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1 私、白猫?

『あるじさま、あるじさまっ』


 う、むふ……、きもちい、ぽかぽか、あったかい……。

 最初に感じたのは温かな何かに包み込まれる幸福感。じゅるっ、と啜りつつ笑みの形に顔を崩したまま私はだらりと伸びきった。


 おきるのやだ……ああ、でも、そろそろ、か……。

 少し残念な気持ちのまま目を開いた私は明るくて柔らかな寝床を見渡す。それと共に脳内に周囲の情報が溢れる。


 山奥、すっごい山奥……周囲に生物ゼロ。

 安全、綺麗、守護がいっぱい。

 きれい、きれい、きれい。


『あるじさま、おめでと、おめでとっ』


 一瞬情報の多さにたじろいだ私をフワフワキラキラの守護精霊達の声にならない声がやさしく包む。

 生まれたての無力な私だけど守護精霊達が全力で環境を整えてくれているのが分かる。濃い緑の香りを胸いっぱい吸い込むとその心地よさにふにゃりと頬を緩めた。


 ここ、きもちいい、とてもとてもいい空気。

 世界の祝福が渦巻いている…………。

 あれ?

 えっと?

 ふわふわとした浮ついた気分のまま緩んだ頬をムニムニと揉みこんでいた私の思考は突然の違和感に停止する。


 なに、これ?

 頬から離した自身の手の平を目の前にかざし、あり得ない形状のそれを確かめるようにそろそろと動かした。


 自分の名前も、親兄弟のことも思い出せない……けど、でも、私は人間だったはず?

 普通なら取り乱してもおかしくない状況だけど、妙に冷静な今の私はじっくりと自身の体を見下ろす。


 たぶん、生まれ変われるなら虫とか嫌だとか言ってた気がする?

 人間じゃないけど哺乳類っぽいし……。

 虫と比べたらラッキー、ラッキーだよ。

 人間じゃないけど、間違いなくラッキー?

 人間じゃないけど……って私、何回人間じゃないを繰り返しているんだろう。

 意外と人間の部分への未練が強いらしい自分に笑みをこぼしつつ私は結論を下す。


 うん、私、猫。それもかなり上質な毛並みの白猫。

 長く優美な尻尾の先まで輝くような真っ白な毛並みに覆われたしなやかな身体。艶やかでピンク色のプニプニな肉球は心ゆくまでプニりたい魅力に溢れている。

 足にグッと力を入れれば身体は自然と四つ足の姿勢で立ち上がったけれど、緊張からか私の足はプルプルと震え、まるで生まれたての子馬――いやこの場合は子猫というべきか――のよう。

 尻尾は意識すればまるで手足のように思うとおりに揺らめく。


 ふほぉ、私、か わ い いっ!!


「グルゥ、ギャガアッ?」


 え、えぇぇ……。

 今の声、私?

 えっと、精霊ちゃんじゃ?

 あ、うん、私だ。

 思うまま自分のかわいらしさを賛美するべく漏れた私の声は残念ながら物凄く野太かった。


『あるじさま、かわいっ、おこえ、かわいっ』


「ぎゃぅん……」


 精霊ちゃん達が私の発した初めての声をかわいいかわいいと褒め千切り、何食わぬ顔で罪を擦り付けようとした汚い私の心は激しく抉られる。

 その時、項垂れていた私は何やらソワソワと落ち着かない自分に気づく。

 なんだろう、何かしたくてしょうがない。

 自分が何かをしたいのにそれが何かがわからなくて、うろうろと視線をうろつかせた挙句、私の身体はこらえ切れない本能のまま勝手に毛づくろいをはじめてしまう。


 ふお……これはなんとも……いい……。

 夢中で毛づくろいに没頭している私の喉は無意識のうちにゴロゴロ震え、毛づくろいの気持ち良さに陶然となる。


 うん、全身真っ白。

 ふふん、この長い尻尾、こーいうのを優美っていうのよ。

 私、チョーゼツ美猫。

 尻尾をユラユラと揺らめかし、その輝くような真っ白な毛並みにうっとり見惚れながらも毛づくろいが止まらない。至福の時を過ごし終えた頃、私はすっかり今の体に馴染んでいた。


 あれ?

 なんか大切なことを忘れているような……。

 ま、いっか。

 ポロポロと何かが頭から抜け落ちていくけど今はただ健やかに成長していくことに全力でいればよくて、それが今の私にとって本能的で大事な全てだ。


 考えることを放棄した私はただただゴロゴロと喉を震わせながらうっとりとまどろんでいた。








 どうしよう……。

 目が覚めてから三度目の朝を迎えた私は今日ものんびりと過ごす。その予定だった。


『お目覚めですか? どうぞこちらへ』


 そんなこと言われても……。

 困惑する私の視線の先には光り輝く魔法陣があり、そこから優しく美しい魂に染み渡るような不思議な声が聞こえてくる。今朝からずっと語りかけてくるその声とキラキラと輝く魔方陣からは抗いがたい引力のようなモノを感じ、気を抜くとうっかりその声に耳を傾けてしまう。


 あのね、えっと、ここはとても安全で気持ち良くて、離れたくなくて…………。

 声の魅力に必死に抗い自分の今いる場所である大樹の洞の素晴らしさを私は一生懸命説明する。

 植物の蔓や枝が複雑に絡み合った寝床がフカフカと温かいこと、色とりどりの植物で彩られたそこが私の生命を健やかに守り育む為の守護に溢れた最高の場所であることを正体もわからない声の主に訴え続けた。

 そんなものは無視すればいいのに、そのおかしさに私は気づけない。


『それはもちろんそうでございましょう。でも、こちらにご用意した場所を、ほんのすこし、覗いてみるのも一興では? さぁ、こちらへ……どうぞ。お手をこちらに』


 その場所から離れることは嫌だけれど、それでも呼びかけてくる声は抗い難い強烈な魅力にあふれていて……。


 うぅん、もう、しょうがないなぁ…………すこしだけ、すこしだけだからね?

 元来流されやすい性分なのだ。声に促されるまま手を差し出す。ほんの少し、そう、ほんの少し覗いたらすぐに戻るつもりのその手はしかし強引にグイグイと引っ張られてしまう。


『あるじさま、いっちゃうの?』


 エ、ううん、少し覗くだけだよ。

 あれ? 戻るよ? 戻れるよね?

 守護精霊達の寂しげな声に能天気に返事をした私だけど、ここに来てようやく大事な場所から引きはがされる可能性に慄き尻ごみする。

 あわてて立ち止まるべく踏ん張っても時すでに遅し、吹き荒れる嵐のような力は容赦なく私の身体を悲鳴ごと別空間へ引き擦り込んだ。








 うぅ……キ、きもち悪い……。

 身体全体をグラグラと揺すぶられるような感覚に耐えていたのは実際には一分にも満たない時間だったようだけど、強烈に全身を揺すぶられその気持ち悪さに耐えていた私にはその時間は数倍にも感じられた。


 酷い……なんかよくわからないけど、たぶん騙されたの……。

 幾分落ち着いては来たが、状況が分からないながらも手ひどい裏切りにあった心持ちのまま、憤然と周りを見渡す。

 薄暗く湿気った洞窟に私の気持ちは更に落ち込む。


 うぅ、ジメジメ、暗い、それにおなかすいた……。

 先ほどまでいた空間では一度も感じなかった空腹感にイラつきながら私は周囲を見て歩く。

 洞窟は自然そのままではなく明らかに人の手が加えられていて、天井が高くポッカリと開けたその場所には綺麗な祭壇と私の身体を受け止めていた高価そうな絨毯が敷かれていて、近くに新鮮そうな果物が大量に山盛りにされているのを発見した。


 これ、貰ってもいいのかな、いいよね?

 かわったくだもの? ね?

 薄れつつある記憶の中の果物とは微妙に違うものばかりだが、もうそんな細かいことはどうでも良い。

 あふれる食欲そのままに私は目の前の果物にかぶりついた。

 ジュワッと口の中に広がる甘味に夢中になり、果物を貪り尽くすと満腹感から満足げなため息をつく。

 手や顔についた汁を綺麗に舐めとった私は、気づけばまた毛づくろいに没頭していた。


 はぁ、これたまらない……毛づくろい好き好きすきぃ……。

 心行くまで毛づくろいした私は改めて周りを見渡す。


 あっちにいったらなにかある?

 先ほどから視界に入っていた細道を好奇心のまま進むことにする。

 祭壇から降りる際に何やら見えない細い糸のような物に絡め取られそうになるが、ブチブチと簡単に引きちぎれたそれへの関心はすぐに薄れその先へと進む。

 根拠はないけど多分出口があるだろうと思う方向へ歩くこと五分、濃い緑の広がる森にでた私は木々の間から零れるキラキラとした日差しを上機嫌に見上げた。


 はうー、綺麗っ……すっごい、大自然。

 周りを見渡しながらさらに歩くと、花が咲き乱れ、底が透けて見えるほど美しく澄んだ水をたたえた湖に行きあたる。


 うおーっ、みずっ、みずっー! おいしいー!!

 テンション高く湖の水をがぶ飲みした私は水に濡れた身体をまたもや念入りに毛づくろいする。

 とにかく何が何でも毛づくろいな私は、しばらくしてようやく一息つき、湖面に映る自分の姿に目がいった。


 すごい……綺麗。

 目はキラキラと金色に輝き、綺麗なピンクの鼻と上品な口元。どこか高貴な雰囲気を持つ美しい姿にすっかり見惚れても、やはり気づくと毛づくろいに没頭してしまう。


 むふん、お腹いっぱいだし毛づくろいもいっぱいしたし……むにゃ、む……すやぁ。

 ポカポカお日様の光を浴びながら、ご機嫌に毛づくろいしまくっていた私は突然襲ってきた眠気に逆らうことなくその場で眠りについた。








 彼女が深い眠りにつく様を、気配を殺して見守る複数の目があった。


 ガサガサと茂みを騒がせ現れたのは身軽さ重視の皮鎧を身に着けた屈強な男たちで、男たちは彼女を逃がさないように慎重に包囲する。

 男たちの中でも一番年配の男の手がその体に恐る恐る触れ、手に持つ魔具に魔力を込める。


「よし、では、睡魔の守りの効果が切れる前に城へ移動する」


 無言で動く男たちの了承を示す動きは訓練された素晴らしい物で、恭しく持ち上げられた彼女の体はあっという間に豪奢な布にくるまれた。








 あれ?

 あれれ?

 パチリと目が覚めて見渡せば私は天蓋つきの広いベッドで寝ていた。うっとりするような寝心地のお布団は離れがたく体を優しく包んでくれる。


 これ、お姫様ベッド?

 すごいっ、フッカフカ!

 寝ている間に場所を移動していることなどすでに頭にない私は、ベッドの豪華さに盛り上がりボフボフと布団を叩く。

 その途端、部屋の空気がザワリと動いた。


 え、だ、だれ?

 怯えてビクビクと首を竦めると、人が近づく気配と共にベッドのカーテンが開かれる。


「ああ、私のベス起きたのかい?」


 お、お、王子さまっ?

 そこには絵本から飛び出てきたような金髪碧眼の美少年が立っていて、私はびっくり顔で固まった。


「落ち着いてベス。大丈夫、僕がいるからね」


 ええと、ベスって私の名前?

 もしかしてこの王子さまは私の飼い主?

 なおも混乱して呆然としている私を王子様は優しく撫でてくれた。

 十五歳くらいに見える王子様は私とあまり大きさに変わりがなく、躊躇いなく抱きつく様子は初対面とは思えない。


 ああ、そっか、この人が私のご主人様。

 ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄りながらそのやさしいぬくもりに私は安堵を覚えた。


「ベス、ずっと一緒だよ。僕の傍にいてね」


 うんうん、ご主人様、ずっとずっと一緒。だってこの部屋すっごい豪華っ!

 私、チョー幸せセレブ猫っ。

 目の前の優しげな存在に擦り寄り無邪気に甘える私の目には、満足そうに頷くご主人様の目に浮かんだ冷徹な光は映らなかった。








 ああ、完全に手に入れた。

 僕は歓喜に震えそうな身体をおさえ、大事な存在を優しく優しく腕に囲ったまま、部屋の隅で万が一に備え控えていた騎士たちへ合図を送った。

 全員が静かに退室し室内は僕と彼女だけになる。

 こっそり使用した鑑定の魔具に浮かび上がった情報を思いだし、大声で叫びたくなったけど我慢だ。

 彼女を怯えさせてはいけない。

 顔を笑みに歪めたまま僕は思う存分その温かな身体に顔を埋めた。






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