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拾陸――死神

「ふぃー、あったまったあったまった」


 銭湯から上がって一息ついて、頭をバスタオルで拭きながら扇風機の前にある木の椅子に座った。無駄に強めに設定されている風量だった為、腹が冷える事を懸念したが涼しさに敗けてその場から動けない。

 しばらく扇風機の前で「あー」と言いながら頭を乾かして、ドライヤーで更に乾かして服を着替えた。メルシィにもらった動きやすいワンピースだ。白地で、襟の模様がフランス国旗のような色合いになっていて中々シャレ乙である。同じく貰った黒いストッキングも穿いて脱衣所を出る。

 ロビーには人が二人いた。一人は還崎(かえざき)(よう)。もう一人は見慣れない少女だった。

 洋が押し倒されたように床に手をついて少女を見上げ、洋を見下げる少女は酷く息をきらし、今すぐにでも殴りかかってしまいそうな怒気を放っていた。

 洋の頬は赤く腫れており、そして二人の距離は妙に遠かった。

 正に一触即発の状態。


「あの……」


 洋がこちらを向いた。その目は酷く死んでいた。


「ん、おお、終わったか。あー、そうだそうだ、この人はメルシィの妹さんだ」

「う、うん……」


 この雰囲気で紹介されても困る、という旨の視線を送るとそれを理解したのかハッと我に返った洋だった。洋にしては珍しく慌てふためいている。一体どうやってこの気まずい雰囲気をどうにかしようか迷っているようだったが、『メルシィの妹』として紹介された少女はそのまま出て行ってしまう。


「あ、待っ――」


 声をかけ終わるよりも先に、その少女は早々と去ってしまった。

 洋を睨む。


「何したの」

「なっ、違うからな!! 何かしようとしてぶん殴られた訳じゃないからな!!」

「じゃあなんであんなに怒ってんの?」


 そう訊かれてとてもバツの悪そうな洋。やましい云々はないにしても何かよくない事があったのは明白の理。そしてこの申し訳なさそうな洋の顔からして洋が何かをした事は間違いないだろう。


「話したくはない……と言ったら?」

「どうして?」

「………………その理由を言うと分かってしまうんだ。言い方はあれだが、人の顔をよく見てるお前なら多分勘付くだろう」


 確かに引っかかる表現だったが、気にせず続きを待つ。


「いや、こんな話をしてる時点でもう話さざるを得ないのかもしれないな……話すのは良いが、これだけは約束してくれないか? 哉江には絶対に言わないと」


 それを訊いて、なんとなく察した。一連の洋の発言も合わせて、洋は既に『軋轢魔法』に覚醒しており、それを妹である還崎哉江に隠していると。


「お察しの通り、ていうか薄々分かってたとは思うが俺は『軋轢魔法』に覚醒している。まだ俺が哉江と過ごしていた頃だ。両親が軋轢魔法の瘴気に当てられて暴力的になって、俺と哉江は逃げ出したんだ。丁度その後だ、自分がその発生源だという事に気が付いた」


 その後、洋はガラにもなく語り始めた。


「自分のせいで母さんと父さんがあんな事になったかと思うと子どもながらにゾッとしたよ。あれが世界中で起こっている事なのだと思うと死にたくなる気分だった。皆そうなんだろうが……それでも辛かったよ。哉江もそうなってしまうのかと考えた、俺は恐くなって逃げたんだ。哉江が一人になるよりも何よりも、哉江が哉江でなくなる事が恐かった。その時の俺はそれ以上の事が考えられなかった。だから逃げた」


 逃げた、と何度も繰り返した。買ってもらった、とても大切にしていたものを自分の手で壊してしまった時のように自分にしか憎しみをぶつける事ができない悔しさに苛まれ、洋は生きてきたのだ。その目は酷く死んでいて、その声は酷く枯れていた。


「逃げた俺は一文無しだ。野垂れ死にそうになった俺を助けた女がいた。とても優しかった、聖人のようだったよ。だがもれなく死んだ。俺のせいでな」

「洋……もう、いい」

「その後もう一人俺を助けた女がいた。それがメルシィだ。その時のメルシィはとても明るかった。普通の女の子だった。あんな汚れた思想なんて持っていなかった。妹と二人で平和に暮らしていた。どんな悪意も、憎悪の干渉も受けていないかと思うくらいに平和だったよ!! だがそれもぶっ壊れた、しばらくしてメルシィは軋轢魔法に覚醒した。それを知った周りの人間が迫害し始めた。メルシィの妹は酷いいじめを受けたそうだ。アイツの右腕を見たか!? 酷いの火傷の痕がはっきりと残っている!! それもこれも全部俺のせいだ!! 死ねばよかったんだよ俺が!! …………ってな感じだよ」


 全部吐き出した洋は壁にもたれかかり、そのまま床に腰を下ろした。力なく。


「俺の軋轢魔法はな、”破滅への末路(ジンクス)”って言うんだ。俺に関わった女は最後、破滅の未来を迎えるんだ。問答無用に、その人間の人生を破壊する。俺はお前を見つけて、今度こそは幸せにするんだと決めて近付いた。俺の為にな、そうだ、俺の為だ。助けようって意志も俺の善意志じゃない。ただの欲望だ。俺が誰かを幸せにしたっていう称号が欲しかったんだ……」


 初めて心の奥底のドロドロとしたものを私に話した洋は、まるで世界の終わりに一人生きているかのように、心が孤独で、私とはまた別の意味で、他者を信用する事ができない人間だった。信用は他人ではできない。友好を図ったからこそ互いに信用し合えるもの。しかし洋がそれをする事は、つまり相手の破滅を意味していた。

 そんな風に呪われた数十年間を送っていたのだ。それならもう洋の心は壊れていたっておかしくはない。なのにこの男は、こうやって心の内を叫びながらも、壊れずに地に足をつけて立っている。どうして、そんなに心が強いのか。しかしそんな強い心は、それでいて、酷く脆くて崩れ易いものだった。

 下から支えなければすぐにでも瓦解してしまう、基礎工事がされていない高層ビルだ。


「洋……、っ」


 私は、そんな洋に対して何もできない。

 大丈夫だと、たとえ何の意味も込められていない言葉でも、そう言って抱きしめてあげればよかったのに。私の体は、私がそれをする資格があるのかという心の問いに、動きを止めてしまった。


「はぁ……すまんな。リョウナ。俺はこんなだ。お前が思っているよりも強くはない」

「そんな事は――」

「いいんだ。励まされると逆に辛い」


 どこかその言葉は、私の言葉を拒絶するように聞こえてしまった。


「リョウナも、もう俺に近づかない方がいいかもしれねぇな……死にたくなければ。今のままでいたければ」

「                」


 言葉は出ない。

 反論しようとした。そんな馬鹿な事があるかと。最初に私に言った言葉と矛盾していると。だが、そんな言葉は今の洋にはどのような意味も付随しない。


「お前を幸せにしたいと勝手に願って、今勝手に諦めた。ああ、最高に惨めで屑だ。全ての元凶は俺なんだ。そもそも俺が生きていなければ、メルシィも、背人も……あんな風にはならなかった。ああ、もう、いい。本当にすまない。俺は戻るよ、暫く一人にしてくれ」

「私は、私はどうなるのよ!! まだ私はどうにもなっていない。私が『軋轢魔法』であるのは私が勝手になった事。貴方のせいじゃないでしょ!? まだ私はあなたの『軋轢魔法』の影響を受けていない。私はまだ不幸じゃない!!」

「――なら俺を、愛してくれるか。心の底から、俺の事を好きになってくれるのか」

「な――」


 あの時の、自分の言葉が脳裏に還る。


「じゃあな」


 一瞬でも逡巡してしまった私は、もう既に、立ち去る洋を止める術を持ってはいなかった。

軋轢魔法図鑑Ⅲ

破滅への末路(ジンクス)

 還崎洋が有する軋轢魔法。

 多少深く関わった異性の人生を滅茶苦茶にしてしまう効果があり、これは洋が意図しなくても常時発動してしまっている。

 『自分の存在が妹を傷付けてしまうのではないか』という考えから変質した。

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