いていたが、恐らくそれらを利用し、教会製のアーマーにのみ作用するようになっており、それによってアーマーを機能ごと停止させる作戦、だろうと哉江は推測する。あれは人体に影響はあるのか。あるとすればメルシィの体にのみ当たらないように調整されているはずだ。その間を縫い、拳を叩き込めば後は済し崩せるだろう。影響のない場合はアーマーなど関係なくただ殴ればいい。
そう、結局はどちらでもいい。ただ殺せればそれでいい。
メルシィが動き、哉江は身を強張らせ臨戦態勢へと移行する。
そして、哉江に相対する張り付いた笑みの少女は、真っ黒な指ぬきグローブをはめた右手を哉江に向け、軽く腕に力を込める素振りを見せた。
「――――――ッ!!」
メルシィの背中の円盤が空気を振動させる様に高速回転し、その周りを舞う紫電が一層激しく唸り始める。空気を焼き切る音が強くなりそしてその現象は起こった。
「あなたは私の事をただの軋轢魔法と同じだとお思いかもしれませんが、それはとんだ間違いです。あなたも魔道アーマーの意味はご存知でしょう? 体への負荷を抑える為、そして魔術の暴走を抑えるリミッターの為、もう一つは重要です、軋轢魔法を殺す為」
耳をつんざくモスキート音が辺りに響き渡る。
音響兵器。
聴覚をひき潰されるような感覚に耐え切れず、哉江は膝をついてしまう。肉体的な痛みに対してなら、ともかく、間接的な痛みへの体制はそれほど強くないのだ。
「破壊を齎す存在を殺す為にはそれよりも大きな破壊を生み出さなくてはいけませんね? 所詮はヒトの考える事です、目には目を歯には歯を破壊には破壊を。あなた達は破壊を以て破壊を殺そうとしました。無論、破壊に抵抗した様に更に大きな破壊には私達も抵抗しないはずがありませんよね?」
耳を塞いでいるはずなのに、耳を引き裂く様な音が響いているのに、メルシィ・クレンドロスの滑らかに透き通るような声は不思議とよく聞こえた。恐いほどに、まるで耳元で囁かれているかの様に。
「あなた達が魔道アーマーと言う物を作りだし私達を越える力を手に入れたのなら、それを越える力を私達が手に入れるまでです。そこで私達はあなた達と同じ事をした、と言う訳です。私達もアーマーを着る事によって更なる力を手に入れる。こんな風に、ね?」
インカムから我久の叫び声が聞こえるが、何を言っているのかは分からない。
そしてメルシィは前に突き出した右手で、空を掴む様に握り締めた。
モスキート音の音量が増加する。どこかの装甲にひびの入る音が聞こえた。このままでは全武装は音響兵器に破壊され、同時に体の機構も破壊されるだろう。
脳が、直接揺らぶられる様な感覚だ。このままでは本当に壊れてしまう。
そうなれば叶わない。叶わぬままに終わってしまう。
そんな事が許されるはずがない。私がお兄ちゃんともう一度平和に暮らす世界を形作る為の正義の行いを、戦いを阻害する事など誰にも許される事ではない。
「ぐ、ぅぅッ、あ、ぐ――――――」
「私も含めた人間は皆愚かなものです。力には力でしか返せないのですからね」
「う……」
「はい?」
歯を食いしばり、拳に力を籠め、何とか両脚で立った。
この前の、殺し損ねた軋轢魔法の気持ちが少しだけなら分かった。
だが、
「違う、お前達は人間なんかじゃない……お前達などと、一緒にするな!! 私達はお前達などとは違う、皆の為に戦っているんだ!! 世界に破壊を撒き散らすお前達怪物を殲滅する為に!!」
「たとえそれが、自分基準な復讐の塊であったとしても……?」
「それで、誰かを守れるのなら、それは正義だ。誰かの復讐を、お前は否定し得るだけの立場にあるのか」
「おやおや」
小さくSekhmetと呟いた。
耳という感覚を体から消す。無論実際にそんな事はできるはずもないが、精神を研ぎ澄ませ、自己暗示を極限まで高める。耳はないものだと錯覚させ、耳障りな音を聞こえなように、否、聞こえていないとすら自らに錯覚させた。
「そろそろ、効果が薄くなってきましたかね……」
「ふ――――――」
小さく息を吐き、距離を詰める。
敵の陳腐な妨害など打ち砕けばいい。くだらない思想など打ち砕けばいい。たとえいなされたとしても、自分と相手が生きている限り、いつでも憎むべき敵を殺す事ができる。それでまたお兄ちゃんに会えるかもしれないのだ。だから、絶対にこの拳を止める訳にはいかないのだ。
メルシィは音速で飛来する哉江の拳をほぼその場から動かずにかわす。情報によればメルシィ・クレンドロスはその場から一切動かずにその場を制圧する戦い方を好むらしい。哉江の、拠点を叩くやり方ではいつまで経っても本体を叩き潰す事はできないだろう。
足場を崩して動きを……いや、移動されてしまえば意味はない。
壁を作り行動を制限しようにも、相手は人を集め国家権力にも匹敵する組織に喧嘩を売るような奴だ、それ相応の魔術的な強さもあるせいで、魔術の有効圏がただの軋轢魔法とは大きく違う。これを狭めなければ魔術による援護も期待できないだろう。
「ふぅ……全く。退屈ですよ? とても」
「何?」
呆れた様なメルシィの声に、哉江はその感情を露わにする。
「あらあら、恐い目をして。まあ、一つだけ言っておきますが。どれだけ考えても無駄な思考の終着点はずばり『無駄』です。その勇敢さはとても尊いものですが、一つ間違っている事は、『勝てる』と思い込んで慢心している事です。『もしかすれば勝てる見込みがあるのではないか……』という甘い考えが、今あたなの思考から、私の前から逃げるという選択肢を消してしまった……そもそも私がこんなに長々と喋る猶予がある時点で……ねぇ?」
「き……さまァ!! 軋轢魔法の分際で粋がるなあああァ!!」
明らかにささくれ立った哉江の心を煽り立たせるような言葉だった。哉江はざわつく心を押さえつけようとするが、しかし哉江は、彼女にとっては『殺すべき的』でしかない敵からの助言を素直に聞き入れるような融通の良さを持ち合わせてはいなかった。
故に、哉江の辿る道のりの行きつく先は――『敗北』か、『死』か。
「では、私からもささやかな『復讐』をさせていただきますね? まずは三人の分」
まずい――
そう思った時には既に遅かった。回避行動は全く以て間に合わない。メルシィに向かって真っすぐに駆け出した哉江の体は、その『破壊』によって抉り取られた。
「――”壊廻因果”、ですわ」
呪が紡がれた。
精神の均衡が崩され、またあの音が聞こえてくる。先とはくらべものにならない、物理的に空間を歪ませる音が。
見やると、あの円盤は動いていない。恐らく軋轢魔法だけで引き起こしているのだろう。
「人肉掘削機、のようなものですかねぇ?」
無邪気な少女の様にニコリと笑い、少しだけ首を傾げた。
その言葉通りか、哉江の肢体が何か強い力によって抉られる。体操着型の装甲を突き破り、空間を歪ませたソレはそのまま哉江の柔らかい肉を削ぐ。
あまりの痛みに声は出ない。
「そして、これはリョウナさんの分です」
もう一度メルシィが『”壊廻因果”』と呟くと、その『破壊』は再び解放され、哉江の柔らかい腹を抉り取った。
もう感覚など残っていないはずなのに、腸がなくなる感覚を感じ、何かを吐きだそうとしたが、胃の機構すらまともに動かないほどに少女の幼い体は破壊され尽くしていた。
「ふぅ、アーマーと防壁の加護で風穴を開けるまではいきませんでしたけど、私の仲間のお返しぐらいはできましたかね? 彼女は折れた骨が再生するのに一週間はかかりましたからねえ、あなたにもそれぐらいの報いは受けていただきますね? できれば殺したかったのですが、怒られてしまいますから……。おっと、増援ですか、ではこれにて退散いたしましょう」
そう告げ、メルシィは消えた。
消え入る意識の刹那、兄の姿が、こちらを覗き込む兄の顔が、見えた様な気がした。
軋轢魔法図鑑Ⅱ
壊廻因果
メルシィ・クレンドロスが使用する軋轢魔法。
『全てのモノを破壊したい』という精神に反応して変質した。
対象とした物質や生物を『必ず』破壊する(防御は可能)。物理的な方法で破壊できない場合は因果すらも抉り出し、概念をも破壊する。
故に破壊できないものは存在しないが、反動が大きいのであくまで『奥の手』として使用される。




