拾捌――初めての人助け
『還崎君から話は聞いているでしょうが、私の妹……滝反背人は、とても心が疲れています。軋轢魔法に覚醒し、背人は人格が変わってしまった。私以外には心を開かなくなり、それ以外には敵として辛く当たるようになっていった』
以前、『世界の破壊』を掲げたあの時の雄大で尊大な雰囲気を全く思わせない、ただの力ない少女の語り口調に、内心私は驚いていた。こんな一面がメルシィにあったのだと。そして、あの時の洋の背人を言及した際の言葉を思い出し、メルシィや背人の心情を察すると、心が燃やされるように痛かった。
滝反背人はメルシィ・クレンドロス、本名を滝反九連の妹である。
軋轢魔法に覚醒し、自分を救おうとしてくれた人を殺してしまい半ば放心状態で街を徘徊していた洋を匿ったメルシィさんだったが、暫くして洋の軋轢魔法『破滅への末路』によって軋轢魔法が背人に感染してしまう。何かの切っ掛けで小学校でそれが周りに知られてしまった背人は酷いいじめを受け、両腕及び左半身のほとんどに火傷を負い、今でのその傷ははっきりと残っているという。ほどなくしてメルシィさんにも感染し、洋に対し好意を抱いていたメルシィさんは洋を憎みながらも洋のせいではないと存在そのものを否定はしなかった。だが、背人は自身と姉の人生を滅茶苦茶にした張本人として洋を憎み、恨み、顔を合わせる度に暴力を振るっていたらしい。洋も、それが当然の結果だと抵抗も反論もしなかった。
メルシィさんはそんな背人に対して叱る事ができなかった。『護ってあげる事ができなかった』――そのトラウマから、背人を傷付けてしまうかもしれないあらゆる可能性を排除したのだ。故に、メルシィさんは背人に甘いのだと、メルシィさん本人が自嘲気味に言っていた。
「………………」
私も同じだ、なんて軽々しく口にしていい事ではない。だが、滝反背人の境遇は確かに私と同じだった。ただ違うのは、その憎悪を外へ向けたか内へ向けたかの違いだけ。どちらも正しく、どちらも愚かではある。
だが、私がやるべき事は背人の外へ向けられた憎悪を内へ向ける事ではなく、受け止められるクッションを用意してあげる事だ。それならセブンが適任だと考え、提案したがあえなく却下された。どうやら背人はセブンをも嫌っているらしい。
だが私はまだほぼ初対面。少なくとも、私のアドバンテージは皆無ではない。
なんとかして、背人の心の拠り所にならなければいけない。
「うーむ……こう、『心の拠り所になる』って字面を見ただけだと、中々エグイ難易度に思えてくるね……」
一体どうすればいいのだろうか。まずは何をすればいいのか、今までノリでやってきただけあってこうやって何かをやろうとして計画を立てると中々うまくいかないものだ。
とりあえず考え事をしようと思い、私は屋敷の屋上に出た。
「――――――っ」
ドアを開ける。
腕で顔を覆うほどの風が吹き付けて、完全に外に出てみると、とても心地の良い空気が広がっていた。冷やし過ぎない涼気が体を包み込む。考えすぎて沸騰しかけた思考を冷まし、落ち着かせてくれる。
頭が冷える。
考えてもみれば、人と関わる事に恐怖を覚える必要なんてないんだ。軋轢魔法ではない一般人ならともかく、相手は私と同じ軋轢魔法。そう、ただ仲良くなるだけでいい。笑って話ができるようになればいい。それでいいんだ。
よし、と私は頬を叩いた。
道は定まった。
@
「行くのですね。ここに来て洗礼教会の動きは怪しさを見せています、念の為に護衛をつけますが、いいですね? 一応、護衛は他からは見えないように待機させますので」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「……本当に、不甲斐ない姉です。私ではどうする事もできないのです。私では、彼女の姉である事はできず、せいぜい身内であるという拙い心の繋がりがあるだけで――
「大丈夫です。任せてくださいよ」
本当に珍しく俯き加減でネガティブな言葉を吐くメルシィさんに、そう強がりを込めて笑って見せた。
メルシィさんは察したのか、思わず零れた笑みで見送ってくれた。
私は軽く会釈して、『礫砕同盟』の屋敷から外に出た。
外に一歩、踏み出すだけで空気が一変する。
懐かしいと感じるこの空気。あの、何もない空虚な破壊の痕が残る街。人の気配は一切感じられず、踏みにじられた人の営みの痕跡が見えるだけ。
ダメだ、こんな事を考えていてはダメだ。今は、忘れよう。
@
滝反背人は屋敷から一キロほど離れた誰もいない小学校にいつもいるらしい。
小学校と聞いて、洋と初めて出会った後に見たニュースを思い出す。小学校で起きた火事。あれが軋轢魔法であるものだという事に対して洋は否定しなかった。そして、小学校での背人のトラウマ、火傷、火、火事――これらから考えると、あの火事の犯人が誰だったのか、薄々想像がつく。勿論、何の根拠もないただの憶測なのだが。だが、一つだけ確かだったのは、誰も死傷者がいなくてよかったという感傷だった。
「ここ、か――」
焼け落ちて、鉄筋コンクリート壁のところどころが黒く焦げたボロボロの校舎。表面はボロボロだが、頑丈に出来ているようで建物自体が崩れそうには見えない。
ここに背人がいるのだろう。
と、まだ残っていた遊具の中で、鉄棒のある場所に人影が見えた。その鉄棒で逆上がりをしている少女が一人。
そこに楽しいという表情はなく、ただ無感情が逆上がりを繰り返しているだけで、何もない。
背人が軋轢魔法に目覚めてしまったのはおよそ三年前だと聞いた。今は10歳だと言っていたから、小学校一年生か二年生だろう。その時点で既に学校に行かなくなったとなると、満足に遊ぶ事もできなかったはずだ。
そう考えると、あの逆上がりがとても虚しく思えてしまった。
メルシィさんの話を聞いていると、背人はとてもメルシィさんが好きなのだと感じた。姉を慕うからこそ、洋の事を憎んだのだ。だからあの逆上がりは、姉に見せようと思って練習していたもの。
「なんなのよ、これ……」
自分にも妹がいた事を思い出し、無性に何かを殴りたくなった。ふざけるなと叫びたくなった。
だが今は抑えろと、心に蓋をした。
でなければ、メルシィの事を殺してしまいそうで。
「………………」