拾漆――貴方の心に、称賛を与えに行こう。
夕飯はカレーだった。炊事は当番制だったらしく、色々あってできていなかったが、ようやく今日になって私もそれに当てはめられた。今日はセブンの番だ。
だというのに、折角セブンが作ってくれたカレーなのに、おいしく食べる事ができない。
「なんなのよ、アイツ……」
そう、先の洋とのやり取りで私はとても腹が立っていた。アイツに対しても、自分に対してもだ。
「何が全部俺のせいだ! だよ、かっこつけやがって!!」
「何やらご機嫌斜めのようですね、リョウナさん」
「洋さんと、色々あったみたいで……」
心配そうに私の隣に座るメルシィさんに、エプロン姿のセブンがそう耳打ちする。
「なるほど。何とも、デリケートな問題ですね。しかし結果的に私の妹がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
「い、いやそんな! あの子は何も悪くないです。ダメなのはあの男ですよ!! 勝手な事ばっかり言って!!」
でも、それは仕方のない事なのだ。あまりに辛く死にたくなるくらいに悲しい出来事があって、今の還崎洋が存在する。脆くて強い洋の心が。無論、それを否定したくはない。でもどうしても、あの別れ方は納得がいかなかった。
「あーもうイライラするなー!!」
セブンには本当に悪いが、私は感情と勢いに任せてカレーを頬張った。
やっぱり死ぬほど美味しくて、ほんの少しだけだが心が落ち着いた。
「メルシィさんはアイツの事、どう思ってるんですか」
「あの夜とは立場が逆ですね……洋の事、ですか」
あの夜と聞いてギョッとしたが、特に言及する訳でもないようで一応ホッとする。そして、メルシィさんが還崎君ではなく、洋と呼んでいる事にも気が付いた。やはり、それほどに親しい仲なのだろう。洋はあれだけ言っていたが、それでもメルシィさんは洋の事を……
「私は洋の事が大好きです」
「だ……す――!?」
「とは言っても、既に風化した感情ですけどね」
その笑顔は少し悲しそうに見えた。
「洋は、確かにどうしようもない屑野郎です。周りの人からしてみれば、閉じこもっていてくれれば平和なのに、破壊をまき散らす存在が誰かを幸せにしたいと謳っているんです。考えてみれば馬鹿みたいです。ですが、彼はそれでも貫きました。最初に誰かに助けられて、その人は『軋轢魔法』で死んで、その次には私に助けられて、私と九連は不幸になった。いや、なったと洋がそう思った。
まあ、正直言って私は不幸だと思っています。どれだけ大きな理想を掲げたって、誰だって普通に、平和に暮らしたいじゃないですか。でも、私は今の、貴方達といられる今は幸せだと思えます」
だったら、幸せならもう洋が悩む必要なんてないじゃないか。そう言おうとした私の口を、メルシィさんは人差し指で静止した。
「ん……っ!?」
「それを言ってしまったら洋が可哀想です。ええ確かにそれで終わりなんです。私は幸せだと言ってしまえば、あるいは彼は救われるかもしれません。ですが彼は他人のせいにはしたくないんです」
「どういう事、ですか?」
「彼は……洋は既に三人もの人間の人生を壊しておきながら、それでも誰かを幸せにしようとした。それなのに、妥協した幸せなんて与えてしまったら、今までの彼は全て無意味じゃないですか。何の為に産まれて、何の為に生きたのか、何の為に傷付き汚れていったのか。その言葉はそれら全てを破壊してしまうものなのです。誰かを不幸にしたからと言って、殺されていい道理はありません。自分のせいで誰かを死なせてしまったのなら、その人の幸せの分だけ、誰かを幸せにしてあげればいい。そうじゃなきゃ、洋の為に死んだ人も報われないでしょう?」
そう、だ。
誰かを傷付けたからって、それを理由に自分の人生を棒に振る理由になんてならないんだ。それで自分を否定する事なんて、できないんだ。
他人を傷付ける、それはとても悪い事で、ましてや笑って許されていいものではない。でも、ならばそれ以上の人々を笑顔にできるのなら……たとえその果てが贖罪などではなく断罪であったとしても、夢を、理想を貫く意味はあるのだと。
だとすれば、洋が与えられて然るべきは、私達の幸せ。
洋が諦めようと言うのなら、私が与えてやればいい。
妥協した幸せなんかじゃなくて、本当に胸を張って言えるような、明るくて目を覆ってしまうほどのハッピーエンドを演出してやればいい。
ああ、やる事は定まった。
私は今、還崎洋を幸せにすると誓ったのだ。
「ふふ、いい顔です。もう心配は、いりませんか?」
「はい。もう、大丈夫です! ありがとうございます、メルシィさん!」
たとえ盲目的でもいい。私の心の中の暗雲は、晴れて青空と太陽が顔を見せた。
しかしそうなると、滝反背人。メルシィさんの妹だというあの少女の事も勘定にいれなくてはならない。しかしそれには情報が少なすぎる。
「メルシィさん。あの子の事も、聞かせてください」
「……あまり背負い込みすぎないでくださいね。急いては事を仕損じると言いますから。しかし、確かに話しておくべきですね。いいえ、最初からお話ししておくべき事でした。これは、私の怠慢であり、甘えです」
自分の心を噛み潰すように、メルシィは苦い表情を見せたのだった。