漆――破壊を冀う諦念の希望
「世界の……破壊?」
メルシィが『礫祭同盟』と言う組織の中で掲げるモノ、それが『世界の破壊』だった。
あらゆる破壊を人類に齎す存在である『軋轢魔法』を併せて考えると、『世界の破壊』というそれ単体で聞くと陳腐に思えるワードは現実味を帯びて私に確かな恐怖を与えてくる。
そう――私が最も恐れ避け続けてきた他者を傷付ける行為を世界の全てに行うと宣言したのだ。どこかで私の心が締め付けられるのを感じた。
「そうです。私達『軋轢魔法』と呼ばれる他者を傷付けるという理由でしか殺される選択肢しか持たない人間を救済する組織、それと同時にそれを覆す組織でもあります。私達は何の選択も与えられずにただ殺されるだけ……私達だってこの世界に生きる人間の一種であるはずなのに、どうして私達だけが生きる権利を理不尽に剥奪されなくてはいけないのでしょうか。全ての人間がこの世界を保つ為に生活していますか? 誰かを傷付けないように生活していますか? ほとんどの人々がそんな事心の片隅に置いて過ごしているでしょう。多くの普遍的に生きる人々が絶えず他者を傷付けているこの世界で、私達が人権を得られないのであれば、私達は自分達が生きやすい世界を創る為には手段を選びません。そう、だから私達は『世界の破壊』……人類の滅亡を掲げるのです」
熱気の籠る風呂場に響く清涼な少女の声。その逞しくもどこか悲しげに話すメルシィの迫力は鬼気迫るものだった。
しかし、あまりにも、横暴である。
「確かにそうかもしれません。私を信じてくれる人なんて一人もいなかったし、私も誰も信じようとしなかった……でも、だからって関係ない人を巻き込んで、皆殺すなんてのは間違ってます」
私の頭と口はその言葉を言いきった。しかしメルシィはその表情を一切崩す事は無い。不快だと感じなかったのか、それとも感じたが表情に出さなかったのかは分からない。
「それは矛盾していませんか? どうして信用もできない、ましてや一方的に私達を傷付ける人間に憐みなど向けなければならないのです?」
「あなたのやろうとしてる事は……結局、アイツ等と一緒じゃないですか! それじゃあ一方的に傷付けるのはあなたも変わらない。自分達の邪魔になるから排斥しているだけで――
「同じだから、何なのです?」
「っ……」
その表情も、声色も、そして彼女の心中は何も変わらない。何も動かない。私の軋轢魔法は一切発動の兆しが見えない。それはつまりメルシィが、私の反論に対して何の感情も抱いていないという事だ。それはつまりメルシィに、私の心が一切届いていないという事だ。
「私達の……いえ、私の中での葛藤はもう既に終わっているのです。もうこれ以上には何も見出す事はできない。だから私はこの世界を終わらせる為にこの『礫祭同盟』を立ち上げた、それに多くの私と同じ境遇の人々が賛同してくれたのです」
メルシィはその後にも何か言葉を続けようとしたようで、何故か少し逡巡した後に口を閉じた。
「ここまで言えば、分かるだろ?」という意思表示なのかもしれない。「お前が何を言っても何も変わらない」、という旨の。
「……無理に飲み込もうとしないでください。私の言葉が口に合わないのであれば吐き出せばいい。苦手な食べ物を無理に食べようとする必要はありませんわ。あくまで私の考えです。あなたはあなたで自分の生きる道を考えればいいのですよ」
打って変わって優しい声色に戻ったメルシィは最後にそう付け足し、再びメルシィは腰を落とし湯船に浸かった。
もう私に言葉の弾丸は残されていない。何も言えなくなった私はただ俯いてこの場から立ち去るタイミングを窺っていた。だが、それでもこれだけは言いたかった私の心は、私の理性を無視して言葉を発した。
「それでも……それでも私は、この力で、殺すのではなくて、誰かを守りたいです。私は」
確かな強さを籠めて。
メルシィの顔は見えなかったが、恐らく笑ったのだろう。嘲笑ではなく、優しく。
「忘れないでくださいね、その気持ちを」
水滴が、水の張った洗面器に一滴だけ、落ちた。
「おう、百合三人衆、どうだった、何をしたんだ」
「うるさい変態!! そうだメルシィさん、コイツってばしつこくセクハラ発言をしてくるんですよ何とかしてくださいよ」
そう言えばと思い出したようにクレームをメルシィに。
苦笑しながらメルシィが答える。
「ええ、私も還崎君の言動には流石に引いています……」
「俺に味方はいないようだな」
「おう四人とも。早速だが風呂上りにはコーヒー牛乳だ!」
おっちゃんがテンション荒げてそう叫び、コーヒー牛乳が入った瓶をカウンターの上にドン!! と三本置いた。
「おっす、いただきます」
「い、いただきます」
「いただきますね」
「これがコーヒー牛乳……初めてかもしれない」
私とセブン、洋、メルシィがそれぞれ手に取り紙の蓋を開ける。
コーヒーの香ばしさと牛乳のミルキーな香りが混ざり合ったコーヒー牛乳のあの香りが鼻腔をくすぐる。
腰に手を当て、一気に飲んだ。
「ぷはぁ!! コーヒー牛乳ってこんなにおいしいものなのね!!」
早速私は飲み干した。ずっと昔テレビでこんな光景を見た事があってずっと飲みたいと思っていたが、ようやくそれが叶ったと思うと、ほんのちょっぴり嬉しかった。
と、どうかしたのかメルシィが顔を私の顔に近づけると、その綺麗な指で私の上唇を優しくなぞった。
「あら、ここ、付いてますよ」
「ふぇっ!?」
「おいおいマジかよ」
唇の液体を綺麗に取り、指先に付いたそれを綺麗に舐めとった。わざとらしいほどにエロく。
「あ、あああああの!!」
「あらあら、女の子同士じゃないですか」
メルシィは笑うが、私の鼓動はビートを刻みまくったまま止まらず息が止まりそうで声が出ない。
なんというか……今気が付いたのだが、もしかしてメルシィって百合なのではないだろうか?
「流石は百合のメルシィ様だぜ……」
「お黙りなさい変態男」
「俺なんてまだまだ変態の域には達していない。俺が変態などと、本物の変態に失礼極まりない」
「しらんがな」
決してテンションの高いものではなかったが、メルシィの放った『知らんがな』のツッコみの通常時のメルシィとのギャップに感銘を受けた。それと同時に洋の趣味に驚きを隠せずに今までのお返しとして思いっきり馬鹿にしてやろうかと思った、その瞬間だった。
腹の底に深く轟音と共に地が揺れ、私の心がチクリと痛みを発した。
とても、とても強く深い……『憎悪』を感じた。
「お嬢、お楽しみはそろそろ終わりのようだぞ?」
「分かっていますわ。統領」
おっちゃんの事を統領と言った事も気になったが、今はそれどころではないようだ。
いや、それどころではないという表現では易し過ぎる事態なのかもしれない。
「厄介な時に来ましたわね……今のは私達を狙ったものではないでしょうから、恐らくまだこちらには気付いていないはずです。今の内にここを離れます。還崎君はリョウナさんと、セブンはここからすぐに本部に戻ってください」
メルシィの言葉を号令とし、洋も動く。
「ちょ、ちょっと!!」
「ほら、行くぞ」
「きゃあッ!?」
間髪入れずにお姫様抱っこされ、訳も分からず情けない悲鳴を上げるが、意に介さず洋はそのまま外に飛び出す。
外に出ると、それほど遠くもない場所から火の手が上がっていた。
そして、不自然なほどに人がいない。さっきまでまばらだが何人かはいた通行人が一切いなくなっている事に気が付いた。
「もしかして、軋轢魔法……!?」
「いや、あれは教会の奴等がやったんだろうな」
それだけ言うと、すぐさまそれを背に洋は走り出す。
「教会って何なの!?」
「リョウナも会った事あるだろ。ほら……あの時の、俺がリョウナを助けた時にお前が戦って女の子とかが所属している組織だよ」
そう言えば、その少女は何も言わなかったが、その周りにいた機動隊がそんな事を言っていたような気がする。
「何か知らんがでっかい権力を持ってるらしくてな。俺達に対する殲滅作戦もそこが指揮を執っているらしい。んで、時々そいつ等と激しい戦闘になる時があるんだが、今日がその日だ」
「そう……なの、ね」
恐らく、先ほどメルシィが言っていた『世界の破壊』を成す為には必ず必要な事なのだろう。自分達を虐げる力には、それと同じかそれを上回る力を持って相手を斃す。
何故、何故メルシィはあそこまで強い意志を以って全てを否定しようとするのかが、私にはどうしても理解する事はできなかった。しかし今はそれどころではない。
「メルシィさんは!?」
「アイツなら大丈夫だ。言ってただろ、世界の破壊を目指してる組織のリーダーだぜ? そうそう簡単には死なないだろ」
あまりに適当な物言いではあったが、それだけ信頼しているという事だろう。
風を切り、洋は走る。
軽く一キロ以上は走っただろうか。ここまで来れば……と呟き、洋は足を止めた。
刹那――
「洋!! 後ろ!!」
丁度洋の死角になる様放たれたその斬撃は、丁度、洋の首を切断し、抱っこされている私をも殺す角度で飛来した。
――私の心はざわついた。
このままでは、二人共死んでしまう。
――憎しみを感じた。
とてつもなく深く、強い憎しみを。リョウナに対しての憎しみを感じた。
――私の心は、波立った。
そしてフラッシュバックする『あの時』の感覚。大きな街を一つ飲み込んで壊滅させたあの時の現象、そしてあのメルシィの言葉。
私がまたそれをしようとする事を私は心の中のどこかで拒否しようとした。
だがそれが留まる事はなく、勝手にそうしようとするのだ。
勝手に……? 本当にそうだろうか? 今の私は何をしようとしている?
私は……洋を助ける為に、自分の意思で破壊を行おうとしているのではないか?
――ざわついた私の心は、私の頭の中に一つの単語を刻み込んだ。
破壊を齎す破壊の呪文。
「”軋轢魔法”ッ――!!」
咄嗟にそう叫んだ。
視力も聴力も嗅覚も触覚も味覚も……あらゆる五感が消え去った。そして、第六感で初めて『死』を実感する。
私と洋の周囲が真っ白に染まり、私の体はまるで風船の様に洋の両手から宙に浮いた。両足でゆっくりと地面に降り立ち、辺りを見回した。
「リョウナ……お前……」
何もなかった。
私と洋の周りにあったものは、約半径五百メートル全て吹き飛んでいた。何もかも、たとえそれが人の命であったとしてもだ。
円を描く様にして何もない白が広がっていた。まるで元在ったモノは全て石灰になったかの様だった。
これが、軋轢魔法。
ヒトの憎しみを糧とし破壊を齎す存在。
それは爆発などという陳腐な現象ではなく、消滅と言う名の破壊だった。
「あ、ああ……私が、私がやった……? いや、だ。いやだいやだいやだいやだいやだ……」
そう、あの時とは違う。
紛れもなく、私は今、私の意思で、誰かの命を奪ったのだ。奪った数など関係ない。自分の意思でそれをやった事を、私の心と頭は理解しようとしなかった。
と、瓦礫の中に埋もれる何かが蠢いた。
人だ。
「まだ、まだ生きて――」
私を殺そうとした時の少女と同じくらいの年の、パワードスーツを着た少女だった。
しかしその眼は、軋轢魔法を、何より私を、酷く憎んだモノだった。
「絶、対に、殺、してやる……母さん、の為に……かた、きを」
「ぃ、ぁ――――――」
「ご、ぼッ
血の塊を吐きだしたその蠢く何かは、ほどなくしてその思い諸共に紙粘土の様に崩れ去った。
「うあ、ぁあ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
結局はこうなるのだ。
どう足掻いたって結局この力はリョウナを、回りの人間を苦しめる呪いだった。
そうする為に生まれてきた彼女は、そう思い、喉が潰れるまで泣き叫んだ。
軋轢魔法図鑑Ⅰ
軋轢魔法
一般的な軋轢魔法。
『ディスコード』の詠唱で発動し、対象範囲の空間に使用者が思い付く中で一番大きな被害を与える破壊的な現象を引き起こす。
特殊な付随効果はない。
この状態から、所有者の精神状態や思想に反応して効果が付随されたり、軋轢魔法そのものが変質したりする。




