EP3-017:Irregular
自分達の分を含めて4人分の食器を洗う建一の背中に、由乃は俯き気味の姿勢でちらりちらりと視線を送っていた。
由乃「(ど、どうしよう……。私が……私から何か言わないと)」
ようやく建一との会話に慣れ始めていた由乃が、こうも緊張した表情で言葉を探すのには訳があった。
それは1時間ほど前、建一がこれでもかというほど念入りに手を洗いながら「何か作るから腰掛けといて」と言った時の事。
由乃は建一の言葉に対して、ここは自分が作るという提案をした。
それは善意からの発言であったのだが、現在進行形で涎のついた手を洗っている建一は、それが原因で拒絶されているのではと曲解してしまい、呟くように「綺麗好きなんだな」と嫌味を溢した。
コミュニケーション能力が乏しい由乃が沈黙するには、そんな思わず漏れてしまった一言で充分だった。
由乃「(そんなつもりじゃなかった……けど)」
何度か赤羽君の手を遠ざけるような態度を取ったのは、事実なんだ。
赤羽君の態度に変わりはなく、今まで通りに私が声をかければ、ちゃんと答えてくれると思う。
つまりは、私がちっぽけな事に責任を感じすぎているのだろう。
でも、私は謝りたい。
謝りたいけど、ただ一言「ごめんなさい」と口にする勇気がない。
由乃「(なんで……私はこんなに弱いんだろう)」
ため息をついて、由乃は机に突っ伏した。
一方、建一は建一で、別の事で頭がいっぱいだった。
建一の視線は、今はもう綺麗に洗って伏せてある鍋に向けられる。
それは建一と由乃が使った食器ではなく、彼等の前に訪れた何者かが使ったものだった。
1時間前、結局自分の食事は自分で作る事になり、建一はまず、放置されている調理道具を片付けようとした。
まだ鍋の底に少しばかりスープが残っており、建一は「どれどれ」と一口味見をした。
建一「(あれは……間違いなく…………)」
好き嫌いが激しく、やたらと好みのものを突っ込む幼馴染が作る独特な味を、建一が間違える筈がなかった。
更に、口の中に不快な感触を感じて取り出してみると、とどめと言わんばかりに、長い茶色の髪が絡まったものがそこにあった。
建一「(間違いない、観崎がここに居たんだ。あいつまで、こんな……人体実験かもしれない計画に巻き込まれていたなんて)」
もう少し早く料理室を見つけていれば、会う事ができたのかもしれないと思うと、なんとも口惜しい。
食器が2人分放置されていたという事は、少なくとも単独行動はしていないのだろうが、それで観崎の安全が保障される訳じゃない。
一刻も早く見つけなければ……と思う半面、こうして皿洗いをしているのは、毎日と言っていいほど祖母の家事を手伝っている習慣が、体に染み着いてしまっているからだろう。
由乃「……あ、あの!」
と、背後から声がかかり、俺はいつの間にか流し台が空になっていた事に気付いて、洗った皿を拭くべくキッチンタオルに手を伸ばしながら、なんだいと聞き返す。
由乃「え、ええと……ご、ごめ―――いえ、お、お腹も満たされた事ですし、今後の事について、は、話しませんか……」
建一「そうだな……このまま他の生存者達と同じように、真面目に脱出する訳にはいかないよな」
別に間違った返しをしたつもりはないのだが、由乃は何故か「うぅ、私のばか……」と小さく声を溢して項垂れていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
B6Fに滞在する11人の生存者達の中で、最も次の階に近付いている2人組―――柳原銀河と志崎楓は、思わぬ人物に足止めされていた。
楓「な……何がどうなってるのよぉ。あんた警察なんでしょう!?」
楓が強ばった表情で指差した人物は、確かに警官服に身を包んでいた。
しかしその正体は、今現在、この地下施設を浸水させている張本人、杉森華僑だった。
華僑「まぁ、そうなんだけどな? 警察は警察でも、アタシは黒~い部分の部署にいる訳よ」
楓「黒い部分……?」
華僑「アンタみたいな小娘には分からねぇだろう。……が、お前は別なんじゃねぇか」
華僑の視線が、楓から銀河へと向けられる。
銀河「なんの事だ」
華僑「しらばっくれんなよ、お前は当事者じゃねえか」
銀河「当事者だと……? お前は、俺が何者なのか知っているのか」
どうも話が噛み合わないな、と華僑はしばらくぽりぽりと髪を掻きむしっていたが、何かに気付いたらしく「あぁ、そうか……」と呟いた。
華僑「今はもう……『無記憶媒体』って言ったっけ? 脱け殻のくせに自我があるとかなんとかって、雨ノ宮が騒いでたな」
銀河「雨ノ宮……。なんだ、その名前は何処かで……」
華僑「闇医者"雨ノ宮伸"―――そりゃあ、聞き覚えがあるだろうさ。『お前に直接手を加えて無記憶媒体にした』のは、あいつなんだからな。アンタは自ら望んでそうしたと聞いたが?」
銀河「なに、俺が記憶を…………自ら望んでだと?」
感情表現が乏しい筈の銀河が、あからさまな動揺を浮かべて後ずさるのを見て、楓は息を飲んだ。
楓「ちょ、ちょっとやめなさいよ! 第一、そんな簡単に、人から記憶を奪ったり出来る訳ないじゃない!」
華僑「あーもう、うっさいなぁ。あんたも後数日そいつと居れば分かるさ、定期的に記憶がリセットされる無記憶媒体のメカニズムを見ればな」
楓「な……」
楓の脳裏を『短期間記憶喪失』という単語が過る。
だが、短期間記憶喪失はつい最近の記憶が失われ続けるのであって、自分が何者かまで忘れてしまうというのはおかしい。
しかし、銀河は会話や武器の扱いなど、確かに長期的記憶が残っている節がある。
楓「じゃあ、これは……え?」
華僑「お子様には難しい話だったか。見知った顔があるから、昔の話ができると期待してたのによ」
踵を返して階段のある方向に立ち去ろうとする華僑の背中に向かって、銀の閃光のような軌道が走り抜けた。
ガキンと金属音を響かせて、銀河のナイフと華僑が後ろ手で構えた警棒とが衝突した。
銀河「……話せ、お前が知っている『柳原銀河』について、全部話せ!」
華僑「ハァ? お前、何を聞いてたんだ。どうせ数日後にはリセットされる記憶に、なんでアタシが時間割いて無駄話しなきゃなんねぇんだ」
銀河「それでも知りたい。記憶を求める事こそが、俺が生きている意味なんだ」
華僑「………めんどくせぇ。めんどくせぇよ、お前」
警棒でナイフを払い、華僑は眉間にしわを寄せながら振り返った。
楓は最初、その形相が人間に作れるものとは思えずびくりと身体を震わせた。
華僑「しゃあねぇ、記憶を失っては求めてを繰り返す哀れなアンタを、アタシがここで終わらせて……」
警棒を振り被った華僑が、突然動きを止めた。
心なしか顔をひきつらせて、冷や汗を流しているように見える。
銀河「……?」
その視線が自分達の背後に向けられていたため、釣られるように銀河達も華僑の視線の先を確認した。
……そこに居るのが、園児服を着た幼き少女だと理解した途端、楓は叫ぶ。
楓「こ、こっちは危ないから、来ちゃ駄目ぇっ!!」
しかし、少女の歩みは止まらない。
何故、と疑問を浮かべている間にも少女は足を進め、いよいよ手を伸ばせば届く距離まで近付いて来た時、ようやく口を開いた。
姜「御気遣い有難うございます。ですが、わたくしを心配して下さるのは杞憂というものですわ。そちらのお二方は、重々承知のようですが」
一風変わった口調に首を傾げながらも、楓は銀河と華僑の様子を確かめる。
すると確かに、2人は園児服の少女を警戒しているようだった。
華僑「アンタは、まさか……?」
姜「あらあら、華僑様ではありませんか。でしたら、わざわざ説明するまでもありませんわね」
華僑はしばらく目を見開いて、信じられないものを見るような目で瞬きをしていたが、彼女の中で何かが吹っ切れたのか、突然声を上げて笑い出した。
華僑「は、はは……ハハハハハハ!! マジか! マジでなのかよ! マジで成功者になっちまったか、姜!!」
今にも床を転がりそうな勢いで、腹を抱えて笑う華僑。
事情が全く読めない銀河と楓も、警戒対象が目の前の警官から園児服の少女に移った事だけは理解した。
姜「野良犬が紛れ込んで居る事は分かっていましたが、まさか貴女だったなんてね……華僑様?」
華僑「はぁ、はぁ……獣の馬鹿が、龍哉の始末がどうとかでアタシを呼んだのさ」
姜「へぇ……"彼"の弟君がこちらに? 無記憶媒体までいらっしゃるようですし……もう滅茶苦茶ですわね」
少女は銀河に一瞬だけ視線を送ると、いつ見ても美味しそう、と呟いて舌なめずりをする。
それがあまりにも園児の仕草とはかけ離れていたため、楓は顔をひきつらせた。
姜「でも、貴女少しばかりやりすぎましたわ。ダム直通水路解放に伴う浸水………これではシカバネアソビが成立しませんもの」
比較的早いペースで階層を進んでいる銀河達は、浸水の事を知らない為、2人の会話についていけずにいた。
華僑「ダラダラ成功するまで繰り返す計画なんか糞くらえだ。チャンスは一度きりでないと、アタシが待ちくたびれちまう」
姜「でしたら、もう満足したでしょう。プレイヤー達に干渉せず、大人しくしていたらどうです?」
華僑「悪いが、獣の野郎に目をつけられてる上に、隆鉄の教え子まで紛れているんじゃ、じっとしてらんねぇんだよな」
2人は睨み合ったまましばらく膠着していたが、やがて姜がため息をついて首を横に振った。
姜「では、死んで貰う他ありませんわね」
華僑「冗談、そんなちみっこの図体でアタシに敵うとでも―――」
さくっ
瞬きする間に、姜は華僑の懐に潜り込み、腹部にナイフを突き刺していた。
姜「油断しましたわね。ちみっこにしか出来ない事もありますのよ」
華僑「……こんの、クソガキが」
なんとか急所への命中は避けたらしいが、ナイフの柄が生えた根本からはじわじわと血が滲み出ている。
何処にそんな力が残っているのか、華僑は腹部に刺さったナイフを押さえて、荒々しく警防を振り下ろした。
姜がやむなくナイフの柄から手を離して距離をとると、華僑は忌まわしいものを見るような目で姜を睨んだ後、ここぞとばかりに逃げ出した。
姜「あらあら、仕留め損ないましたわね……」
そして再び、姜の視線は銀河達へと向けられる。
楓は、自分よりも幼い少女が顔色ひとつ変えずに人を殺そうとした事に脅え、銀河の後ろでガタガタと膝を痙攣させていた。
銀河「シカバネアソビ、プレイヤー、無記憶媒体……そこまで詳しいお前は、一連の誘拐騒動の犯人という解釈で合っているな」
姜「その通りですわ、無記憶媒体さん。最も、犯人はわたくし一人だけではありませんが」
その無記憶媒体という単語に、銀河は顔をしかめる。
銀河「……本当なのか。俺が自ら望んで、雨ノ宮という者に記憶を断たれたのは」
姜「あら、華僑様ったらそんな事までお話しになったのですか」
その反応から、やはり本当の事なのだと解釈して、銀河は俯く。
姜「残念ですがわたくし、これ以上あなた方のお相手をしている暇はございませんの。なるべく早く浸水の対策を致しますから、せいぜい頑張って下さいな」
姜はひらひらと手を振ってから、華僑と同じ方向に駆けていった。
はぁ、と安堵の声を漏らした楓は、頬をぴしゃりと叩いて気分を入れ替える。
楓「ちょ、ちょっと、あんた大丈夫?」
銀河「―――」
銀河は顔を俯かせたまま、何も話さない。
記憶を探すことが銀河にとってどれ程大切な事なのか、楓は重々承知していたため、どう声をかければいいのか分からずに頭を掻いていた。
しかし、銀河が返事をしないのには別の理由があった。
その身体が糸を切られた操り人形のように崩れるのを見て、ようやく楓はそれに気付く。
楓「し、しっかりしなさいよ! ねぇ、どうしたのよ……銀河!!」
いくら揺さぶっても、頬をひっぱたいても銀河は目を覚まさない。
……それもその筈だ。
彼もまた、B8Fで気を失った時の建一と同じ『シカバネ』として、意識を深く黒い闇の中に沈ませていたのだから。




