玖――芽吹く瓦解
『赤野部市錐音町エリアCで軋轢魔法の人為的発動、及び同町エリアAで還崎哉江隊員が軋轢魔法と戦闘し全装甲を著しく破損。肉体的損傷危険度レベル5、早急な措置が必要です』
機械的な女性音が指令室に響き渡る。
危険度レベル5はもはや死にかけに等しい状態だ。今すぐに治療しなければ死んでしまう。腹の肉を削がれたのだから当たり前だ。普通なら即死だが、今の所一応は応急処置用の術式で一命は保っているはずだ。
「出しゃばりすぎだよね彼女ってばさ、礫祭同盟の長だよ? 勝てる訳ないよね~」
「その通りだな」
雪れぎなは単調に、それでいて子供っぽさを含んだ口調でそう嘲笑った。
年相応とは思えない、幼い体には似合わないが、自然な笑みだった。
私はこの常におどけてふざけているこの女が気に食わない上に大嫌いだ。なので早々にこの場を立ち去って哉江のところに行ってやりたいのだが、人命よりも仕事優先な『洗礼教会』においてそれは許されない。
「あり? やけに素直に認めちゃうんだこの人ったら。どうしちゃったの我久さん」
「当たり前の事に当たり前だと肯定したんだ。何もおかしくはない」
「ふーん、面白くないなぁもう。もういいよ!」
ぷいっとそっぽを向く仕草は可愛いのだが、しかしそれとこれとは話が別だ。
「れぎな、無駄話はそこまでにしておけ。話し相手なら後で私がなってやろう」
そう言ったのは教会に設置された『対軋轢魔法緊急対策本部』の部長であり司令官である亜木山将監である。年齢はおよそ三十代後半と見え、織田信長みたいなイメージの髯を生やした突き刺すような双眸の男性。その声はとても荘厳で重く低く、その性格が厳格である事を思わせる。
「はーい、分かりましたー」
「さて、我久真理、今回の件だが……還崎哉江は軋轢魔法に対する戦力の中でも特に大きな力を持った重要な人材だ。それを長期間失う事は望ましくない。よって、君には還崎哉江の療養を最優先事項として行動する事を命令とする。具体的な説明は必要かね」
「いえ、ご命令承りました」
それを早く言えってんだこの野郎。と内心毒づきながらもようやく哉江の下に行ってやれる事は素直に嬉しかった。
「つまりー、まあ悪く言えば謹慎? みたいな感じだね」
一々悪く言う必要ないだろうがクソガキ。
もういい。これで私はこの場からおさらばなんだ。
という訳なのでさっさと身支度をした私はさっさと指令室を出た。長い廊下に出た私は駆け足で病院棟へと向かった。
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「はぁー、それにしてもさぁ、敵にアーマーを奪われた挙句技術まで盗まれちゃってさー、大丈夫なのかな?」
雪れぎなは嘆息しながらそう言った。それを訊いた亜木山将監も同感だ、と言った顔色を見せる。
洗礼教会の開発した、多少修練を積んだ者でなければ上手く扱う事のできない『魔術』という代物を、通常の兵器では太刀打ちできない『軋轢魔法』への対抗策として、素人でも相応の戦闘能力を得られるように設計された『魔道アーマー』。その設計者である冷存千銅は現在謎の失踪中だが、アーマーの流出などの件は設計者が裏切って情報を流したのではないかとも言われている。
「まあ、仕方のない事さ。我々とて完全ではない。所詮は神の手により造られた土の人形に魂を持っただけの存在。不完全さはむしろ必然というものだ。それを補っていく為にこの頭が付いているのだろうしね」
「なるほどー、まあそれも一理あるっちゃあるしないっちゃないよね。兎にも角にも指令が言いたい事はつまり、私に何とかしてほしいって事だよね」
少々突拍子もないれぎなの言葉だが、将監はその表情でそれを肯定した。絶対的な信頼を寄せる笑み。れぎなの将監との間には、並々ならぬ絆が築かれていた。
「そうかー、遂に私の出番が来ちゃうのかー、そうかぁ」
「嫌、なのか?」
「いやいや、嫌な訳がないよ。皆の為だもの。そう、『軋轢魔法』は殺さなくちゃいけないんだからね。うん……で、具体的には何をすればいいの?」
「まずは上から叩いていこう。この達磨落としに既存のルールは適用されない。メルシィ・クレンドロスを討ち、士気の低下を狙う。狙いが外れたとて、君の事だから問題はないだろう」
絶対的な信頼を基に将監はそう言った。れぎなも軽く頷き肯定する。
「まあね。私の事だから、アレぐらいならちょちょいのちょいだよ。任せて、メルシィ・クレンドロスの殺害、でいいんだよね?」
「ああ、君が正義だと思う事を、すればいい」
「了解」
れぎなは躍るようにくるっと一回転すると、その真っ白なワンピースをたなびかせながら嬉しそうに笑った。