007 そして開戦へ
ここから結構早足に物語は進んで行きます。
混沌とした模擬戦の翌日。竜魅達反抗勢力に動きがあったと諜報から連絡が入る。諜報の話では、竜魅達が仕掛けてくるのは明日との事。白夜は各々大規模な戦いに備えて今日の内にやりたい事をやるようにと指示を出した。
そしてその日の晩。蜘蛛丸は訓練場にて1人訓練をしていた。既に先日の模擬戦の痕跡は修復されている。蜘蛛丸は仮想の敵を相手に6本の腕を器用に振るう。
先日の模擬戦を経て、蜘蛛丸のやる気に火が点いた。初めて白夜に会った時から訓練を欠かした事はない。昔の自分なら魔蜘蛛種と言う種族的な能力の高さと、その中でもずば抜けた才能に物を言わせて努力などしなかった。しかし、白夜に出会って完膚なきまでに叩きのめされたその日から、彼の人生は一変した。強い相手と戦いたいという欲求は昔も今も変わっていないが、ある特定の個人に追い付きたいと思った事は初めてだった。蜘蛛丸は魔族の中でも高みに立っているが、それよりも高みに立つ白夜を尊敬し、そしてライバル視した。今は及ばないがいずれは拳を届かせるくらいにはなってやる。それが蜘蛛丸を強く在ろうとさせる最大の要因だ。
ブゥオンブゥオンと拳を振るっているとは思えない風を切る音が響く。そして一頻り拳を振り続けると、ふぃーと息を吐く。
「おや? 蜘蛛丸殿。訓練でありますか? 精が出るでありますな」
「おお、和水の譲ちゃんか。どうした? こんな時間に」
和水はテケテケと蜘蛛丸の足元まで歩み寄ると、蜘蛛丸の顔を見上げながら話し始める。
「城の見回りをしていたのであります。その時偶然蜘蛛丸殿を見掛けたのでありますよ」
「ほぅ、そうかい」
蜘蛛丸はそう言ってドスンとその場に腰を下ろす。和水も同じようにちょこんとその場に座った。
「蜘蛛丸殿。少しお話してもよろしいでありますか?」
「ああ、別に良いぜ。どうせ休憩中で暇だからな」
「感謝するであります。昨日の模擬戦の事なのでありますが、蜘蛛丸殿は全力ではなかったでありますよね? まだ力に余裕があったのに何故出さなかったのでありますか?」
「あれは模擬戦だろ? 全力なんか出したら危険だろうが。まあ、和水の譲ちゃんは大丈夫なんだろうがな。オレよりも強ぇし」
「それほどでも無いであります。蜘蛛丸殿が全力を出していたのなら、あのようにコントロールする事は出来なかったでありましょう」
「カカカッ! どうだろうな? それに……お前さんも全力は出しちゃいねぇだろ? 白夜が作ったんだ。あの程度の力が全力のはずが無ぇよな?」
「さあ、どうでありましょうね? 私は生み出されてから日も浅いのでよく分からないであります。実戦経験もほとんど無いでありますし、戦闘と言える戦闘はあの模擬戦だけでありますから、自分自身の実力も測れてはいないのであります」
「戦いの素人に負けたってのか。オレもまだまだって事だな」
少しだけ落ち込んだように自嘲するような笑みを浮かべる蜘蛛丸。実際の所素人と言っても白夜の知識を一部転写されているため、和水は戦闘のプロと言っても遜色ない実力を秘めている。もし白夜が戦闘においての知識を転写していなかったら、能力的には優秀でもあそこまで圧倒される事は無かったのかもしれない。
蜘蛛丸ははぁと溜め息を1つ吐くと、気を取り直したように笑みを浮かべた。
「全く、更にやる気が出てきちまったぜ。やっぱ強ぇ奴と戦うのは面白い。だが、強ぇ奴に勝つのはもっと面白い。そのためにも、もっと力を付けねぇといけねぇなぁ」
「頑張れであります」
「おう! 絶対に白夜やお前に追い付いてやるぜぇ!」
そう言うと、蜘蛛丸は早速訓練を再開したのだった。
◇◆◇◆◇
魔王城・庭園。桃華は明日の戦いに備え、備え付けの床几台に座ってのんびりと星を見ながら英気を養っていた。
「おーい、桃華〜。おやつ持って来たよん♪」
と、そこへ2人分のお茶の入った湯飲みと団子を載せたお盆を持った桜花がやって来た。
桜花は桃華の横に座るとお盆を2人で挟み込むように置いた。そしてニコニコとした表情を浮かべながら団子を頬張り始めた。
桃華はズズゥとお茶を啜るとほっこりとした表情を浮かべて小さく笑んだ。
「星が綺麗ですね。おや、今日は三日月ですか。わたくしはこの月が一番好きです」
「そうだねぇ。アタイも三日月が一番好きだなぁ。だって若と同じ名前なんだもん」
「そうですね」
桃華はそう呟いてお茶を啜る。桜花もご機嫌な様子で団子を口に運ぶ。
「……三日月の浮かぶ月夜。若様と姫様の事を表しているようです」
「ホント、お似合いだよねぇ、あの2人。今まで見たカップルで一番お似合いだ。何でかな?」
「夜が無ければ月は輝けない。逆に月が無ければ夜は真っ暗。お互いに引き立て合い、お互いに支え合う。きっとそんな感じの関係なのですよ。夜である姫様に出会い、月である若様は最近より一層輝きを増しました」
「お互いに惹かれ合っちゃう関係かぁ。何か浪漫があって良いねぇ」
「わたくし達もいずれ誰かとあの2人のような関係になれると良いですね。まあ、若様ほど魅力的な男性がこの世に存在すればの話ですが」
「ハードルたっかいねぇ、桃華は。そんなんじゃあ彼氏が出来ないぞ!」
桜花はそう言ってケラケラと笑いながらパクパクと団子を口に放り込む。それを見て桃華ははぁと溜め息を吐いた。
「わたくしは貴女の方が心配ですよ。貴女みたいな食い意地が張った娘をもらってくれる人が居れば良いのですけど……」
桜花はその言葉にムッとした表情を浮かべた。
「そう言う桃華だってアタイは心配だなぁ〜? 言ってる事お母さんみたいだし、胸だってぺったんこだし〜?」
自らの胸の豊かさを誇示するように胸を張って桜花が言うと、桃華の額にピキッと青筋が浮かんだ。普段の気だるそうな無気力な雰囲気は既に無く、相手を射殺すような刃物の如く鋭い雰囲気を纏っている。
獰猛な肉食獣を連想させる危険な怒りを孕んだ瞳で、桃華は桜花を睨み付けた。
「貴女の場合胸には脂肪が詰まっているのでしょう? 太ってるだけじゃないですか。わたくしはスレンダーなだけであって貧乳ではありませんし〜? それならばわたくしの方が全然マシですよねぇ?」
「アッハッハ! もしアタイの胸に脂肪詰まってるなら便利だよねぇ? だって他は太らないんでしょ? 桃華はどれだけ太っても胸だけは大きくならないんだよねぇ〜? かわいそ〜」
「ふふっ。知らないんですか? 最近では胸が大きい女性より、小さい女性の方が男性にモテるんですよ?」
「そんなの特殊な層の人だけだよ! 一般的には胸は大きい方が人気があるよ!」
「あら? そう言えば姫様も胸は大きくありませんね? ならそんな姫様の事が好きな若様も特殊な層の人なのですか?」
桜花はぐぬぬと、したり顔で笑っている桃華を睨み付ける。桜花は口では桃華に勝てない。桜花は基本的に運動面では優秀だが物覚えがあまり良くない。だから魔術も覚えられないし、考えて物事を口にするのも苦手だった。しかし反対に桃華は運動は得意ではないが物覚えが良く、魔術も覚えられた。そして説得や交渉などを得意としていて、口で相手を言い負かしたりするのは得意なのだ。
桜花はどうにかして桃華に反論しようと思ったが、考える事が苦手な桜花はムゥと唸るばかりで言葉が出て来ない。それを見て満足したのか、桃華はフッと鼻を鳴らした。
瞬間、遂に桜花は痺れを切らし桃華へと襲い掛かった。魔猫種の身体能力をフルに発揮し、桃華の背後へと回り込むと、両手で桃華の胸を鷲掴みにした。
「ちょっ!? 普通それは小さい方が大きい方にやる事ではないのですか!?」
「うっさいうっさい! そんなに文句があるなら大きくしてやる! 揉み続けて大きくしてやるー!!」
「揉んで大きくなるというのは迷信ですよ! や、やめなさっ、あ、ぁん、あぁ、や、やめっ……」
胸を揉みしだかれ、艶っぽい声を上げる桃華だったが、押しが強いという点では桜花の方が上手だった。
戦いの前日とは思えないほどに艶かしく絡み合う2人。このやり取りはこの後も十数分に渡って行われた。
◇◆◇◆◇
「あの、白夜様? いらっしゃらないのですか?」
月夜姫の声が部屋に響き霧散する。
城の最上階の白夜の自室へと足を運んだ月夜姫だったが、部屋の中には白夜の姿は無かった。いつも夜は自室で外の様子を見ているか、本を読んでいるか、寝ているかのどれかなのだが、今日に限ってはそのどれにも当てはまらないようだった。
月夜姫は部屋の前でどうしようかと迷ったが、確認のために悪いと思いながらも部屋の中へと入って行った。
部屋の中には城の書庫から持って来た本や、あらゆる地方から持って来たと思われる白夜の私物がきちんと整理されて置かれている。一般人ならまず見る事のない物が大量に置かれているため、月夜姫にとってこの部屋は博物館のような場所だった。白夜と2人きりの時は珍しい道具などについての説明をしてもらっている。
今夜も戦いの前に何かを話そうと思ってこの部屋を訪れたのだが、肝心の白夜の姿がどこにも見当たらない。
月夜姫は数秒間その場で考え込み、もしかしたら書庫に居るのかもしれないと思い付いた。そして部屋から引き返そうと歩き出したその時、トンッと音を立てて廻縁に誰かが降り立った。月夜姫が音のした方向を振り返ると、そこには空に浮かぶ三日月を背負うように立つ、真っ白い髪を月明かりによってより一層幻想的に輝かせている白夜の姿があった。
白夜は月夜姫に気が付くと薄っすらと口元を歪め、どことなく優しげな笑みを浮かべた。
「どうした、月夜? そんな驚いた顔して?」
「びゃ、白夜様……一体どこに行ってらしたのですか?」
「ん? 今日は月がいつもより綺麗だったからな。ちょっと屋根に上って見てたんだ」
「そうなんですか」
「それで? 何か俺に用があったのか?」
「あ、いえ。ただお話をしようと思っていただけです」
「ふぅん、そうか。だったら一緒に屋根の上で月でも見ながら話さないか? 結構良い眺めだぜ?」
「え、あ、その……」
「別に落ちたりしねぇよ。もし落ちそうになっても俺が支えてやっから心配すんな。お前は俺に身を預けるだけで良い」
白夜はそう捲し立てると月夜姫をスゥッと音も無く抱き上げた。
月夜姫は驚いたように目を見開き、やがて自分が抱き上げられた事に気が付くと、顔を赤くして俯きがちに白夜の上着をちょんと掴んだ。
「あの……お、お願いします」
蚊の鳴くような小さな声で月夜姫が言う。それを聞き、白夜はニィと嬉しそうに笑みを浮かべるとピョンと廻縁から屋根へと跳んだ。そして月夜姫を落ちないように支えてやりながら屋根に下ろした。
「どうだ? 部屋から見える景色も良いが、ここから見る景色も良いだろう?」
「は、はい。そうですね」
「ほれ、月もあんなに綺麗だ」
白夜はそう言って夜空に浮かぶ三日月を指差した。月夜姫は白夜と三日月を見比べるとクスリと小さな笑みを浮かべた。
「三日月……白夜様と同じ名前ですね。好きなんですか?」
「好きか嫌いかって言われると……どっちでもねぇな。別に俺は自分の名字に思い入れはねぇ。生まれたら白夜って名前の前にそう付いていた。それだけだ」
「ですが、お月様と同じ名前が付いてるなんて素敵です」
「お前だって月夜姫って名前じゃねぇか。月が浮かぶ夜の姫……むしろお前の方が凄い名前してるよ。三日月なんて月夜に浮かぶ月の1つでしか無いんだからな」
「そ、そうでしょうか? そう言われると、少し恥ずかしいです……」
名前を褒められ、嬉しさと気恥ずかしさが入り混じったような声音で俯きがちに月夜姫が言う。その可愛らしい仕草を見た白夜は堪らず月夜姫の肩に手を回した。
その瞬間、胸がトクンッと脈を打ち、満たされるような温かさが月夜姫の全身を駆け巡った。以前訓練場でも感じた事のあるあの温かな感情がトクントクンと脈動している。
月夜姫は白夜の肩に自分の肩をを近付けると、身を預けるかのようにもたれ掛かった。
白夜は驚いたように数度瞬きをすると、どこかニヤ付いたような笑みを浮かべそして言った。
「どうした? 今日は随分と積極的じゃあないか? 何か良い事でもあったか?」
「い、いえっ、別に何でもありませんよっ。ええっと…………こ、ここはとても冷えるので、こうして密着していると温かいのです。せ、積極的とかそういう訳では……」
「ククッ! そうかそうか。んじゃ、そういう事にしておいてやろう」
白夜は全て分かっていると言わんばかりにニィと口元を歪めると、何も言わずに夜空へと視線を戻した。月夜姫も白夜にもたれ掛かりながらただじっと夜空を見詰めていた。
しばらくの間心地の良い沈黙が続くと、ふと白夜が口を開いた。
「なあ、月夜」
「はい、何でしょう?」
「お前、俺の事を恨んでるか?」
「はい? と、突然何ですか?」
「最初に会った時、お前は父親の魂を救ってくれたお礼が言いたい。確かにそう言った。結果的には俺は魔王を救った事になるのかもしれない。だが、それでも父親の仇には変わりないはずだ。そんな俺を、お前は恨んでいないか?」
白夜は月夜姫を見ず、夜空を見上げながらそう訊ねた。月夜姫はその横顔から真意が読み取れずに戸惑ったが、やがて意を決したように目を伏せると、小さな笑みを浮かべた。
「確かに、私は白夜様の事を恨んでいるのかもしれませんね。どうして父上を殺したのか。もっと他に方法は無かったのか。今でもそう考えてしまう事があります。ですが、もう過ぎた事です。
確かに父上が亡くなった事で失ったものは多かったです。ですが、それ以上に得たものも多かった。城の中以外知らなかった私は外がどのような所なのかを知りました。多くの民が、いずれ平穏が訪れる日が来るのを待っているのと……知りました。
だから私は思いました。今までは父上に守られていただけの存在でしたが、今度は私自身が誰かの力になろう、父が愛したこの『月詠』を守れる存在になろう。外の世界を知った私はそう思ったのです。そして私をそうさせたのは……白夜様、貴方です。白夜様は確かに私から多くのものを奪ったのかもしれません。ですが、それ以上に私は貴方から多くのものを与えられました。
だから私は白夜様を恨む以上に…………お慕いしています」
「………………ほぉ」
白夜は少し意外そうにそう声を漏らすと、月夜姫に顔を向けた。月夜姫は白夜にじっと見詰められ、自分が最後に口走った事を思い出して頬を朱に染めながら俯いた。
「あ、あの……お慕いしていると言うのは、その」
「たくっ……んな事言われたら余計に惚れちまうだろうが。責任取れよ」
「えぇっ? あ、その、白夜様?」
白夜は月夜姫の顎をクイッと持ち上げると、ゆっくりと自分の顔を月夜姫の顔へと近付けて行く。
(これってもしかして、く、口付けですか?)
月夜姫はドキドキと高鳴る胸を押さえながら少し呼吸を荒くすると、意を決したようにギュッと目を閉じた。
2人の唇は触れ合う寸前まで近付き、遂に……
チュッ。
「んっ……」
月夜姫は押し当てられた温かい感触に思わず声を漏らす。じんわりと布に水滴を垂らしたかのように温もりが広がって行く。
額から。
白夜は5秒間ほど月夜姫の額に唇を押し当て続けると、やがて離してニィと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「んん? どうした? そんな鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して? もしかして唇にされるとでも思ったのか?」
「……っ」
月夜姫は顔を真っ赤にして小さく呻りながら、恥ずかしいやら嬉しいやら悔しいやらの感情の入り混じった瞳で白夜を睨む。白夜はそんな月夜姫の態度をむしろ楽しみながらケラケラと笑った。
「白夜様……最低です……」
「当然だ。俺だからな」
純粋な乙女心を弄ばれたような気分になり、月夜姫は不機嫌そうに白夜から視線を逸らした。
「おいおい。そんな怒んなよ。戦いが終わったらちゃんとしてやっからさ」
「えっ!? あ、そ、それはそれで、その……」
「楽しみにしてろよ? あまりにも凄過ぎて失神は必至だ。きっとお前は俺無しでは生きていけない体になる」
「そ、そうなんですか? 白夜様無しでは生きられない体になるんですか? 私」
冗談で言ったのだが、真に受けているのかノリで言っているのか分からない。多分前者なのだろうが、その反応があまりにも可愛らしかったため、白夜は思わず月夜姫を抱き寄せた。
月夜姫は驚き目を白黒させていたが、やがて状況が呑み込めたのかほんのりと頬を朱に染めて白夜に身を預けた。気が付けば、白夜のペースに乗せられて先ほどの不機嫌さは完全にどこかに飛んでしまっていた。
「月夜」
「はい?」
「明日は、しっかり頼むぜ。訓練の成果、期待してる」
「はいっ。……白夜様」
「ん?」
「明日は、竜魅達の事をよろしくお願いしますね」
「ああ〜、うん。分かったが、今この場で俺以外の奴の話はするなよ。嫉妬するぞ? 本当に俺無しじゃ生きられない体にするぞ?」
「えっ?」
「冗談だ」
白夜はケラケラと笑いながら月夜姫の頭に手を載せ、梳くように黒髪を撫でた。月夜姫は少しだけ頬を緩めると、気持ち良さげに笑みを浮かべた。
その後、2人は日付が変わる時刻になるまで、夜空を見上げながら平穏な時間を過ごした。
――戦いは目前に迫る。嵐の前の静けさがゆるやかに流れて行く。