4 爪をとぐ白猫
「フシュー……フシュー……」
『ガリッ、ガリッ』
ベスの気合のはいった鼻息と樹木で爪をとぐ音が静かな温室内に響き渡る。周囲の動物や魔獣たちの視線を一身に集めながらその作業は念入りに行われていた。
バサバサッ、という羽音に反応したベスの見やった先では鳥型魔獣の中で最強といわれるSランク魔獣フェンリィが羽の手入れ中で、炎にも似た燃えるような真っ赤で美しい羽がベスを誘うようにユラユラと蠢く。
獲物だっ!!
目をギラリと光らせたベスは気配を押し殺し鳥の背後に回り込むと、驚異的な跳躍力を披露し凶悪なその牙を鳥の首元に突き立てた。
「ビーッッッ!! ギャッギャー!!」
ふふんっ、どぉだっ!!
甲高い鳴き声をあげバサバサと暴れる鳥を前足で踏みつけながら誇らしげに鼻の穴を広げるベス。
『ちょっ、ちょっとぉっ、訓練に付き合ってあげるとはいったけど、いつまで踏みつけてるのよぉっ!!』
『あ、あー、あはっ、ごめんごめんっ、だいじょーぶ?』
踏みつけられたままの状態で奮然と抗議する鳥を慌てて開放しつつ、ベスは謝った。
『だいじょうぶじゃないわよぉっ。首もちょっとチクッとしたしっ!』
『ほんと、ごめーんっ。それよりっ、ねねねっ、今のいい感じじゃなかった? 野生そのものっていうかー』
『キィィッ!! それよりって何よっ!? この超絶かわいい子猫めがっ!! あーすんごい、かわいーしー……はぁぁっ……あー、もぉー、しょうがないわねぇ。最後の偉そうなポーズさえしなければ、気配の消し方に関しては合格よっ』
『がーはははー! 合格っ! 大きい鳥さんありがとー、わーいわーい!』
このベスの言うところの大きい鳥さんはベスがここに来た当日に仲良くなったお友達だ。
念話で話せることからもその知性と魔力は本物で、美しく煌めく真っ赤な羽に覆われた凛々しい見てくれのこの鳥(♂)は、その全てをぶち壊す気だるげなおねぇ言葉でベスに話しかけてきた。
この温室や国のことなど様々な情報を教えてくれた鳥は、今ではベスの狩りの真似事に付き合ってくれる貴重な協力者でもある。
ふふふ、私の研ぎ澄まされた爪と牙の威力を思い知らせてやるっ。
みてろっ、あの筋肉めっ!!
野生の勘を研ぎ澄ますことに重点を置いた日々の鍛錬に手ごたえをたっぷり感じているベスは、鼻息荒く宙を見つめた。鳥から向けられる生暖かい視線に気づくことはない。
「Sランク魔獣のフェンリィが大きい鳥さんって!! ぶははっ!! え、それ鍛錬なの? あー、なるほどなるほど、野生のかっこいい感じを目指して爪と牙を使って狩りの勘を磨くと……なのに血が駄目!? ぷっ、くっくっくっ! ぶはははははっ!! ヒー! ぐっ、ぐふっ!! いかん、腹筋がっ!」
自室でソファに寝そべったまま、今一番お気に入りのペットの動向を眺めるロムルスは堪えきれない笑いの発作に苦しんでいた。
透明な壁に囲まれた巨大温室を含めたベスの部屋はロムルスの自室からすべてを見渡せる造りになっている為、いつでもその様子を覗くことが可能となっていて、逆にのびのびとした生態を観察する為にこちらの姿は一切見えない仕様だ。
得意気に耳をピコピコとうごめかしながら木で爪を研ぐ様も、尻尾をフリフリ鳥に跳びかかって捕まえる様も、獲物を捕まえてフフンッと誇らし気に胸をそらす様も愛らしくてたまらない。
そして念話によりリアルタイムで届けられる報告は、ロムルスの腹筋を崩壊させる威力をはらんでいた。
「くっくっくっ、あー、俺のペットかわいすぎだろーがっ! よぉーし、あとでまた遊んでやろう」
念入りに毛づくろいを終えたベスがあくびを漏らし眠りにつくまでの様をじっくり鑑賞し終えたロムルスは、機嫌よく立ち上がると神殿に向かう。
「今日もこない……」
二十畳程もあろうかだだっ広く豪奢な部屋の真ん中で優雅に紅茶を飲んでいた少女がポツリと漏らした。
透明感のある虹色に輝く触角が頭からのびてフヨフヨとゆれる様がなんとも美しく愛らしい少女は不機嫌も露に気の強そうな顔を歪ませている。
美しい手足の指の間にはは良く見ると水かきがあり、目の横にある鱗は虹色に煌めいている。
履物を履かず髪をすっきりと結い上げているのは、希少な存在といわれる幻影族の身体的特徴を隠さない為の格好だ。
タリア連邦一の権力を誇るロムルスの居住区の一室で贅を尽くした生活を送っているこの美少女は、幻影族の隠れ里から力づくで奪われた族長の娘ティアである。
「なぜっ、こんな狭い部屋に突然移動させられてっ! その上ロムルスは一度も来てくれないじゃないっ!!」
奴隷商人から救ってくれた(とティアは思い込んでいる)ロムルスは精悍で男らしい魅力にあふれ、いつも蕩けるような笑顔でどんな贅沢でもかなえてくれた。
華やかさとは無縁の里の質実剛健な暮らしぶりに嫌気のさしていたティアは、里へは保護したことを連絡しているからのんびり滞在すれば良いというロムルスの言葉を鵜呑みにし、贅沢な大国での生活に満足しきっていた。
それなのに突然部屋をなんの説明もなく変えられた上、その日から一度も顔をみせてくれなくなったロムルスへの恨みをティアは爆発させた。
「それは……あの部屋はロムルス様の寵を一番賜っている方、専用のお部屋ですから……」
「なにそれ? じゃあ、お部屋を移動したのは、ほかの子があの部屋に入ったってこと? 私は二番ってことなのっ?」
「ティア様っ、あの、あのっ、お気を確かにっ」
癇癪を起こしたティアを前にまずいことになったとおろおろする侍女。
そのときティアは外のざわめきに気づいた。
「あれは、ロムルス!?」
「いけませんっ、ティア様っ!!」
この建物から神殿に続く道を使うのは主のロムルスしかいない。
侍女の制止する声を無視して部屋を飛び出したティアは、主の寵愛している少女を前に慌てふためく衛兵達を素晴らしい運動能力で蹴散らし走った。
「おぅ、ティア久しぶりだな」
久しぶりに見たロムルスは機嫌良さ気な笑みを浮かべていて、ティアはためらいなくロムルスの胸に飛びつく。
「ロムルスッ、どうして来てくれないの? あの部屋が誰か他の子の部屋になったって本当なの?」
機嫌のよかったロムルスが一気に不機嫌顔になる。
「めんどくさいな。誰がそんなこと耳にいれた? ティアを部屋から出すな。俺は忙しい」
「なによっ、どうして? 私のことが一番だって言ってたじゃない?」
「ちっ」
苛立たしげに舌打ちしたロムルスは神殿に向かって歩き出す。はじめて見るロムルスの冷淡な様子にショックを受け立ち尽くすティア。
「ああ、それと……ティア付きの侍女と衛兵はすべて入れ替えろ、使えない奴は首だ」
足を止め、振り向いたロムルスはティアに一瞥もくれることなく無慈悲な言葉を残し立ち去った。
荘厳な大神殿の中央に位置する泉には心地よさ気な表情を浮かべた精霊達が多数群がっていた。
数日前より明らかに増した心地よい空気に、泉の周りで立ち働く者たちの顔色も生き生きとしてみえる。
しかし、アフリカナを伴いロムルスが現れた途端、その和やかな空気は凍りつき、ただ精霊達だけが我関せずと優雅に寛ぐ。
「ほう、随分と精霊の数が増えたな?」
「ええ、かなり楽になったわ」
「それは重畳」
「ところで聖獣様は……いかがお過ごし?」
「ああ、元気だぞ。あれは可愛くて良い。そのうちお前にもあわせてやろう」
もののついでのように尋ねるアフリカナにロムルスは自慢の玩具の話をする子供のような表情で上機嫌に答えた。




