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軋轢魔法少女イリーガル・ストライプ  作者: 井土側安藤
幸せになりたい人達
22/37

弐拾壱――貴方の為なら、私の体なんて何度灼かれても構わない

「おまたせ。背人」

「もー、遅いよお姉ちゃん! 何してたの?」

「ちょっと色々、準備をね……」


 あれから二日ほどが経った。

 時刻は23時近く。既に夜中も更けて帳は落ち切った。

 セブンの正体には驚いたが、正直それについてとやかく考える思考的な余裕は今の私にはない。今の私がやるべき事は、背人がやろうとしている『殺人』を遂行し、その上で誰も殺させない事。そう、殺しても死なないようにしなければならない。

 そしてその手段は既に見つけている。


 《パンドラ》――そう呼ばれる魔術の一種。

 発動させる事で人間の感情の中に存在する悪い部分を取り除き、回収する力。

 しかし、魔術師ではない私にそれは完全には再現できなかった。だが、軋轢魔法なら話は別だ。軋轢魔法は使用者の精神性で変質する。この《パンドラ》も、発動条件として使用者の精神性が挙げられていた。共通する特性を持つこの二つを掛け合わせて、限定的だが発動させる事ができた。

 だがそのままでは、ただ悪意を回収するだけになってしまう。

 私が欲しいのは、傷や痛みを私に移し替える力。

 故に、私は『軋轢魔法によって誰かに齎される全ての災いを、自分にかえす力』を作り上げた。


「あれ、お姉ちゃん怪我してるよ。大丈夫?」

「ん、ああ、ちょっとさっき転んじゃって……ははは」


 実を言うと、洋の進行方向にトラップを仕掛けておいて、すっ転んだ時の痛みや傷が私に移るかを試したのだ。見事に成功した。

 しかし、本を見ながらやっただけでこんなに簡単にできるものとは思っていたなかったので、正直驚いてはいる。やはり説明書は偉大である。私は何かを買っても説明書を見ないタイプだったのだが、これからは見る事にしよう。


「ねぇ、お姉ちゃん……手、つなご?」

「え? あ、うん……いいよ」


 いつもの癖で考えごとをしていた私はその言葉で我に返る。

 誰かと手をつなぐ。一体、何年ぶりの事なのだろうか……ああ、こんな感覚は久しぶりだ。小さな手を優しく握ると、温かい手の柔らかさが神経を通って脳へと送られる。肌と肌で感じる人の温もりは、やはり何にも代えがたい。


「お姉ちゃん……泣いてるよ?

「ふぇ!? い、いやそんな事ないよ……なんでこんな時に泣くんだよ」


 だが実際涙は流れていた。感極まっていた。

 だって、こんなの反則じゃないか。

 これから永遠に、私が生き続ける限りあり得ないと思っていた事が、今こうして叶っているんだ。泣くなと言のは無理がある。


「ありがとう……背人」

「?」

「さ、行こうか」

「う、うん……」


 心に何かを与えられたのは背人だけではなかった。同時に私も、背人から私が失った者を与えられていたのだ。



「ここ、ここだよ……」


 郊外から少し離れた並木通りの先、清閑とした住宅地に私達二人はいた。この住宅地に住んでいる中に、背人を傷付けた人間が住んでいる。

 閑古鳥も泣き飽きたくらいに静かな夜の月明りに照らされて、足元を闇で包むアスファルトの上を歩いていた。足音一つ一つが体中に響き渡るのが感じられて、思わず身を強張らせてしまう。この静けさがまるで、私達を捉えようとする蜘蛛の巣の中のように思えてしまうのだ。


「ここで殺す。みんな、みんな……私を傷付けた奴等を、みんな殺そう」


 背人は私と繋いだ手を強く握りしめて、震える声でそう言った。

 そう、それで背人の心はそれで楽になるのだろう。

 自分を傷付けた者を殺し、それで心を落ち着かせる。歓喜を得る。それが復讐というモノだ。

 だがそんなモノで手に入れた心の平穏など……一時的に得られるだけの快感でしかない。あまりにも多くを憎んでしまった背人は、これに飽きたらずにこれからも殺し続けるだろう。

 それはひとえに麻薬だ。

 その場限りの快感を得て、また摂取しなければ発狂してしまう。

 背人の復讐と麻薬は同じなのだ。自分以外が敵に見えるから、心の平穏を得る為にはずっと殺し続けなければいけない。

 そんなものは……絶対に許されない。背人がではなく、そんな状況が許されないし許せないのだ。

 この忌まわしい力を持ってしまった背人は、その方法を殺す事でしか示せなくなってしまった。


 だから私は、その苦しみの全てを受け入れよう。

 背人が受けた傷も受ける傷も、与えた傷も与える傷も、全ての咎をこの身が受け入れよう。


 ああ、こんなものはただの自己満足だ。

 でも、それで誰もが傷付かないのなら……それでいい。


「背人は、人を殺した事が……ある?」

「え? いや……その、まだ無いよ。でも! 今度こそは、絶対に殺すんだ……だって今日はお姉ちゃんがいるから! だから今日は絶対、アイツ等を殺さなきゃいけないんだ!」


 よかった……そうか、まだこの子は誰も殺していない。きっと今まで殺そうとしても、殺せなかったのだろう。

 普通の人は殺したいと思っても殺そうとはしない。だって、自分が殺されたくないから。死ぬのが怖い事が分かっているから。背人はそれが分かっていた。

 ああ……よかった、背人はまだ人間なんだ。

 それが分かっただかでも本当によかったと思える。


 『青芝』と銘打たれた表札の二階建ての家の前。

 背人の手は酷く冷たく、そして震えていた。背人はその過去を詳細に語ろうとはせず、断片的にしか語らなかったが、この『青芝』の姓を持つ女子小学生は、一番背人を痛めつけたという。背人の腕から左半身を覆う火傷の痕も、その少女が先導して付けた傷だとも。

 仕方がないのだ。その少女だって怖かった。だから、仕方がないし決して間違っている行為でもない。彼ら、彼女らにとっては、私達を殺すのと病気を治すのとは同義なのだから。


「私の力はね――『焼き殺せ、壊劫の業火(ホロコースト)』って言うの。今から見せてあげるね、お姉ちゃん」


 そう言って、背人はその呪を紡いだ。


 それは夜空に巨大な赤く燃える文様を描き出し、一軒の住宅を炎で包み込んだ。小さな火が少しずつ大きくなっていくのではない。いきなり、そこに巨大な炎が現れたのだ。

 つまり、今この家の中は突然現れた炎の中で、全てが焼け落ちていくのだろう。

 命も生活の足跡も何もかも、怨嗟の炎に焼かれて灰となって消えていくのだろう。

 そう、本来ならば。


 今この瞬間、私の軋轢魔法は発動している。

 軋轢魔法によって引き起こされた誰かに対しての痛みや傷、それら全ての災いの対象を、私に変えるこの力。

 あらゆる災厄を肩代わりする自己犠牲の力。

 軋轢魔法を無意識に発動してしまった時のように、私の頭の中には一つの呪文が浮かび上がった。


 その名を、――『罪焼(ざいしょう)のサソリ』と。

 瞬間、私の体は焼け爛れた。皮膚が熱く燃えるように痛みを訴え、神経や筋肉が焼き切られていく。実際に炎に焼かれていないのに、私の体は焼ける痛みに包まれていた。


「――っ、ッ゛……!!」


 それを、声にも顔にも出してはいけない。幸い、力を使っている背人の手は強く握られていた為、私が握り返しても違和感はなかった。

 ちなみに、私は手袋をしている。私の手が焼け爛れても背人には気が付かれないはずだが……それも長くはもたないだろう。


「どう、したの……? 背人」

「っ、ひっ……あ、ああ――」


 その体は震えていた。炎に照らされたその瞳からは、涙が流れていた。


「怖いよ……やめて、痛いよ、熱いよ……いや、やめて、やめでよおおおおおおおおおお!!」


 狂ったように背人は叫んだ。

 流石に周りの人間も気が付き始めたのか、向かいの家から声が聞こえてきた。私は背人の手を握ったまま咄嗟に逃げるように駆け出した。焼かれる痛みで狂いそうな頭を押さえつけて、歯を食いしばって、ただ無心に走り抜けた。


「う……う、ぅ……ぁ」


 遠く離れた公園で、蹲って泣いている背人。

 その心の中に何が映っているのかは、想像に難くない。


「殺した……殺しちゃったよ……あんなに痛い思いをして、殺しちゃった。怖いよ、お姉ちゃん。アイツは、こんなに痛くて、泣きながら死んだんだよ……?」


 その顔はとても嬉しそうに笑っていて、それでいて、とても悲しそうに泣いていた。


「心に穴が開いたでしょ……? 自分の為に誰かを殺すってのはね、自分の心を殺す事なの。とっても虚しい事なの。そんなもので得た嬉しさなんて、すぐに消えちゃうのよ。それにさ、貴女を傷付けた人間と同じ方法で誰かを殺すなんて、それはつまり、その人間の行為を、認めるって事になっちゃうじゃない?」


 固まって動かない背人の心の中が、今どうなっているのかは分からない。私の言葉で動いているのか、それとも全く届いていないのか。

 数秒経って、背人は口を開いた。


「じゃあ、私はどうすればいいの……? ずっとこのまま独りぼっちで、どうすればいいの!? 苦しいよ!! 痛いよ!! 怖いよ!! 私何にも悪くない!! 私まだ、誰も殺してなかったのに、アイツ等が勝手に私を人殺しだって言って、私を……私を――っ!?」


 震えるその肩を抱き留めた。

 凍えるその体を温めるように、包み込んだ。

 その悲しみも、痛みも、何もかも全てを、私が受け持とう。


「その悲しみも、その痛みも、その恐怖も、私なら受け止められる。貴女の心はずっと独りぼっちだった。でも、これからはもう独りじゃない。私ずっと傍にいるから。私なら貴女の痛みを分かってあげられるから。私なら、貴女のお姉ちゃんに、なってあげられるから」

「それは……お姉ちゃん、顔が」

「え? ああ、これ、か。はは……そういや、全部焼いたんだっけ……そりゃ、全身大やけど、だよ……ね――


「お姉ちゃん!! いや、死なないでよ!! ずっと一緒にいてくれるんでしょ!? だったら、死なないで!!」

「大丈夫……これくらいで、死んだりはしないよ。だから、早く、メルシィさんの、とこに……」


 そこからの記憶はない。

 ただ、ここで気を失っては全てが終わりだと思い、私は痛みを殺して全身が溶けた蠟のようになりながらも背人を連れて礫砕同盟の屋敷に戻った。

 そこで私の意識は途切れた。

軋轢魔法図鑑Ⅳ

焼き殺せ、壊劫の業火(ホロコースト)

 滝反背人が有する軋轢魔法。

 クラスメイトが軋轢魔法である事を恐れた事による迫害もとい酷いいじめを受けた際に火に焼かれた事がトラウマとなり、自分の事を少しでも理解しようとしない人間を敵だと認識してしまう思考から変質した。

 設定した範囲内を炎で包み込む効果がある。対象が少なくとも二人以上でなければ発動しない。

 ちなみに、背人まだこの力で誰も殺していなかったので実際に殺した事を実感した際にはトラウマがぶり返してしまう。

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