EP2-041:帰還
意識は朦朧と、夢の中をさ迷っていた。
真っ黒な視界の中、一人の男性がこちらに背を向けて立っている。
誰なのか問い掛けようにも、俺は『ここ』での言葉の発し方を知らない。
『俺が見えるという事は、目覚めが近いようだな』
どうやら、言葉にせずとも俺の意識は彼に伝わっているらしい。
『最後にひとつ、聞いておこう。貴様は今まで、理不尽な出来事に苛まれ続け、世の中を嫌っていた』
確かにその通りだ。
その通りだけれど、今は違う……もう昔の話だ。
『そう、昔の話。だからこそ知りたい、いったい何が貴様を繋ぎ止めたのか』
俺を繋ぎ止めたもの、か。
それは多分、ただ流されるまま生きている、こんな俺を求めてくれる人がいたから。
俺が父さんや母さんを求めたように、誰かに求められる存在になれた事が、嬉しかったのかもしれない。
『……そんな些細な事が、生を求める渇望となるのか』
人と人との繋がりは、些細かもしれないけれど、最も自分の存在を強く認識できる。
そこに、自分が生きている価値を見出だすんだ。
『繋がり、価値……。俺には辿り着けなかった結論だからこそ、か』
彼は納得したようにため息をつき、サラサラと風化して消え去った。
―――貴様は、自らがこだわり求めた"日常"とやらをせいぜい楽しむといい。
………
……
…
朦朧とした意識の中、早朝の冷たい空気で徐々に眠気が削られてゆく。
建一「うぅ……ん」
身体を起こすと、そこは見慣れた自宅の一室だった。
実はよく似た作り物で、扉を開けたらまたあの地下施設に居るのではないかと不安になるが、窓を開けて晴れ渡る空を見て安心する。
建一「なんだか、随分長い夢を見ていた気がするな……」
携帯電話を確認すると、まだ起きるには早い時間帯だった。
建一「もうひと眠り………は、流石に二度寝しそうだな」
とりあえず、制服に着替えよう。
………
…………
……………?
建一「なんの悪戯だよ、これ」
クローゼットに伸ばした手には、そこに存在してはいけなかった"ハンカチ"が巻かれていた。
―――いや…………いやいやいや………ないだろ、えっ、夢だったんだよな。
建一「観崎のやつ、ま、またタチの悪い悪戯しやがって……呼び出して説教してやる。呼び出して―――」
カタカタと震える手で右ポケットの携帯電話を取り出し、観崎に電話をかける。
建一「(頼む、出てくれ……!)」
1秒、3秒、5秒、10秒、不安は膨れ上がってゆく。
しかし、観崎が電話に出る気配はない。
いや、出られる筈が無かったのだ。
―――ヴーッ、ヴーッ!
観崎の携帯電話は、俺のズボンの左ポケットで震えていたのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆
あの施設での出来事が夢でなかった事は、やはりショックだった。
しかし、悲しんでばかりいては見えるものも見えなくなってくる。
―――まず、俺が行方不明であった空白の期間について。
俺が家に帰らぬ間、婆ちゃんは捜索願いを出していなかった。
どうも、俺は休日に遠出していた事になっているらしい。
婆ちゃんにそう思い込ませたという、俺と同じ声の留守電を聞いた時は、鳥肌が止まらなかった。
―――次に、観崎について。
これは、観崎の父親に報告に向かおうとして直ぐに分かった。
俺が観崎の死を報告する間でもなく『遠出をした帰りのバスが交通事故を起こした』という扱いで、観崎の遺体は初川家に帰っていた。
そこには、長年家を留守にして自由奔放に遊び呆けていたはずの観崎の母親、初川里里さんの姿もあった。
観崎とは敬遠の仲だった筈の彼女は『お前は、私より先に死ぬ為に生まれてきたのか』と遺体に殴りかかる勢いで暴れていて、親族の人達が必死に押さえていた。
以前、私の母親は最低だと観崎は言っていたが、娘の骸に向かって怒鳴る里里さんの姿は、母親以外の何者でもなかった。
俺が調べて、なんとか分かったのはこれだけ。
一番気になっていた"あの少女"についての事は、何の手掛かりもなく、分からないまま、時間だけが過ぎていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
木々のざわつく丘の上で、ただ一本の広葉樹に龍哉はもたれかかった。
龍哉「久しいな」
「おう、あれからきっちり3ヶ月だ。時間が流れるのは早ぇもんだな」
木を挟んで反対側には、気を失った飛鳥と建一の元へバイクで駆け付けた女性の姿があった。
「春なんだからよ。もっとこう、満開の桜とか、いい場所があっただろう」
龍哉「花見をしにきた一般人に話を聞かれても構わないのなら、それでもいいが?」
「冗談だよ。風情がないってだけだ」
龍哉「時に、君に任せた彼等は、変わりないか」
「あぁ、とりあえずはな」
龍哉「………そうか」
「テメェこそ、無記憶媒体を引き取って、何をしてやがる」
龍哉「彼は、柳原銀河という『一人の人間』として生かす術を考えている」
「すっかり別人のように善人になっちまいやがって………裏があるんじゃねぇのか?」
龍哉「……別に。俺が探し求めていたものは、とうとう見つからなかった。それだけの事」
それからしばらく、2人は特に言葉を交わす訳でもなく、春の曇り空を見上げていた。
やがて、決心したかのように女性が口を開く。
「アタシの独り言だ。聞き流せ」
龍哉「あぁ」
「返事すんなよ。聞き流せってんだ」
龍哉「………」
「アイツにも、シカバネアソビなんてとんでもねぇ計画をおったててまで"そうする理由"があったんだろう。アタシらの知らねぇ、アイツに見えていたものが」
龍哉「……そうだな」
「だから独り言だっつってんだろ………ったく。んで、例の話、あの男に会わせて貰うっつーのはどうした。ちゃんと呼べたんだろうな」
龍哉「もう近くまで来ている頃だろう。詳しくは知らないが、父親の情報には目がないからな」
そう話し終えると、龍哉は春風に吹かれながら立ち去っていった。
「ふん。どこぞの誰かに似て、可愛げのない奴だ」
女性はタバコとライターを取り出して、火をつける。
「………んで、アンタも吸うかい」
「―――」
いつからそこに居たのか、30代半ばと思われる年齢の男性が、枯れ木の影から姿を現す。
「……ま、アタシの用意したタバコなんざ、胡散臭くて吸えねぇわな。父親に似て用心深い奴だ」
"父親"という言葉に反応して、男性の眉が微かに動く。
「そう急くなよ、時間はたっぷりあるんだ」
「―――」
「ま、結論から言うと、テメェの父親は御陀仏しやがった」
「そうか」
今まで黙っていた男性が、父親の話になった途端、口を開くようになった。
「アンタは、父親がくたばって、なんとも思わないのか」
「朗報だ」
男の表情に動揺はなく、特に悲しむ訳でもない。
父親が死んで清々している、といったところだろうか。
「そーかいそーかい。随分嫌われたもんだねぇ、あの男も。証拠の提示もないのに、アタシの発言を信用していいのか?」
「むしろ証拠があれば、逆に情報の質を疑う。提示できるような証拠を残す奴じゃない」
「かーっ、まぁその通りなんだけどさ。変な所で父親を信用してんのな」
「こちらの用は済んだ。お前の要求を言え」
「可愛げのねぇ男ばかりが知り合いで嫌になるねぇ。……アタシが聞きたいのは、飛鳥の事だよ」
「……飛鳥?」
「忘れてんのか? 静山飛鳥、10年前テメェが唯一殺さずに野放しにしたガキだよ」
「………あいつか」
「殺さない代わりに随分いたぶってやったらしいが、それが無かったら、恐らく私は飛鳥に出会えてすらいなかった。だから、咎めるつもりはねぇ」
「では、なんだ」
「理由が聞きたい。アンタが飛鳥だけを殺さなかった、その理由を」
「あの時は丁度、生き延びる為の情報を人から得る事も必要だと考えていた。それだけの事だ」
「ハッ、さんざん殺しておいて、飛鳥だけそんな気まぐれで見逃されたのかい。殺人鬼様の考える事は分からんねぇ」
………アンタの父親もまた、死に際に飛鳥達の事を逃がした様子がカメラに保存されていた。
親子揃って根っからの殺人鬼の癖して、気まぐれを起こす相手まで似通ってるってのは、皮肉が利いてるね。
「アンタが、父親と同じ結末を辿らない事を祈ってるよ」
「―――」
現れた時と同じように、気が付くと男の姿は消えていた。
2本目のタバコを取り出そうとして、女性はクククと笑みを溢す。
「ちょっとは可愛げあるじゃねぇか」
取り出した箱の中身は空で、先刻まで男が立っていた場所には、いつの間にか無数の吸い殻が散らばっていた。
「……さて、アタシも最後の用事を片付けに行きますか」
丘から一望できる場所にある街に向かって、女性は歩き出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
あの事件から3ヶ月の時が過ぎ、私は今日、高校の卒業式を迎えていた。
かつての私は人を遠ざけていたから、友人に恵まれた青春を謳歌する事はなかったけれど、こうして卒業証書を受け取ると、なんとも虚しい気持ちになる。
飛鳥「……私はこれから、どんな道を進んでいけば良いのかしらね」
無事にあの施設から帰還できたのは良かったが、あれから建一に会う事はおろか、事件に関しての手掛かりさえ掴めていない。
一時は、このまま進学して、それなりの学歴で、それなりの就職をして、安定した人生を歩むのもありかもしれないと考えた。
けど、私がこうして生きていられるのは建一のお陰だから。
飛鳥「私は貴方を諦めない。絶対、見つけるから」
私は、進学先の内定を蹴った。
10年前の事件以来、いつ何が起きても良いように、色々と準備をしていた。
情報収集のツテは無いけれど、もし"あの人"に会う事があれば、お金で解決するかもしれない。
飛鳥「(そう。誰も信用しなかった私が、初めて『互いに利益を生み出す関係』になる事で、無理矢理信用した人)」
今思えば、あの人が居たからこそ、私は10年という歳月を生きてこれた。
いつの間にか、私の前から姿を消していた彼女は、今頃どうしているのだろう―――
「―――卒業、おめでとさん」
飛鳥「なっ………」
「安定した未来を踏み倒してまで、やりたい事を見つけたんだな」
今、まさに会いたいと思っていた彼女が、校門前に立っていた。
何故、貴女は私を残して姿を消したのか。
どうして、私が本当に困っている時は、いつも何処からともなく現れてくれるのか。
言ってやりたい事は、沢山あったけれど………
「うおっ、いきなり抱きつくたぁ、らしくないんじゃ………」
飛鳥「生きてたのねっ。良かった……ほんとに良かった………!」
母親同然である彼女の胸で、長年堪えてきた寂しさと、再開できた嬉しさに、私は涙を流し続けた。
「……反則だろうが、ツンデレ小娘が」
そして、彼女もまた満更でも無さそうな表情でされるがままになっている。
桜の舞い散る季節、再会しなければならない人がもう一人居るけれど、今は懐かしい思い出と共に彼女との再開を喜んだ―――




