EP1-022:救いを求める心
B4Fの廊下に、ずかずかと苛立たしい足音が反響する。
その足音の主はいかにも「不機嫌」と言いたげな表情で大きく息を吸い込む。
「ほんっと、苛々するっ!」
そして誰に言う訳でもなく放たれた言葉は、そのままだだっ広い廊下に吸い込まれていった。
私の名前は楓、志崎楓。
引き篭り生活というちょっと普通じゃない日常を満喫していた筈の中学2年生だ。
別に中2だから厨ニ病だなんてありきたりな設定は無いから安心して欲しい。
楓「まったく、なんでこんな事になるのかなぁ」
そもそも私が不登校になった理由はエスカレートしすぎた「虐め」から身を守る為であって、常に警戒心を抱きながら過ごしていた私がこんなにも簡単に誘拐されてしまうだなんて思いもしなかった。
やっぱり運動不足を避ける為に朝方にランニングをする習慣をつけてしまったのがいけなかったのだろうか。
楓「…にしても、随分とクレイジーな奴に誘拐されちゃったみたいね」
今まで上の階へと登る度に見てきた数々の「ゲームのような条件」を思い出す。
しかし、私はそんな条件をクリアした覚えは無いのにB4F…つまりは全体の半分の階層を登る事が出来た。
唯一行う必要があったのは、
『B5F通過条件:この条件での通過は満たした人物のみに適用される。
自動人体調理機械によって生成された肉片を食す』
という、なんとも現実味の無い内容だった。
機械には血液が入っているように見えたが、こんなに巨大な施設を作ってしまう奴なら簡単に偽造できる事だろう。
それと何度か宙にぷかぷか浮いてる銃を持ったロボットを見たけれど、あれもどうせ見かけ倒しの監視カメラ用途なんだろうなぁ。
となると、やっぱり「私がどんな反応をするか」を確かめたいだけのクレイジー野郎に誘拐されてしまったのか。
まぁ、性欲まみれの屑に目をつけられるよりかはマシなのかもしれないけど…
楓「……っと、なにを比べてるんだか。どっちも屑だっての」
やれやれと首を振る。
―――所詮、リアルなんて救いも何もありゃしないのよ。
楓「…早く家に帰りたい」
唯一私が心を落ち着けられる場所。
ゲーム、漫画、アニメ…
それらの娯楽は、現実にあった出来事を忘れるのに充分な役割を果たしていた。
…っと、落ち込んでても何も始まらないよね。
楓「さっさとこの階の階段をみつけ…」
パンッ!
突然の破裂音に心臓が跳ね上がる。
映画だかなんだかで聞いた事のある音と同じだったから、私は直ぐにそれを"銃声"だと解釈する事が出来た。
取り敢えず私の身体が無事である事を確認して安堵のため息を零す。
楓「今のって…まさか、本物の銃声…?」
音が同じだからといって本当にそれが銃声だとは限らない、私をおびき寄せる為の罠だという可能性もある筈。
でも……
楓「ちょっとだけ、なら…」
その"非日常"を見てみたいという好奇心に逆らう術を、私は知らなかった。
銃声の元へと1歩、また1歩と足を進めてゆく。
――ブチブチッ
私がその通路に顔を出した途端、目の前の「何か」から異様な音が聞こえた。
その「何か」は犬のような身体をしていて、その頭から鋼色の装甲を無理矢理引きはがされているようだ。
犬らしき物を中心に広がってゆく血溜まりから、その装甲は犬の体内まで食い込んでいるのだと理解する。
―――ブチッ、ブチブチッ!
楓「ひ……ぃ!」
見てはならないと思った。
今すぐこの場を離れろと頭の中のアラートがうるさく鳴っている。
……けれど、恐怖で足がすくんで動かない。
「―――貴様」
そして、ついに犬の装甲を引きはがしていた男と視線を交えてしまった。
楓「い………や……」
こんな人間がいるのかと疑いたくなる程の眼光、威圧感。
そんなものは空想の世界にしか存在しないと思っていたのに、今目の前にいる男の存在感はまさにそれだった。
その男の血に塗れた腕が、私に向かって―――
楓「嫌ああああぁぁぁぁああああああああああっ!!」
殺される、確実に殺されるっ!
動け、私の足!
動いて、動いてよ…!
死にたくない、まだ……私は死にたくない……っ!!
……ドクンッ!
楓「!」
一瞬心臓が激しく高鳴ったと思った直後、さっきまでの恐怖が嘘だったかのように消え去る。
冷静さを取り戻した私は、伸ばされた腕から逃れる為にしゃがみ込んだ。
男の腕が頭上を通り過ぎたのを感じて、私はそのまま男とすれ違うように真っ直ぐ駆け出した。
「…? そうか、制御したか……しかし、逃がしはしない」
一心不乱に走っていた私に分かったのは、男が「何かを仕掛けようとしている」という事だけ。
楓「……ッ!」
もしかしたら狙撃されるのではないかと思い込み、立ち止まって近くの扉を盾にしようとする。
……しかし、それがいけなかった。
「―――そこだ」
ピピピッ……ピッ!
男が握っていたのは銃ではなく黒い電卓のような機械。
その機械から耳につく電子音が聞こえて来て、私は男の意図が掴めずにただ焦りの感情だけを高ぶらせる。
そして、次の瞬間―――
ジャラジャラジャラジャラ!
壁から勢い良く飛び出したチェーンが私の左足を捕らえ、気が付けば"逃げられなくなった"という現実だけがそこにあった。
楓「ちょっ……う、嘘!?」
鎖の先についた拘束具を取り外そうと力を込めて引っ張るが、びくともしない。
「……聞こえなかったのか? 逃がしはしない、と」
感情の無い無機質な言葉で私に語りかけてくる男。
恐い、気味が悪い、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。
それでも恐怖を押さえ込んで、私は男を睨みつける。
楓「あ、アンタっ……私をこんな建物に連れ込んで、なんのつもりよっ!?」
「……生憎、いちいち質問に答えてやるような親切心は持ち合わせていないのでな。 お前は勘違いをしている……とだけ言っておく」
楓「……っ、それで、なによ。私を襲うつもり?」
それだけはなんとしても避けたいから、なるべく男に嫌われるような醜い表情を作る。
すると男はつまらないものを見るような目でため息をつき、その口を開いた。
「……質問がある」
楓「……し、質問?」
予想していたよりも斜め下の要求に、私は首を傾げる。
「お前はこの建物で何か"夢"を見たか…?」
楓「ぶっ」
訂正、斜め下なんてものではない……理解不能の領域だ。
楓「夢なら"愛と希望に溢れた2次元世界に行く事"だけど、それがどうかしたの?」
「ふざけて………は、いないようだな」
そう呟くと、何をする訳でもなく男は私に背を向けて歩き出した。
楓「ちょっと! ……そ、それだけ?」
素直に見逃して貰えば良いものを、気になって呼び止めてしまった。
「……本当に何も知らないのだな、お前は。そこで俺が殺した偵察獣ビーストは、殺人機械アジャスターを呼び寄せる。鎖で壁と繋がれたお前がどうなるか……言うまでもない」
楓「そ、それって…」
私がその…殺人機械アジャスターっていうのから逃げられないって事?
そういえばブレードと銃で武装した妙なロボットを見かけた気がする、あんなのが沢山集まって来るって事?
私……どうなっちゃうの?
楓「まっ……待ってっ!」
呼び止めようと男に言葉をかけるが、既に私の視界に男の姿はなかった。
楓「そん……な…」
絶望に似た感情が私の心に広がってゆくのを感じる。
そりゃ、今まで人生で良い事なんて無かった。
友達なんて殆どいなかったし、理由は分からないけれど虐めを受けていた。
その虐めはどんどんエスカレートしてゆき、取り返しのつかない事もされてしまった。
―――悔しかった。
だから"2次元"というかりそめの幸せを、両手いっぱいに貪った。
心にぽっかりと開いた穴を埋めるように娯楽を求めるうちに、私は現実よりもフィクションの世界を好きになってしまっていた。
そんな、ろくでもない人生。
でも、そんな私でも――
楓「私…死にたくない、よ」
――生きたかった
悪夢のような機械音が遠くから近付いて来る。
涙を流しながら顔を上げると、銃とブレードで武装した例のロボットが迫って来ていた。
楓「助けて……よ…」
救いを求めても、この厳しすぎるリアルはご都合的展開なんかで私を助けてくれない。
……全部、分かってる。
機械が目の前で止まり、その銃口が私の身体へと向けられる。
もう死ぬんだ、と私の心は確信していた。
楓「誰かっ……誰か助けなさいよぉぉぉおおおぉぉおおっ!!」
それでも、私は求めた。
このろくでもないリアルで、幸せを欲していたから。
ガシャンッ!
楓「―――!?」
恐怖に閉じていた瞼を開くと、目の前で私を殺そうとしていた筈のロボットは頭を切断されて力無く倒れていた。
「――やっと、間に合った」
そして、私の目の前にはブレードを持った少年。
最初、これは夢なんじゃないかって思った。
だって、都合良すぎで、嘘みたいで……
誘拐された事なんてどうでもよくなる位に格好良かった。
楓「アンタ………は?」
建一「――俺は赤羽建一。お前の"日常"、救いに来たぜ」
差し延べられた手はとても大きく、このろくでもないリアルで私は初めて"希望"というものを手にしたのだった。




