参拾壱――好きなモノと、嫌いなモノ。
暗い夜の街に再び足を運ぶ。
既に崩壊し、街という概念を保てなくなった鉄の箱は異様な静かさを持っていた。
伽藍堂と化した街に、まるで私と洋だけしかいない、そんな気さえした。
「気を付けろ、奴等が隠れている可能性もある」
「うん。分かってる」
私は魔導アーマーに身を包み、洋はいつもと変わらず真っ黒なジャケット。
街灯も何もない、月明かりだけの街の中だと本当に闇に隠れてしまいそうなほどに希薄だった。
「なあ、リョウナ」
「何?」
隣を歩いていた洋がふいに私の名を呼んだ。
「もし、もし……だ。全てが上手くいって、俺と哉江が会えて、お前と和解して、みんな一緒に逃げ切れたら……その時は、みんなで暮らそう。誰にも見つからない場所で、俺達だけで」
何を突然言い出すのかと思えば、やっぱり、洋はセンチメンタルなのだと感じて少し可愛く思った。思おうと思ったが、すぐにかき消した。
私にこの感情は必要ない。
「それじゃあ、まるで上手くいかないみたいじゃない?」
「死亡フラグってヤツか? だとしたら、それごと破壊してやるよ。俺達の力はそういうものだからな」
「まあ、それもそうよね」
こんなに心が軽く会話できたのはいつ以来だろうか。
いつも何かに怯えて何かから逃げて、人なんて全く信用できなくて、ずっと殻に閉じこもっていた時の事が懐かしい。
洋達に出会ってからも苦しい時はあった。逃げ出したくなったり、死にたくなる事だってあった。でも、そうしなかったからこそ、今こうして楽な気持ちで洋と会話できている。今改めてそう感じて、とても嬉しくなった。
そうして、今の私を与えてくれた洋や、セブン、メルシィさんに背人、あとおっちゃんに、心から感謝した。
みんなのお陰で私は生きてこれた。
生きて、希望を以てこれからを生き続けられる。
「リョウナ?」
「……ありがとね。私を助けてくれて。もし、洋が私を助けてなかったら……今頃死んでた。もし生き延びても、きっと同じ事を繰り返してただけだったと思う」
そんな事を洋に言うのは恥ずかしかったが、心のダムが決壊して、言葉が溢れてしまう。
「洋のお陰だよ」
「へっ、何を言い出すかと思えばクサい台詞吐きやがって。まあ? それはこっちの台詞でもある訳だ。リョウナがいなければ、俺はメルシィをただ殺したと思ったまま死んでいたはずだからな。リョウナがいたお陰で、俺は今こうして自己嫌悪に押し潰されずに立っていられる。思えば……みんなが変わったのはリョウナが来てからだ。あのメルシィに喰ってかかったんだから、こりゃ何かあるぞと思ったが、まさかここまでとはな」
恐らく、初めてメルシィに出会った直後に入った銭湯での事だろう。
あの時の私は頭までふやけていたのか何故か反論してしまって、自分でも驚いていたっけ。
「懐かしいね……つい最近の事なのに」
「それだけ色々あったって事だよ」
そう、色々な事があって今の私達がいる。
辛い事や、死にたくなる事、全てを投げ出したくなる事も、いかなる希望も絶望も、それら全てが私達の血と肉となっている。
失ったモノは決して小さなものではないけれど、それでも、ここまで歩いてきたこの道が間違ったものではないと、そう思う為にも、私達は歩まなければならない。
信じるモノを胸に抱いて。
たとえその結果が、全ての破壊を招いたとしても。
「なんか、しおらしくなっちゃったね」
「いいじゃねえか、あんまりこういう話できなかったし、この際色々話しとこうぜ。例えば……そうだな、リョウナの好きな食い物はなんだ?」
いつもと違う、くだけた様子の洋を見れたのがとても嬉しかった。
これでいい。この感情だけでもうお腹が一杯、十分だ。
「私はやっぱりハンバーグかな!」
「やっぱり脳みそはお子様だな……」
「なによ! おいしいんだから好きなの! いいでしょ別に。それにね、あなどるなかれハンバーグってのはあれだけ肉や野菜を綯い交ぜにしておいてそれぞれの味がちゃんと出てるの。特に玉ねぎ! 玉ねぎの風味を感じながら食べるハンバーグはまた別のおいしさを感じるわね!」
「お、おお……思ったよりも語ってちょっと引いてるぞ」
「なによー!! そう言うアンタは何か好きなの!?」
「わさび」
「は?」
「わさび。白飯にのっけて食うとうまいよな。わさび」
「薬味をおかずに――ッ!?」
「あんだよ。野菜ふりかけあるだろ、それと似たようなもんだよ」
「違うと思うな……それはちょっとどころかすこぶる理解しかねるわー」
「お前食った事ねえだろわさび! お前の好きなハンバーグにも合うんだからな! なんにでも合うんだよあの『野菜』は!!」
なんて、馬鹿みたいな楽しくて、全部忘れてしまえるような会話をずっと繰り返した。
こんな事はもう二度とないだろう。だから、今この瞬間を楽しみたくて、私達はずっと語り合った――
「はぁ……もう語り尽したわね。『おかずと薬味と空間の歪み』については」
「どんな飛躍の仕方だよ。三つの寿司の内わさびが入ってる奴を当てるゲームをやってもタイムパラドックスは起こらねえからな」
で、ずっと歩き続けている訳だが。
「どう? 何か変化はあった?」
「いや……おかしいくらいに何の反応もないな。一旦体勢を整えに戻った可能性もある。それにしても……誰もいないのはおかしいだろ」
確かに……だ。
街の魂が悪魔に喰われたかのように、一切の生気を感じさせない空虚な箱の中。ほんの少しの恐怖さえも感じさせるほどに、静けさで溢れかえっていた。
割れた窓ガラスの向こうは闇に染まり、色のない信号機は死の概念さえも訴えかける。
誰もいないスクランブル交差点、その中心点はまるで異界。
「いるな……」
ふと、白と黒のストライプを描く魔法陣の中心点で、洋が足を止めた。
その原因は私にでも分かる。周囲のどこからか感じられる殺気。ピリピリと張り詰めた空気が身を強張らせる。肌の痛覚神経さえも刺激する強い感情。これは……紛れもない『憎しみ』だった。
「だが、これは俺に向けての憎しみだ」
「そう、なの……?」
「ああ、恐らく、リョウナが感じている何倍もの重圧を、俺は感じているはずだ」
見やると、洋の首筋には汗が垂れていた。
それほどに、洋が感じている何かは大きい。それこそ、センチメンタルながらも肝の据わった洋でさえも冷や汗をかくほどの何かを。
「俺に、俺だけにこれほどの憎しみを向ける人間を、俺は一人しか知らない。いいや、この狭い世界の中だ。お前なんだろう?」
腕を少し横に上げ、まるで私を制すような姿で一歩前に出た。まるで、これは俺の戦いだとでも言わんばかりに。
「洋……?」
「すまない。本当に、死ぬほど謝りたい。だが、ここは俺が残らなくちゃならないんだ。いいや、敵はきっと、俺を通してはくれないだろう。だから、お前は先に行け。あわよくば、先に終わらせてくれていれば、きっと俺の心も多少は軽くなるはずだ。ああ、きっとな」
少し、ほんの少しだけ震えていた洋の声。訴えかけるようなその言葉で、私は確信した。
ああ、この場は洋に任せようと。
これは洋が解決しなければいけない問題なのだと。
「分かったわ。必ず、会わせるからね」
「ああ……期待して待っている」
その言葉を聴いて私は前に駆け出した。
驚く事に、その殺気はまるで私を意に介さないかのように、私はそれをスルーできた。遠くから見ただけも分かるほどに、洋が立つ交差点の中心点は異様な空気に包まれていた。
洋の無事を祈り、私は自分の成すべき事を鑑みて、噛みしめて、ただ前へ進む。
そうして……数分間走った先で、再び出会った。
鬼神と。
ただ、以前とは様子が違った。
その瞳には光が宿っている。その奥に宿した炎は、はっきりと目に見える。
「どうやら、何かが変わったようね」
「ああ、変わった。私に争う意思はない」
面食らった。
まさか、そんな言葉が飛び出すとは一ミリも思っていなかったからだ。
哉江は、一歩だけ私に近づいた。
だが――
「争う意思はない。ただ、確かめたいという意思はある」
「確かめる……?」
「あの時確かに私はお前に負けた。ただ、あの時の私と今の私は別人だ。私と闘ってくれ。もう一度、本当の闘いがしたい」
もっと面食らった。
本当に鬼神なのではないかと疑ってしまうほどに、この少女は戦う事に固執している……のか?
分からない。何を考えているのか、予想の斜め上をいきすぎていて予測がつかない。
「いや……少し言い方が違った。あの時の事や、今までの事は、これでは済まされないだろうが、礼儀として言わせてくれ。すまなかった。私はお前を信じたい。
ただ――ただ、だ。私は本当にお前を信じていいのかが分からない。だから、拳で語り合いたい。私ができる、最大のコミュニケーションはこれだけなんだ」
「な――」
絶句した。
ただ……こう、そう言われて心の中で熱く燃えるものが、湧き出た気もした。
言葉では届かなかった言葉、それを、拳に乗せて伝えろと、哉江は言っているのだろう。
ああ、だったら望むところだ。
「奇遇ね……私は、拳で気持ちを伝えるのが一番得意よ。ええ、いいわ。だったら、闘りましょう。
思う存分――私の思いを貴方に打ち込むわ」
「感謝する」
闇夜に静かに響く魔導アーマーの駆動音。
それが開戦の合図となった――
@
その異様な空気の中、俺はただ茫然と立ち尽くしていた。
かっこよくリョウナを送り出したはいいものの、内心はここで消えてしまいたい気持ちで一杯だった。
そりゃそうだ。
何故、よりにもよってアイツなんだ。
何故、このタイミングなんだ。
どうせなら、もっと後で、俺が死んだ後に俺の墓を蹴り倒してくれるくらいでよかったのに。それなのにアイツはここに来て、俺に出会ってしまった。
ああ、やはりこの運命は俺すらも呪っているようだ。いいや、この力で彼等を呪った結果が、これなのか。
「人間って、怖いよな。どれだけ他人が許しても、己の心の中に憎しみがあり続ける限り、絶対に許せないんだからな。なあ、亜木山将監」
「その通りだ。私自身、己の内の獣を恐れている。これ以上進めば本当に修羅から戻れなくなるのではないかとすら思っている。ただ、修羅にでもならなければ、この想いは果たせない。なあ、妻子殺しの還崎洋」
忘れたくもない。
忘れられるはずもない。
俺がこの世に刻んだ最初の咎。一生自分をの首を絞め続け苦しめ続ける麻縄を作った、あの時の事を。
俺が最初にこの力で殺した女。
軋轢魔法に目覚め、妹から逃げて、一人で彷徨っていた俺をかくまってくれた、とても心の優しい聖女のような人間だった、アイツ。あの笑顔を忘れはしない。決して俺のせいではないと言って、俺のせいで死んだアイツの笑顔を、一時たりとも忘れた事はない。記憶の中に焼き付けて、これを枷にして生きていくのだと誓ったあの笑顔を……忘れる訳がない。
それが全ての始まりだった。
亜木山将花。
俺の目の前にいる亜木山将監の実の娘だ。
「将花にも、蓮花にも、罪はなかった。なのに、何故死ななければいけなかった? お前にさえ会わなければ、二人が死ぬ事はなかったのだ」
「ああ……そうだな」
「いいや、御託はいらんな。始めようか。私は、ずっとこの時を待ち続けていた。貴様に復讐するこの時をッ――!!」
ごもっともだ。
何も間違っちゃいない。
妻と娘を殺した憎き仇に復讐する。普通の事だ。何もおかしくはない事だ。
ただ……殺したくて殺した訳じゃない。
「だから嫌いなんだよ……人間って奴は」




