EP2-004:白銀廻廊
永久とも思える悠久の眠り、そこには何も存在しない。
身体も、心さえ感じられず……あるのは眠っている淡い灯のような意識のみ。
――……覚…ヨ
声が聞こえる、俺を呼び覚ます静かな声。
――…目覚メヨ
その声に従おうとしても、俺はもう目を覚ます手段さえ忘れてしまっていた。
だから、目覚める必要は無い。
――記憶ヲ。失ワレタ記憶ヲ求メヨ
失われた、記憶。
記憶…?
かつて、俺には記憶などというものがあったのだろうか。
もし、そんなものが存在するのなら……
もし、それを取り戻す事が出来るのなら……
――求メヨ
…俺は"それ"が欲しい。
この悠久の眠りの中で、もう二度と自分が何者なのかを忘れないように。
無から有へと。
覚醒する、光が差す。
白に染まった景色の中。
悠久の刻を過ごした視界の中。
その『声』に導かれて、目覚めの前兆を感じていた。
………
……
…
光、眩しい光。
太陽のそれとは違う、人工的な光。
その光が眩しくて、左手で視界を遮る。
徐々に目が慣れてきて、身体を起こし周囲をゆっくりと観察する。
真っ白な部屋、純白のベットの上に俺の身体は横たえられていた。
「……」
何故、俺はここに居るのか。
俺は何者なのか、何も思い出せない。
"記憶を求めよ"
眠った朧気な意識の中、確かにそんな言葉を聞いた。
「記憶……記憶か」
損失感、ぽっかりと抜け落ちた空白の記憶。
そうだな、記憶探し……ひとまずはそれが目的になりそうだ。
しかし、手段はどうする?
記憶に繋がる物、出来事、或いは俺を知る人物との接触。
その全てが、この場所では叶わない。
ならばそれらを探し求めて、何処か別の場所へと移動するしか無さそうだ。
周囲を観察すると、袋のようなものが部屋の中心に置かれていた。
「……?」
袋の中には、直方体の物質と、コードのようなもの、そして1枚の紙切れが入っていた。
どれも何処かで見た事があるような気がするが、詳しい事は思い出せない。
そして、ゴミか何かだと思って摘まみ出した紙切れに、文字のようなものが綴られている事に気付く。
――読める。
俺はこの文字を知っている。
見知った単語の羅列をゆっくりと目で追い、頭の中で文章の意味が組み立てられてゆく。
『柳原銀河様。当方では貴方の私物を入手する事は叶わず、これを私物として扱います』
柳原銀河、これは人の名前か。
だとしたら誰の名前だ?
…いや。
この名前、何処かで聞いた覚えが……
銀河「…俺の名前、か」
そうだ、これは俺の名前。
朧気だが思い出せる、この名前を何度も呼んでいた誰かの声。
だが、その人物が誰なのかまでは思い出せなかった。
銀河「…まぁ、いい」
こうして名前を思い出す事は出来たんだ、他の記憶もいずれ思い出せる。
それには今のようなきっかけが必要だ、こんな所でじっとしている場合ではない。
――もっと、記憶を。
彼の…銀河の刻はこうして動き始める。
他の誰とも違う「記憶探し」という異色の目的を得て、ゲームなど関係なく……求めるがまま欲するがままに、柳原銀河は戦場に足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
愉快な鼻歌を歌いながら、小さな影がステップを踏む。
その楽しそうな足音は、ここが戦場である事を微塵も感じさせない。
それもその筈。
彼女……珠田まるは、戦場という概念をフィクションの世界でしか感じた事がない。
だから今自分の身に起きているのは、ゲームのような楽しい出来事なのだと信じて疑わなかった。
故に、危機感など持ち合わせている筈がないのだ。
まる「るんたっるんたっ、るんたった~♪ ふふふのふっふ~♪」
こんなに広い建物は初めてかもです、どっちがどっちだか全然分からないです。
ママは見当たりませんが、こんな時こそパパの言葉を思い出します。
――悩み事か? まぁ、とりあえず笑っとけ、笑っときゃあなんとかなるさ。…なっ?
まったく無責任で投げやりにも程があります。
でも、嬉しかった。
まるに笑っていて欲しいっていう優しい気持ちは、よ~く分かりましたから。
ママはいつもだらしないパパを叱っていましたが、それも含めてまるはパパが大好きでした。
今でも……ずっと。
まる「ふんふふふ~ん♪ お出口は~、右側左側~?」
本当は分からないんですけど、行き先が分からない時は冒険あるのみ。
そんなこんなでぶらぶらと歩いていると、目前の十字路を人の上半身のようなロボットが横断してゆきました。
…浮いてました。
まる「か…カッコイイっ!?」
その両手には大柄のブレードとライフルが握られていたが、興奮したまるにはそれさえ好奇心の対象である。
自分の目の前にあるものがアジャスターと呼ばれる殺人機械だとは知らず、まるは衝動に駆られるがまま走り出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
事は順調に進んでいる。
資料室というものを発見し、中には地図があった。
地図を持ち運ぶ手段を考えたところで、自分が持ち歩いている袋の中にある物質が、携帯電話と呼ばれる機械と、その充電ケーブルである事を思い出す。
携帯電話のカメラ機能を使って地図をデータ化し、料理室へと武器調達に向かう。
何故、武器が必要なのか。
自問自答しても答えは見つからない、ただ自身がそれを求めているのならば、それに従えば何かの記憶に繋がるかもしれない。
調理器具の収納された棚を漁ると、探していた果物ナイフを見つける。
手にすると、それは想像以上に手に馴染んだ。
ただ、それは明らかに果物の皮を剥くための持ち方ではない。
銀河「……俺は、どんな人物だったんだ」
地図を見て、真っ先に考えていたのは武器の調達。
目指すべき階段と武器管理室という場所とは方向が真逆である事を確認して、果物ナイフや包丁が用意されているであろう料理室に赴いていた。
恐らく、記憶を失う以前から俺は武器を持ち歩いていたのだろう……と、予測する。
――この妙に手に馴染むナイフを振るってみれば、思い出せる事もあるだろうか。
その思考が危険である事を銀河は知らない。
"常識"が欠落した銀河は、楓のような疑心暗鬼に陥り易い人物とは別の意味で危険因子だった。
キィィィィィ……ン
料理室の外から聞こえてきた機械の動作音のようなものに銀河は振り返る。
銀河「…騒がしい」
音の正体は分からないが、不愉快だと感じた。
そう、不愉快なのだ。
その音源を再起不能になるまで叩きのめしたい、そんな黒い欲求が沸き上がって来る。
銀河「(徐々に近づいて……ふむ、扉の前を通過したか)」
どうするべきか考えている場合ではない、見失う前に追わなければ。
駆け足で料理室の出口に向かい、扉を開け放つ。
「あ、あわわっ!?」
銀河「……!」
真横から誰かの声が聞こえたと思った、次の瞬間――
ぼふっ
まる「……もふっ!」
俺の左足に小さな頭が突撃した。
銀河「……」
…これを振るう相手は、別にあの不愉快な音の出所でなくとも構うまい。
ナイフを握る手に力が込められる。
まる「あ、あわっ……ごめんなさ……っ」
頭を下げようとしたまるの瞳に、銀河の持つ果物ナイフが映る。
まる「……悪者さん?」
銀河「俺は悪者なのか」
まる「まるに聞かれても困ります」
じっと見つめ合い、まるはしまったと表情を焦りに変えて銀河を背に走り出す。
まる「悪者さんから逃走劇です~! 助けてカッコイイ正義のロボットさ~ん♪」
大して恐れる訳でもなく、楽しそうにしているまるに呆れに似た感情を抱く銀河。
銀河「…警戒という言葉を知らないのか?」
そう口にして後で、記憶を失った自分が言えた事ではないと気付く。
しかし、あの子供は一体何処に向かって……
銀河「…まさか」
あの"音"に向かって…?
確証は無いが、あれは危険なものだと俺の勘が告げている。
しかし、ただ数度会話をしただけの子供を助ける道理はない。
俺は俺の為に動く、それだけだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
あぶないあぶない。
全面的にまるが悪いのですが、危うくあのロボットさんを見失うところでした。
なんなんだろう、あのロボットは。
どうやって浮いてるんだろう。
興味は尽きない。
まる「むー、いよいよこれがまるの夢なのか怪しいです」
彼女の追う機械"アジャスター"の行動は、ターゲットを補足するまで一定の通路を往復するというもの。
それを武器も持たずに追うという事は、自滅を意味する無謀な行為。
"知らなかった"では済まさなれない、やり直しは許されない、この戦場はそういう場所なのだ。
まる「……へ?」
ただの好奇心でアジャスターを追っていたまるは、その異変に思考を停止せざるを得ない。
先刻まで"正義のロボット"と称して追っていた機械が、振り返ってまるに大きくブレードを振り上げる意味など分かる筈もない。
混乱した中で、この状況が"危険"である事までは思案するも、それまでだった。
その幼き身体に、不気味に光を反射させる刃物が振り翳される。
――まる、夢が覚めたらパパのところに行くのかな……
ふと、そんな言葉が彼女の脳裏に浮かんでいた。
「避けろ、死ぬぞ」
まる「……っ!」
機械と自分の間に誰かが割って入っている事に気付くも、まるはどうすればいいのか分からず立ち尽くしている。
それを横目で確認した何者かは、アジャスターのブレードが自身に命中する前に機体を蹴り飛ばした。
浮遊によって場に踏み留まる事の出来ないアジャスターは蹴りの運動エネルギーをもろに受けて10数メートル後方まで後退する。
まる「……さっきの、悪者さん?」
銀河「俺の行いが悪事に見えるのなら、勝手にそう思っておけ」
急いでいたとはいえ、まるはつい先刻ぶつかった相手の事を忘れてはいなかった。
まる「何が……まる、ロボットさんに悪いことしてないのに、なんで怒ってるんでしょう」
その呟きに、銀河はため息をつく。
銀河「機械に感情などあるものか。どのみち武器をあからさまに見せつけているのなら、人間だろうが機械だろうが排除すべき敵だ」
まる「…それだと"あーるぴーじー"の正義の勇者さんも悪者さんになってしまいます」
銀河はまるの言う"RPG"というものを知らなかったが、"正義の勇者"とやらが武器を所持しているのだろうと推測する。
銀河「正義を討つ事でしか生き残れないのなら、俺は悪者で構わない」
まる「ん~……じゃあ、まるもおにーさんも悪者さんですね!」
まるがぱちっとウインクをすると、その仕草の意味が分からないのか銀河は首を傾げる。
二人の会話を妨害するように、アジャスターがライフル銃の安全装置を外す。
銀河「……下がれ、どうやら続きを御所望らしい」
まる「りょーかいですっ、レベルアップの経験値になる前にゲームオーバーにしてやってくださ~い!」
通路の曲がり角に隠れるまるを尻目に、銀河は唯一の武器であるナイフを取り出した。
銀河「(元々、この不愉快な機械を沈黙させる事だけが目的だったのだがな)」
結果的に、助ける義理のない子供を救う事になってしまった。
悪者扱いされた手前快く思われていない可能性もあったが、敵対の意志が無いのなら戦いの邪魔にはならないだろう。
銀河「…先に仕掛けたのはお前だ。俺の記憶探しの糧になって貰うが、文句はあるまい」
アジャスターは銀河の不愉快に思う機動音をより激しくして、ライフルを構える。
それはまるで、アジャスターが銀河の言葉に応えているような動作。
人である銀河より、よっぽど人間らしい反応だった。
……機械には、感情なんてない。
これではまるで、俺が機械で奴が人間のようだ。
銀河「…理解できないな」
そう吐き捨てるように呟き、銀河とアジャスターの戦いが始まろうとしていた。




